量子物理学の世界では、我々の日常感覚では理解しがたい現象が次々と明らかになっている。今回、カナダのトロント大学の研究チームが、光子が原子雲を通過する際に「負の時間」を経験するという驚くべき現象を観測したと報告した。この発見は、時間の概念に対する我々の理解に新たな視点をもたらし、量子物理学の分野に大きな波紋を投げかけている。
「負の時間」現象とは何か?
「負の時間」現象とは、光子(光の粒子)が原子雲を通過する際に、原子が励起状態にある時間が負の値を取るように見える現象を指す。通常、光子が原子に吸収されて再放出されるまでには一定の時間がかかるが、今回の実験では、光子が原子雲に入る前に出てくるかのように観測されたのだ。
トロント大学のAephraim Steinberg教授は、X(旧Twitter)で次のように述べている。「正の時間はかかりましたが、光子が原子を『負』の時間だけ励起状態にさせるのを観察する実験が完了しました!」
この一見すると物理法則に反するような現象は、量子力学の不思議な性質を示すものであり、時間の概念に対する我々の理解を根本から覆す可能性を秘めている。実験では、超冷却された原子雲を用いて、光子の振る舞いを精密に観測した。研究チームは、原子の共鳴周波数に近い周波数の光を使用することで、励起された原子が光子を放出するまでに長い時間がかかるようにした。
この実験設定により、グループ遅延(光が媒質を通過する際の時間遅れ)が負の値をとる可能性が生まれた。つまり、光子が原子雲に入る前に出てくるような、直感に反する結果が得られたのである。
実験結果の詳細と科学的意義
研究チームは、光子が原子雲を通過する際の相互作用を詳細に調べるため、非線形カー効果を利用した実験を行った。この実験では、共鳴周波数に近い「信号」光パルスと、共鳴から外れた連続波「プローブ」光を用いた。
実験の結果、透過した光子によって引き起こされる原子の励起時間(τT)が、入射光子の平均励起時間(τ0)に対して負の値を取ることが明らかになった。具体的には、最も狭帯域のパルスでτT/τ0 = (-0.82 ± 0.31)τ0、最も広帯域のパルスでτT/τ0 = (0.54 ± 0.28)τ0という値が観測された。
これらの結果は、透過した光子によって引き起こされる平均原子励起時間が、光が経験するグループ遅延に等しいという理論的予測と一致している。さらに興味深いことに、この関係は光の周波数が原子の共鳴に近い場合でも成り立つことが示された。
Steinberg教授は、この現象について次のように説明している。「もちろん、光子が実際に時間旅行をしているわけではありません。これは特定の光と特定の原子集団の相互作用における量子的な奇妙さを示しています。量子的な『今』の概念は、私たちの標準的な時間の見方よりも少し固定されていないのです。」
この発見は、負の時間値が物理的にも重要な意味を持つ可能性を示唆している。研究チームは、これらの結果が光と物質の相互作用に関する我々の理解を深め、量子メモリや非線形光学などの分野での応用につながる可能性があると考えている。
今回の実験結果は、まだピアレビュー(専門家による審査)を受けていない段階であるが、量子物理学の分野に新たな視点をもたらし、時間の概念に関する従来の理解に挑戦するものとして注目されている。
今後の研究では、この「負の時間」現象のさらなる解明と、その潜在的な応用可能性の探求が期待される。量子物理学の不思議な世界は、我々の時間と空間に対する理解をさらに深化させ、新たな技術革新への道を開く可能性を秘めているのだ。
論文
参考文献
- New Scientist: Light has been seen leaving an atom cloud before it entered
研究の要旨
光のパルスが物質を横切るとき、群遅延と呼ばれる時間遅れが生じます。 光子が経験する群遅延は、光子が原子励起として過ごす時間に起因するのだろうか? この関連性は合理的に見えるかもしれないが、光の周波数が原子共鳴に近い場合、この領域では群遅延が負になるため、問題があるように思われる。 この問題を解決するために、我々はクロスカー効果を用いて、共鳴している透過光子によって引き起こされる原子の励起の程度を、弱く共鳴していない別のビームの位相シフトを測定することによって調べる。 我々の結果は、パルス時間と光深度の範囲において、透過光子によって引き起こされる平均原子励起時間(観測された位相シフトの時間積分によって測定される)は、光が経験する群遅延に等しいという最近の理論予測と一致した。 具体的には、最も狭帯域のパルスで(-0.82±0.31)τ0から最も広帯域のパルスで(0.54±0.28)τ0までの平均原子励起時間を測定した。ここで、τ0は非選択後の励起時間であり、散乱(吸収)確率に原子寿命τspを掛けたものである。 これらの結果は、群遅延のような時間がとる負の値は、一般に理解されているよりも物理的に重要であることを示唆している。
コメント