MicrosoftとAtom Computingは、中性原子を用いた24個の論理量子ビットの生成・もつれ制御に成功し、さらに28個の論理量子ビットでの誤り検出・訂正、計算実行にも成功したと発表した。この成果を活用した商用量子コンピューターシステムは2025年の出荷開始を予定している。
技術的ブレークスルー
新システムの核となるのは、Atom Computingが開発した中性原子量子ビットテクノロジーだ。この技術は、レーザー光により形成される光格子の中に中性原子を配置し、光パルスによって量子情報を格納・処理する革新的な方式を採用している。従来の超電導回路などの量子ビット技術と比較して、環境ノイズの影響を受けにくく、量子情報の保持時間が長いという際立った特徴を持つ。
中性原子量子ビットの最大の強みは、その均一性と制御性にある。製造されたデバイスごとのばらつきが課題となる電子ベースの量子ビットとは異なり、中性原子は本質的に全く同一の性質を持つ。Atom Computingはこの特性を活かし、商用システムとしては最高となる99.6%の2量子ビットゲート忠実度を達成。これは量子エラー訂正を実用的なレベルで実現するための重要な指標となっている。
また、この技術は高密度な量子ビットの実装を可能にする。中性原子は電荷を持たないため、わずか数マイクロメートルという極めて近い距離に配置することができる。さらに、レーザーによって原子を自在に移動させられることから、任意の原子同士を相互作用させる「全対全接続性」を実現。これにより、より効率的なアルゴリズムの実行や、柔軟なエラー訂正スキームの実装が可能となっている。
量子状態の制御は、精密に調整されたレーザーパルスによって行われる。原子間の距離を適切に設定することで、2量子ビットゲートと呼ばれる複数の原子の状態を同時に操作する量子演算を高精度で実行できる。ただし、超電導量子ビットと比較すると、ゲート操作の速度は比較的遅いという課題も存在する。
システムは256個の中性原子を並行な列に配置する構成を採用。列間にはスペースが設けられており、これによって原子の移動や再配置が可能となっている。単一量子ビットゲートの場合、レーザーを列に沿って照射することで、照射された全ての原子に同時に操作を施すことができる。2量子ビットゲートの場合は、原子のペアを列の端に移動させ、特定の距離に配置してからレーザーを照射することで、全てのペアに対して同時にゲート操作を実行する仕組みとなっている。
さらに、このシステムは失われた原子を常時補充する機能も備えており、操作の合間に原子アレイをイメージングすることで、原子の損失や状態の異常を監視することができる。これらの機能により、長時間にわたる安定した量子計算の実行を可能にしている。
エラー訂正と性能向上
量子コンピューターにおけるエラー訂正は、量子情報を複数の物理量子ビットに分散させ、エラーが発生した際にそれを検出・訂正することで、より信頼性の高い論理量子ビットを実現する技術だ。MicrosoftとAtom Computingの新システムでは、独自の量子ビット仮想化システムと中性原子ハードウェアを組み合わせることで、この課題に革新的なアプローチを実現している。
実験では、まず24個の論理量子ビットをGreenberger-Horne-Zeilinger(GHZ)状態と呼ばれる特殊な量子もつれ状態に制御することに成功した。GHZ状態は、複数の量子ビットが同時に相反する状態の重ね合わせにある状態で、シュレーディンガーの猫の状態とも呼ばれる。これは現在までに報告された中で最大規模の論理量子ビットのもつれ制御となる。量子もつれの成功は、エラー率が量子もつれの理論的閾値である50%を大きく下回ったことで実証された。
エラー訂正の効果は劇的だった。物理量子ビットでは42%というエラー率が、論理量子ビットでは10.2%まで低減された。これは4.1倍の改善を意味する。さらに、中性原子系特有の課題である原子の損失に対しても、検出と訂正の機能を実装。この場合のエラー率は26.6%となり、物理量子ビットと比較して1.6倍の改善を達成している。これは商用の中性原子システムにおける損失訂正の初めての実証例となった。
システムの実用性を検証するため、112個の物理量子ビットから28個の論理量子ビットを生成し、Bernstein-Vaziraniアルゴリズムの実行実験も行われた。このアルゴリズムは、古典的には複数回の問い合わせが必要な文字列の特定を、量子コンピューターでは1回の問い合わせで実現できる特徴を持つ。実験の結果、論理量子ビットを用いた計算は、物理量子ビットによる計算よりも高精度な結果を示した。
この成果の重要性は、単にエラー率を改善しただけでなく、エラー検出・訂正を行いながら実際の量子計算を実行できることを実証した点にある。現在の量子コンピューターの多くは、最も単純な計算でさえ、古典コンピューターの能力を超えることが困難な状況にある。これは計算の途中でエラーが発生し、結果が信頼できなくなってしまうためだ。たとえハードウェアのエラー率を1000倍改善できたとしても、より複雑なアルゴリズムの実行には依然として課題が残る。
MicrosoftとAtom Computingのアプローチでは、エラーが検出された場合、計算を破棄して再スタートするか、エラーの情報を用いて修正を試みるかの2つの選択肢がある。ただし、エラーの修正には追加の操作が必要となり、それ自体が新たなエラーを引き起こす可能性もある。現在のシステムでは、エラーを検出して計算を破棄する方式の方が、全体としてより良い結果を示している。これは、将来的な改善の余地を示唆するものだ。
Xenospectrum’s Take
量子コンピューターの実用化における最大の課題は、量子ビットのエラー制御だった。今回の成果は、中性原子という新しいアプローチと、Microsoftの洗練されたソフトウェア技術の組み合わせによって、この壁を突破する可能性を示している。
特筆すべきは、これが単なる実験室レベルのデモンストレーションではなく、Azure Quantumプラットフォームを通じて実際に提供される商用システムであるという点だ。2025年の出荷開始までには、さらなる性能向上が期待できる。
ただし、「量子超越性」の実現にはまだ道のりがある。現在のエラー率では、複雑な量子アルゴリズムの実行には依然として課題が残る。また、競合他社の動向も注視する必要がある。量子コンピューティングの世界で、誰が本当の勝者となるかは、まだ誰にも分からないのだ。
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