地球平面論者との議論で問題となるのは、彼らが証拠の重みによって結論に至ったわけではないため、証拠を用いても考えを変えさせることができないという点だ。
とはいえ、地球が曲面であることを示す証拠は豊富に存在する。膨大な写真記録の他にも、自分で実験することも可能である。例えば、私は最近、ニューヨーク市からドーハへ、そこからシンガポール、ブリスベン、ダラスを経て、家に戻ってきた。私は東向きのコースを全行程で進み、出発地点に戻ってきた。これは地球が球体でなければ不可能なことだ。
その旅の中で、夜空の景色を存分に楽しむことができたが、最も印象的な特徴の一つは、空の様子が異なっていたことである。もし地球が平らであれば、誰もが同じ空の景色を見ることになるはずだが、自宅では見える星が旅の途中では見えず、その逆もあった。
そして最後に、月食の際には地球の影が月を通過する。その影は常に円形であり、どの角度から見ても100%円形の影を投影できるのは球体だけである。
しかし先述の通り、これは証拠の問題ではない。地球が平らだと信じる人々は、科学者や政治指導者から嘘をつかれていると考えている。多くの人々は自分たちの社会を信用しておらず、特にその社会の指導者を信用していない。そして特に、エリート指導者を信用していない。科学者は確かに、政府、学術界、その他の有力機関のエリート指導者である。地球が平らだと主張することで、人々は科学者と科学そのものに対する深い不信感を表現しているのだ。
科学への不信は深く、複雑な問題である。しかし、信頼を再構築する一つの方法は、単に耳を傾けることである。直感に反するように聞こえるかもしれないが、研究によると、人々は事実そのものではなく、他者を信頼する傾向があることが示されている。そのため、地球平面説を信じる人に出会っても、私が何度も経験してきたように、議論を始めないことである。代わりに、宇宙や科学について、あなたが素晴らしいと感じること、または驚くべきことに焦点を当てるように話題を変えると良い。それは、新しい観察結果かもしれないし、巧妙な実験結果、あるいは科学的学習による実世界への影響の例かもしれない。
共通の驚きや畏敬、好奇心に基づいて架け橋を築くことで、緊張を和らげ、刺激的な主張によって引き起こされる衝突を避け、代わりに共通点に焦点を当てることができる。それこそが、信頼が根付くことのできる唯一の場所である。そして信頼が確立されれば、地球の形状という問題は自然と背景に退いていくのだ。
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