サイバーセキュリティの世界に大きな衝撃が走った。中国の研究チームが、量子コンピュータを使用して現代のインターネットで広く用いられている暗号システムを解読することに成功したと報告したのだ。このブレークスルーは、金融取引から軍事機密に至るまで、現在広く使用されている暗号化技術に対する重大な脅威となる可能性がある。
中国研究チームによる画期的な暗号解読
上海大学のWang Chao氏率いる研究チームは、カナダのD-Wave Systems社製の量子コンピュータを使用して、広く普及している暗号アルゴリズムの解読に成功したと発表した。この研究成果は、中国コンピュータ連合会(CCF)が運営する学術誌『Chinese Journal of Computers』に2024年9月30日付で掲載された査読付き論文で報告された。
研究チームは、D-Wave Advantage量子コンピュータを用いて、Present、Gift-64、Rectangleと呼ばれる暗号アルゴリズムを標的とした。これらのアルゴリズムは、置換-置換ネットワーク(SPN)構造の代表例であり、軍事や金融分野で広く使用されている高度暗号化標準(AES)の基礎となっている。
Wang氏のチームは論文の中で、「これは実際の量子コンピュータが、現在使用されている複数の完全なSPN構造アルゴリズムに対して、実質的かつ重大な脅威を与えた初めてのケースである」と述べている。この研究の成果は、現在「軍事級」と呼ばれる最も安全な暗号化標準であるAES-256にも、量子コンピュータが近い将来脅威を与える可能性があることを示唆している。
皮肉なことに、この「画期的」な暗号解読に使用された量子コンピュータは、カナダの企業から提供されたものだ。西側の技術が、結果的に自身のセキュリティを脅かす結果となったわけである。
量子アニーリングの仕組みと応用
今回の暗号解読に使用されたD-Wave Advantageシステムは、量子アニーリングと呼ばれる手法を採用している。この技術は、金属工学における焼きなまし法に似たプロセスをシミュレートすることで、複雑な数学的問題を高速に解決することができる。
量子アニーリングの原理は、最低エネルギー状態を探索することにある。これは、丘や谷が複雑に入り組んだ地形の中で、最も低い地点を見つけ出すことに例えられる。従来のアルゴリズムでは、その地形のあらゆる経路を探索し、何度も上り下りを繰り返す必要がある。しかし、量子トンネリング効果を利用することで、量子コンピュータは古典的な方法では乗り越えられない障害を「すり抜ける」ことができ、より効率的に最低点を見つけ出すことができる。
Wang氏のチームは、この量子アニーリングアルゴリズムを従来の数学的アプローチと組み合わせることで、新しい計算アーキテクチャを構築した。この手法の重要性は、実世界の暗号化問題を、量子コンピュータに適した二進最適化問題として定式化したことにある。
South China Morning Post(SCMP)の匿名の専門家によると、Wang氏の研究の意義は、実際の暗号化の問題を量子コンピュータに適した二進最適化問題として定式化したことにあるという。つまり、量子コンピュータの特性を最大限に活かすことで、従来のコンピュータでは解くのに膨大な時間がかかる問題を、効率的に解決できる可能性を示したのだ。
この技術は、まるで人工知能アルゴリズムが大域的に解を最適化するかのようだと、Wang氏は論文で述べている。しかし、皮肉なことに、この「AI的」アプローチが、人間が作り出した最も堅牢な暗号システムを破る鍵となるかもしれないのである。
量子コンピュータの発展がもたらす影響と懸念
この研究成果は、サイバーセキュリティの世界に大きな波紋を投げかけている。特に軍事および金融セクターにおいて、現在使用されている暗号化システムが破られる可能性が示されたのだ。
Wang氏のチームが解読に成功したSPN構造のアルゴリズムは、高度暗号化標準(AES)の基礎となっている。AESは現在、軍事通信や金融取引など、極めて機密性の高い情報のやり取りに広く使用されている。特にAES-256は「軍事級」の暗号化標準として知られ、最も安全な暗号化方式の一つとされてきた。
しかし、今回の研究結果は、量子コンピュータの発展により、これらの暗号化システムが近い将来、深刻な脅威にさらされる可能性があることを示唆している。つまり、現在「安全」とされているデータや通信が、将来的に解読される危険性があるということだ。
特に懸念されるのは、軍事機密や金融取引データなど、長期的な機密性が要求される情報の安全性である。今日暗号化されたデータが、数年後に解読可能になるという「harvest now, decrypt later」攻撃の可能性が現実味を帯びてきたのだ。
さらに、この技術が悪用された場合、国家間のサイバー攻撃や、金融システムへの攻撃など、様々なセキュリティリスクが高まる可能性がある。例えば、敵対国が機密情報を解読したり、サイバー犯罪者が暗号化された金融データにアクセスしたりする恐れがある。
また、この研究が中国の研究者によって行われたことも、国際的な懸念を引き起こしている。中国が量子コンピューティング技術で優位に立つことで、グローバルな力学バランスが変化する可能性があるからだ。
研究の限界と今後の課題
Wang氏のチームが達成した成果は画期的ではあるものの、現時点では完全な暗号解読には至っていない。研究者たちは、量子コンピューティング技術の現状における制約を認識している。
論文の中でWang氏は、量子コンピューティングが有望な結果を示す一方で、その発展は環境要因、未成熟なハードウェア、そして複数の暗号システムを破ることができる単一の攻撃アルゴリズムの考案という課題に直面していると述べている。
具体的には、研究チームは暗号アルゴリズムで使用される特定のパスコードの解読には至っていない。しかし、これまでの成果よりも解読に近づいたことは確かだ。技術の進歩に伴い、研究者たちは、より強力な量子攻撃が可能になると予想している。
現在の量子コンピュータの主な制約には以下のようなものがある:
- 環境要因:量子ビットは外部の影響を受けやすく、エラーが発生しやすい。
- ハードウェアの未成熟:大規模で安定した量子ビットの維持が困難。
- アルゴリズムの制約:複数の暗号システムに対応できる汎用的な攻撃アルゴリズムの開発が課題。
これらの制約を克服するためには、さらなる研究開発が必要だ。例えば、エラー訂正技術の向上、より安定した量子ビットの開発、そして新たな量子アルゴリズムの考案などが挙げられる。
一方で、暗号技術の専門家たちは、量子コンピュータによる攻撃に耐性のある新しい暗号化方式の開発を急いでいる。これらの「耐量子暗号」は、量子コンピュータでも解読が困難な数学的問題に基づいており、将来的な量子攻撃からデータを守ることが期待されている。
しかし、耐量子暗号の実用化にはまだ時間がかかると予想されている。現在使用されている暗号システムから新しい暗号システムへの移行には、膨大な時間とコストがかかるためだ。また、新しい暗号システムが本当に安全かどうかを検証するにも時間を要する。
皮肉なことに、量子コンピュータの発展が暗号解読の脅威となる一方で、量子力学の原理を利用した「量子鍵配送」という新しい暗号通信技術も注目されている。この技術は理論上、絶対に解読できない暗号通信を実現できるとされているが、実用化にはまだ多くの課題が残されている。
結局のところ、量子コンピューティングと暗号技術の発展は、いたちごっこのような様相を呈している。一方が進歩すれば、もう一方もそれに対抗して進化していく。このような技術競争は、セキュリティ技術の進歩を促す一方で、常に新たな脅威を生み出す可能性も秘めているのだ。
論文
- Chinese Journal of Computers: Paper [PDF]
参考文献
- South China Morning Post: Chinese scientists hack military grade encryption on quantum computer: paper
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