オーストラリアのAIハードウェア企業BrainChipが、革新的な超低消費電力ニューラル処理ユニット(NPU)「Akida Pico」を発表した。この新しいAIチップは、1ミリワット未満という驚異的な低消費電力で動作し、バッテリー駆動のエッジデバイスにAI処理能力をもたらす可能性を秘めている。
Akida Pico:超小型・超低消費電力のAIアクセラレーター
Akida Picoは、BrainChipのAkida2イベントベースコンピューティングプラットフォームをベースに開発された。チップのサイズはわずか0.12平方ミリメートルと極めて小型だが、音声起動、キーワード検出、ノイズ低減、センサー処理など、比較的集中的なAIワークロードを処理できる。
BrainChipのChief Marketing OfficerであるSteven Brightfield氏は、Akida Picoの設計思想について次のように説明している。
「進化の過程で、私たちの脳には電力予算がありました。同様に、私たちが狙っている市場も電力に制約があります。バッテリーからは限られたエネルギーしか供給されず、それを使ってAIを動かす必要があるのです」。
Akida Picoの主な用途として、BrainChipは以下のようなシナリオを想定している:
- ウェアラブルデバイス(スマートウォッチ、フィットネストラッカーなど)
- スマートホーム機器(スマートスピーカー、セキュリティカメラなど)
- 医療機器(携帯型モニタリングデバイスなど)
- 防衛関連機器(小型ドローン、ウェアラブルセンサーなど)
- 音声アシスタント(「Hey Siri」や「OK Google」などのウェイクワード検出)
- ノイズキャンセリングイヤホン
- 補聴器
これらのデバイスは通常、電力と無線通信能力に厳しい制限があるため、Akida Picoのような超低消費電力AIチップが重要な役割を果たす可能性がある。特に、常時監視や連続的なデータ処理が必要な用途において、Akida Picoの効率性が発揮されることが期待される。
Akida Picoの技術的詳細:神経形態学的アプローチの革新
Akida Picoの核心には、BrainChipが独自に開発した神経形態学的コンピューティング技術がある。この技術は、人間の脳の構造と機能を模倣することで、従来のデジタル計算とは異なるアプローチを実現している。以下、Akida Picoの技術的特徴を詳しく見ていこう。
スパイキングニューラルネットワーク(SNN)アーキテクチャ
Akida Picoは、スパイキングニューラルネットワーク(SNN)アーキテクチャを採用している。SNNでは、従来の論理ゲートの代わりに「ニューロン」と呼ばれる計算ユニットが使用される。これらのニューロンは、電気パルス(スパイク)を送信して互いに通信を行う。
SNNの重要な特徴は、グローバルクロックに依存せずに異なるニューロンが独立してスパイクを生成できることだ。これにより、高度な並列処理が可能になる。Intelの神経形態コンピューティングラボのディレクターMike Davies氏は、この利点について次のように説明している。「神経形態学的コンピューティングが本当に優れているのは、データの全ストリームを収集してから遅延したバッチ処理で処理するのを待つ余裕がない場合のシグナルストリームの処理です。これは、ストリーミングのリアルタイムな動作モードに適しています」。
イベントベースの処理
Akida Picoのもう一つの特徴は、イベントベースの処理方式だ。この方式では、入力データに変化(イベント)がある場合にのみ処理が行われる。これにより、不要な計算を削減し、電力効率を大幅に向上させることができる。
オンチップ学習能力
Akida Picoは、チップ上で学習を行う能力を持っている。これは、エッジデバイスがリアルタイムで環境に適応し、パフォーマンスを向上させることを可能にする。オンチップ学習により、クラウドへのデータ送信が不要になり、プライバシーとセキュリティの向上にもつながる。
データフォーマットのサポート
Akida PicoはFP32、INT8、INT4のデータフォーマットをサポートしている。しかし、BrainChipは主にINT8をターゲットとしている。これは、INT4が対象アプリケーションに対して十分な精度を提供できない一方で、FP32が必要以上に電力を消費するためだ。INT8は精度と電力効率のバランスが取れたフォーマットと言える。
柔軟な実装オプション
Akida Picoは、スタンドアロンチップとして実装することも、既存の設計に組み込むこともできる。基本構成には、NPUコア、DMA、そしてプロセッサやマイクロコントローラの他の部分と接続するためのAXIバスマトリックスが含まれる。さらに、イベントSRAMやウェイトSRAM、AHB、eMMC、SPI、GPIOインターフェースなどを追加して、ライセンシーの要件に合わせてカスタマイズすることも可能だ。
超小型設計
GlobalFoundriesの22nm FD-SOIプロセス技術を使用して実装された場合、Akida Pico NPUは0.12平方ミリメートルという非常に小さな面積を占めるだけだ。50KBのSRAMを追加しても、そのダイサイズは0.18平方ミリメートルに留まる。この小型サイズにより、スマートフォン、ウェアラブルデバイス、スマート家電など、厳しい空間制約のある機器への統合が容易になる。
