コロラド大学ボルダー校(CU Boulder)と量子コンピューティング企業Quantinuumの研究チームは、量子コンピュータ上で動作する新しいタイプの「量子ゲーム」を開発し、その成果を物理学の学術誌Physical Review LettersおよびプレプリントサーバーarXivで発表した。このゲームは、量子コンピュータの基本的な構成要素である量子ビット(qubit)を「トポロジカル」と呼ばれる特殊な状態に配置することで、外部からの擾乱(ノイズ)に対して非常に強い耐性を持つことを実証した。Quantinuum社のH1量子コンピュータを用いた実験では、このゲームで95%以上という高い成功率で「量子擬似テレパシー」と呼ばれる現象を達成し、現在の量子デバイスが持つ潜在能力と、将来の大規模化に向けた有望なアプローチを示している。
量子ゲームと擬似テレパシー:量子の奇妙なルールを探る
量子コンピュータは、従来のコンピュータが0か1かで情報を処理するのに対し、「量子ビット(qubit)」と呼ばれる素子を用いる。量子ビットは原子やイオンなどで作られ、0と1の状態に加え、量子力学特有の性質により0と1の両方の状態を同時に取る「重ね合わせ」が可能である。さらに、「量子もつれ(エンタングルメント)」という現象では、複数の量子ビットが互いに深く関連づけられ、一方の状態を測定すると、どれだけ離れていても瞬時にもう一方の状態が決まるという奇妙な相関を示す。
「量子ゲーム」は、こうした量子の奇妙なルールを探求し、量子コンピュータの能力を試すための理論的・実験的な枠組みだ。物理学者David Mermin氏が1990年に提唱した古典的な量子ゲームでは、複数のプレイヤーが別々の部屋におり、互いに通信できない状況で、与えられたルールに従って数字を書き込み、特定のパターンを完成させれば勝利となる。古典的な戦略だけでは確実に勝つことは不可能だが、もしプレイヤーが事前にもつれた量子ビットのペアを共有していれば、その量子相関を利用して回答を調整し、あたかもテレパシーを使っているかのように(量子「擬似テレパシー」と呼ばれる)、古典的な限界を超えた確率でゲームに勝利できることが理論的に示されていた。
しかし、実際の量子コンピュータでこの擬似テレパシーを安定して実現するのは容易ではない。量子ビットは非常に繊細で、わずかな温度変化や外部からのノイズによってもつれ状態が容易に壊れてしまう(デコヒーレンス)からだ。量子ビットの数を増やして計算規模を大きくしようとすると、このエラーの問題はさらに深刻になる。これが、実用的な量子コンピュータ開発における大きな壁の一つである。
「結び目」で守る:トポロジカル秩序の力
今回の研究チームが開発した新しい量子ゲームは、このエラーの問題に対する有望なアプローチを示した。彼らは、Quantinuum社のH1量子コンピュータ(最大20個のイッテルビウムイオン量子ビットをレーザーで精密に制御するデバイス)上で、量子ビットを特殊な方法で配置・操作した。

具体的には、量子ビット群全体が単なるペアのもつれではなく、全体として一つの構造的なパターンを持つように配置した。これは物理学で「トポロジカル秩序」と呼ばれる状態で、例えるなら、量子ビットたちが互いに複雑な「結び目」を作っているようなものである。この「結び目」構造の重要な特徴は、局所的な擾乱、つまり一部分の量子ビットにエラーが生じても、全体の構造的なパターン(=量子情報)が簡単には壊れない「堅牢性」を持つことである。
研究チームは、このトポロジカル秩序状態を利用して、3人のプレイヤーが参加するパリティゲーム(与えられた数字の合計が偶数か奇数かに基づいて回答するゲーム)をH1量子コンピュータ上で実行した。論文によれば、彼らは「回転した表面符号(Rotated Surface Code, RSC)」と呼ばれるトポロジカル符号の状態を、パラメータβ(変形強度に相当)を変えながら生成し、ゲームの成功確率を測定した。
その結果、外部からの擾乱を意図的に加えた場合や、測定する量子ビット数を増やした場合でも、ゲームの勝利条件である擬似テレパシーを95%以上という高い確率で達成できた。さらに重要なのは、この高い成功率が、使用する量子ビットの数を増やしても安定していたことである。
これは、従来の量子ゲームでよく使われるGHZ状態(全量子ビットが単純にもつれた状態)とは対照的である。GHZ状態を用いた同様のゲーム実験では、量子ビット数が増えるほど外部ノイズの影響を受けやすくなり、成功率が急速に低下することが確認された。つまり、トポロジカル秩序を利用したアプローチは、量子コンピュータを大規模化していく上で、エラーに対する耐性という点で大きな利点を持つ可能性が示唆された。
量子コンピュータの未来へのマイルストーン
研究チームの一員であるCU BoulderのRahul Nandkishore准教授は、「この研究は、現在の量子デバイスがすでに古典的な最良戦略を上回る性能を発揮でき、しかもそれが堅牢でスケーラブルな方法で可能であることを示す原理証明である」と述べている。他の共著者には、Quantinuum社のDavid Stephen氏やCU BoulderのOliver Hart氏などがいる。
今回の量子ゲーム自体が、すぐに現実世界の問題、例えば新薬開発や材料科学の課題を解決するわけではない。しかし、この成果は、量子コンピュータ研究における重要なマイルストーンと言える。
第一に、量子コンピュータが理論通りに動作し、特に「トポロジカル秩序」というエラー耐性に繋がる重要な概念を実際のデバイス上で実装・検証できたこと。
第二に、その実装が局所的なエラーに対して堅牢であり、量子ビット数を増やしても性能が維持されるスケーラビリティの可能性を示したこと。
第三に、擬似テレパシーという、古典物理学では説明できない量子特有の現象を高い精度で実証し、量子コンピュータが持つ非古典的な計算能力の一端を具体的に示したこと。
これらの成果は、量子コンピュータが現在直面しているエラーの問題を克服し、将来的にその驚異的な計算能力を様々な分野で活用するための道を切り拓く上で、重要な知見を提供するものである。トポロジカルなアプローチは、誤り耐性を持つ実用的な量子コンピュータの実現に向けた、有望な候補の一つとして、今後ますます注目を集めるだろう。
論文
- Physical Review Letters: Playing Nonlocal Games across a Topological Phase Transition on a Quantum Computer
参考文献
- University of Colorado Boulder: New quantum ‘game’ showcases promise of quantum computers