過去へのタイムトラベルは、少なくともこれまではSFの話でしかなかったが、量子力学の世界においてはこの夢のような話が一部現実になるかもしれない。ワシントン大学セントルイス校とNIST、ケンブリッジ大学の研究チームが開発した、新しいタイプの量子センサーは、量子もつれを利用して過去のデータを収集することを可能にする「タイムトラベル検出器」の開発に繋がるかも知れないのだ。
量子もつれを利用した画期的な計測方法
2024年6月27日、『Physical Review Letters』に掲載された論文の中で、ワシントン大学セントルイス校のKater Murch教授らの研究チームは、2量子ビットの超伝導量子プロセッサーを使った実験について述べている。 その結果、量子もつれ現象を用いないあらゆる戦略を凌駕する量子的優位性が実証された。 彼らの研究結果は、かつてAlbert Einsteinが“spooky action at a distance”(不気味な遠隔作用)と呼んだユニークな特性を活用することで、過去のデータを収集できる可能性があるというのだ。
Murch教授は、この概念を「目の端で見た流れ星を捉えるために望遠鏡を過去に送り返すことができる」ようなものだと説明している。日常世界ではこのアイデアは非現実的だが、量子物理学の神秘的な領域では、ルールを回避する方法があるかもしれない。これは、Murch教授が「後知恵」と呼ぶ、量子もつれを利用したセンサーの特性のおかげだ。
この新しいセンサーの仕組みは、量子力学の核心的な概念である「量子もつれ」を巧みに利用している。まず、研究チームは2つの量子ビット(量子コンピューターの基本単位)を量子もつれ状態にする。これは、2つの粒子が密接に結びついて、一方の状態が変化すると瞬時に他方にも影響する特殊な状態だ。
次に、この2つの量子ビットのうち1つ(「プローブ」とMurch氏は呼んでいる)を磁場にさらす。これによりプローブの状態が変化する。ここからが“魔法”の部分だ。もう1つの磁場にさらされていない量子ビット(「補助ビット」と呼ばれる)を測定すると、量子もつれの性質により、その状態が「時間をさかのぼって」送信される。つまり、プローブ量子ビットが過去にさかのぼって影響を受けるのだ。つまり、研究者らは技術的にこの後知恵現象を利用して、プローブ量子ビットのスピンの最適な方向を事後的に決定することができるのである。 これにより、測定の精度を高めることができる。
通常の実験では、未知の磁場を測定する際、科学者たちは量子ビットの初期状態を推測して設定する必要があり、約3分の1の確率で失敗してしまう。しかし、この新しい方法を使えば、いわば「後から」最適な初期状態を選べるため、より正確な測定が可能になる。
研究チームは、2つの量子ビットを使用する超伝導量子プロセッサーを用いて実験を行い、この新しい方法が従来の方法より優れていることを実証した。具体的には、測定の精度を50%向上させることに成功したのだ。
このような条件下では、もつれた粒子は、時間的に前方と後方の両方の位置に同時に存在する単一の実体として効果的に機能し、それによって、時間的に操作された測定を行うことができる高度な量子センサーの創造における革新的な可能性を可能にする。
この技術の応用範囲は広い。天文学では微弱な宇宙線の検出に、地球科学では微小な磁場変化の観測に役立つ可能性がある。さらに、量子コンピューターの性能向上にも貢献するかもしれない。
Murch教授は、この研究の意義について次のように述べている。「これは量子力学の『幽霊のような作用』を実用的な技術に変える一歩です。私たちは、粒子が時間の中で前後に動くという奇妙な量子の性質を、より良いセンサーを作るために利用しているのです」。
この研究は、量子物理学の基礎研究が実用的な技術につながる可能性を示す好例だ。「過去を見る」量子センサーの登場により、私たちの自然界に対する理解はさらに深まり、新たな科学の扉が開かれるかもしれない。量子物理学の不思議な世界が、私たちの日常生活に思わぬ形で影響を与える日が、そう遠くないかもしれない。
論文
- Physical Review Letters: Agnostic Phase Estimation
参考文献
- Washington University in St.Louis: Quantum Advantage: Building ‘Time-Traveling’ Quantum Sensors
研究の要旨
量子計測の目標は、量子リソースを利用することで計測の感度を向上させることである。 計量学者は、多くの場合、量子フィッシャー情報を最大化することを目指している。 計測の基本的な限界に関する研究では、未知の回転を受ける量子ビット(スピンハーフシステム)が典型的なセットアップとなる。 スピンが回転を引き起こす作用素の分散を最大にする状態で始まれば、回転に関する最大の量子フィッシャー情報が得られる。 しかし、回転軸が未知の場合、最適な単一量子ビットセンサーを準備することはできない。 我々は、閉じた時間軸曲線のシミュレーションからヒントを得て、この制限を回避する。 未知の回転軸に関係なく、回転角度に関する最大の量子フィッシャー情報を得る。 この結果を得るために、まずプローブ量子ビットをアンシラ量子ビットとエンタングルする。 次に、この2つの量子ビットをエンタングルした状態で測定することで、1量子ビットのセンサーでは得られない回転角に関する情報を得ることができる。 この計測上の優位性を、2量子ビットの超伝導量子プロセッサーを用いて実証する。 我々の測定手法は量子的優位性を達成し、エンタングルメントを用いないあらゆる戦略を凌駕する。
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