Akida Picoのこれらの技術的特徴は、エッジAIの課題である低消費電力、リアルタイム処理、小型化を同時に解決しようとする野心的な試みと言える。しかし、その革新性ゆえに、従来のAIチップと直接比較することは難しい。BrainChipのCEO、Sean Hehir氏が述べているように、Akida Picoは「ニューラルアプリケーションに必要な低レイテンシと低電力のAIオンチップコンピューティングの限界をさらに押し広げる」ことを目指している。
Akida Picoの応用と業界への影響
Akida Picoの主なターゲットは、「エクストリームエッジAI」と呼ばれる領域だ。これは、モバイルフォン、ウェアラブル、スマート家電など、電力と無線通信能力に厳しい制限がある小型ユーザーデバイスを指す。BrainChipは、Akida Picoの応用例として、音声起動、キーワード検出、スピーチノイズリダクション、音声エンハンスメント、存在検出、パーソナルボイスアシスタント、自動ドアベル、ウェアラブルAI、家電の音声インターフェースなどを挙げている。
特に注目すべきは、Akida Picoの音声処理能力だ。BrainChipは、音声キーワード検出のデモンストレーションを行い、従来のマイクロプロセッサで動作する従来のモデルと比較して、消費電力を5分の1に削減できることを示した。Brightfield氏は、この技術の潜在的な影響について次のように述べている。「Amazonは、Alexaを起動するためにクラウドコンピューティングサービスに年間2億ドルを費やしていると思います。彼らはマイクロコントローラとニューラル処理ユニット(NPU)を使用していますが、それでも数百ミリワットの電力を消費しています」。BrainChipのソリューションが主張する電力削減を各デバイスで実現できれば、その影響は非常に大きいといえるだろう。
Akida Picoは、エッジAI市場に既に存在する他の神経形態学的デバイスと競合することになる。例えば、InnaternのT1チップや、SynSenseのXyloなどがある。これらのデバイスも同様に、エッジでの低消費電力AI処理を目指している。
しかし、Akida Picoには独自の強みがある。BrainChipの独自ソフトウェアであるMetaTFは、開発者がTensorFlow/KerasやPytorchで作成したモデルをサポートしている。これにより、ユーザーは新しい機械学習フレームワークを学ぶ必要なく、AIアプリケーションを迅速に開発・展開できる。
Akida Picoの技術的特徴も注目に値する。このNPUは、FP32、INT8、INT4のデータフォーマットをサポートしているが、BrainChipは主にINT8をターゲットとしている。これは、INT4が対象アプリケーションに対して十分な精度を提供できないためだ。また、Akida Picoは連続的に入力をモニタリングし、興味深いものを検出した場合にのみメインプロセッサを起動する能力を持つ。これにより、電力使用量を大幅に削減できる。
BrainChipのCEOであるSean Hehir氏は、Akida Picoの開発意図について次のように述べている。「私たちのすべてのエッジAIイネーブルメントプラットフォームと同様に、Akida Picoは、ニューラルアプリケーションに必要な低レイテンシと低電力のAIオンチップコンピューティングの限界をさらに押し広げるために開発されました。」Hehir氏は、Akida Picoの柔軟性も強調している。「AIの専門知識が限られているユーザーでも、AIモデルやアプリケーションの開発のエキスパートでも、Akida PicoとAkida開発プラットフォームを使用することで、最も電力効率と記憶効率の高い時間イベントベースのニューラルネットワークを、より迅速かつ確実に作成、トレーニング、テストすることができます」。
競合製品との比較では、InnaferaのT1チップやSynSenseのXyloなど、他の低消費電力エッジAIチップも市場に存在する。しかし、Akida Picoの1mW未満という消費電力は、業界最低レベルの達成といえる。
Intel社の神経形態コンピューティング研究所のディレクターであるMike Davies氏は、このような超低消費電力AIチップの潜在的な影響について次のように述べている。
「神経形態コンピューティングは、データの全ストリームを収集して遅延処理する余裕がない場合に特に優れています。ストリーミングでリアルタイムな動作モードに適しているのです」。
Davies氏の研究チームは最近、ストリーミングユースケースにおいて、IntelのLoihiチップの消費電力がGPUの1/1000であることを示す結果を発表している。これは、神経形態コンピューティングの潜在的な効率性を示す重要な指標となっている。
しかし、Davies氏は同時に、このような小規模なニューラルネットワークの限界についても指摘している。
「非常に小さなニューラルネットワークレベルでは、問題に対して魔法をかけられる量には限りがあります」。
この指摘は、Akida Picoのような超低消費電力AIチップが、特定の用途では革命的な進歩をもたらす一方で、複雑な AI タスクには依然として制限があることを示唆している。
Sources
- BrainChip: BrainChip Introduces Lowest-Power AI Acceleration Co-Processor
- IEEE Spectrum: Brain-like Computers Tackle the Extreme Edge
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