世界のインターネットトラフィックの95%以上を支える海底ケーブルネットワークの脆弱性に対し、NATOが革新的な対策に乗り出した。衛星通信とスマートシステムを組み合わせた「HEIST(Hybrid Space-Submarine Architecture Ensuring Infosec of Telecommunications)」計画の詳細が明らかになった。
深刻化する海底ケーブルへの脅威
2024年2月に発生した紅海での事件は、グローバルインターネットインフラの脆弱性を浮き彫りにした。イエメンのフーシ派による攻撃を受けた貨物船Rubymarは、沈没に至るまでの数週間、制御不能な状態で漂流。その間、船舶の錨が海底を約70キロメートルにわたって引きずられ、欧州とアジアを結ぶインターネットトラフィックの4分の1を担う3本の光ファイバーケーブルを切断する事態を引き起こした。
さらに深刻なのは、これが単発の事故ではないという点である。TeleGeographyのリサーチ部門副社長Tim Stronge氏によると、年間約100件のケーブル切断事故が発生しており、その修復には数日から数週間を要し、一件あたり数百万ドルのコストが発生している。全長120万キロメートルに及ぶ海底ケーブルネットワークには500から600本のケーブルが敷設されているが、これらは「庭用ホース程度の太さ」しかなく、深海底に単に這わせてある状態だという。
特に懸念されるのは、意図的な妨害行為の増加である。ドイツの国防相Boris Pistorius氏が指摘したように、最近のバルト海での事例では、スウェーデンとリトアニア、フィンランドとドイツを結ぶ海底ケーブルが切断され、中国の商船が関与した可能性が指摘されている。今回、HEISTのテストが開始されるスウェーデン南岸のカールスクルーナにあるブレーキンゲ工科大学(BTH)のHenric Johnson副学長も、スウェーデン、エストニア、フィンランド間でケーブル妨害事案が発生していることを認めており、これはもはや「現実の脅威」となっている。
海底ケーブルの重要性は、その経済的影響からも明らかだ。これらのケーブルは毎日10兆ドルを超える金融取引を担うとともに、暗号化された防衛通信など、重要なデータも伝送している。アイスランドの例が示すように、わずか4本のケーブルの切断で一国の通信が世界から隔絶される可能性すらある。Cornell Universityの博士課程学生Nicolò Boschetti氏が指摘するように、アイスランドは金融サービスやクラウドコンピューティングに大きく依存しているが、北米と欧州を結ぶ4本のケーブルが損傷した場合、完全な通信孤立に陥る恐れがある。
HEISTプロジェクトの革新的アプローチ
NATOが推進するHEISTプロジェクトは、海底ケーブルの脆弱性に対する包括的な解決策として注目を集めている。2025年からブレーキンゲ工科大学(BTH)でテストが開始されるこのプロジェクトは、従来にない統合的なアプローチを採用している。
プロジェクトの中核を成すのは、スマートシステムによる高精度な障害検知技術だ。BTHの研究チームは、海底ケーブルの損傷位置を1メートルの精度で特定できるシステムの開発に取り組んでいる。この技術が実用化されれば、現在数日から数週間を要する修復作業の大幅な効率化が期待できる。
さらに革新的なのは、データ経路の多様化戦略である。コーネル大学のGregory Falco助教授は「レジリエントな通信を実現するカギは経路の多様性にある」と指摘し、海底だけでなく「空にも」通信経路を確保する重要性を強調している。HEISTでは、ケーブル障害が発生した際に即座にデータを衛星経由にリルーティングするプロトコルの開発も進められている。
注目すべきは、このプロジェクトがオープンソースアプローチを採用している点だ。Falco助教授は「プロジェクトを完全に公開し、多くの人々に検証してもらう」という方針を示している。これにより、世界中の専門家がプロジェクトに貢献できる環境が整備され、技術革新の加速が期待される。
技術的課題と解決への取り組み
HEISTプロジェクトが直面する最大の技術的課題は、海底ケーブルと衛星通信との間に存在する圧倒的な性能差である。Googleが展開する最新の海底光ファイバーケーブルが340テラビット/秒という驚異的な伝送速度を実現している一方、現行の衛星通信システムの大半が利用するKuバンド(12-18GHz)での通信速度は約5ギガビット/秒に留まっている。この差は実に約68,000倍にも及び、単純な代替手段としての衛星通信の実現が極めて困難であることを示している。
この課題に対し、HEISTチームは光学通信システムの活用という野心的なアプローチを採用している。すでにSpaceXのStarlinkは衛星間通信に赤外線レーザーを導入しており、AmazonのProject Kuiperも同様の技術導入を計画している。NASAの実験では、レーザー通信により従来の電波通信と比較して40倍以上のデータ転送速度が達成されており、HEISTチームはこの技術を地上-衛星間通信へと応用することを目指している。
しかし、レーザー通信システムにも固有の技術的課題が存在する。雲、霧、煙などの大気条件による信号の減衰や遮断、送受信機間の高精度な照準維持の必要性、そして特に高軌道衛星との通信における信号遅延(レイテンシー)の問題が挙げられる。これらの課題に対し、HEISTチームは利用可能な無線周波数の集約や、緊急時におけるデータの優先順位付けなど、複数のアプローチを組み合わせた解決策を模索している。
Source
- IEEE Spectrum: NATO’s Emergency Plan for an Orbital Backup Internet
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