CES 2025で行われた投資家向けQ&Aセッションにおいて、NVIDIA CEO Jensen Huang氏が「実用的な量子コンピュータの実現には20年程度必要」との見方を示したことを受け、量子コンピューティング関連企業の株価が軒並み急落した。この発言は、昨今の量子コンピューティング業界の成長期待に対して冷水を浴びせる形となった。
市場の即時反応と関連企業株価への甚大な影響
Huang氏の発言は量子コンピューティング市場に激震を与え、主要企業の株価は一斉に急落した。最も大きな打撃を受けたのはQuantum Computingで、同社の株価はNASDAQ市場で44%以上の下落を記録。これに続いてD-Wave Quantumが43.8%の下落となり、同社の時価総額は一日で半分近くが失われた形となった。メリーランド州を拠点とする量子コンピューティングのハードウェアおよびソフトウェア企業IonQも40%以上の急落を余儀なくされ、Rigetti Computingも39%以上の下落を記録した。
この急激な株価下落のタイミングは、業界にとって特に痛手となった。これらの企業の多くは、2024年12月に好決算の発表や新規株式公開、さらにはIonQによる欧州初の量子コンピュータ出荷など、一連のポジティブなニュースを背景に株価を回復させたばかりだったためだ。特にD-WaveとRigettiは、米国市場での上場廃止の危機に直面し、株価が1ドルを下回る水準にまで落ち込んでいた状況から、D-Waveは約5ドル、Rigettiは9.50ドル付近まで回復を遂げていた矢先だった。
英国を拠点とするArqit Quantumは、他社と比較すると相対的に影響が小さく、株価の下落幅は約30%に留まったものの、依然として大きな打撃を受けている。Reutersの報道によると、これら量子コンピューティング関連企業の時価総額の合計損失額は50億ドルを超える見通しとなっており、この下落がセクター全体に及ぼす影響は甚大なものとなっている。
業界アナリストらは、この株価急落が単なる一時的な市場反応を超えて、量子コンピューティング分野への投資資金の流れそのものを変える可能性を指摘している。特に、2024年にはベンチャーキャピタルによる量子コンピューティング分野への投資が前年比50%減少しており、投資資金が生成AIなど他の先端技術分野にシフトしている現状において、今回の株価下落は業界の資金調達環境をさらに厳しいものにする可能性がある。
Huang氏の発言の詳細と文脈
CESで開催された投資家向けQ&Aセッションにおいて、NVIDIA CEOのJensen Huang氏は量子コンピューティングの未来について具体的な時間軸を示した。彼の見解によれば、「非常に有用な」量子コンピュータの実現には約20年を要するという。具体的には、「15年というのはおそらく早すぎる側で、30年は遅すぎる側でしょう。20年というのであれば、私たちの多くが納得できる数字だと思います」と述べている。
この見方の根拠として、Huang氏は現在の技術水準と必要とされる進歩の規模に言及した。彼によれば、実用的な量子コンピュータの実現には、現在の技術水準から5〜6桁のオーダーの進歩が必要であり、この飛躍的な進歩には相当の時間を要するとの見方を示している。
しかし、注目すべきはHuang氏の発言の後半部分である。彼は量子コンピューティングの実現における古典的コンピュータの重要性を強調した。「量子コンピュータの実現には、エラー訂正を行うための古典的なコンピュータが必要不可欠です。そして、そのコンピュータは人類が構築できる最速のものでなければなりません。それが私たちなのです」と述べ、NVIDIAが量子コンピューティングの発展において中心的な役割を果たすことを示唆している。
さらにHuang氏は、現在ほぼすべての量子コンピューティング企業がNVIDIAと協力関係にあることを明らかにした。同社は量子版CUDAパラレルコンピューティングプラットフォームを開発しており、これを通じて量子アルゴリズムやアーキテクチャのシミュレーション、さらには量子コンピュータの設計開発にまで深く関与している。「通常のコンピュータでは解決できない問題を解決するコンピュータを構築したい」というHuangの言葉は、NVIDIAが「量子コンピューティングの古典的な部分における完璧な企業」となることを目指していることを示している。
この発言は、2022年のBW Businessworldでの同様の予測と一貫性を保っており、これは単なる一時的な見解ではなく、NVIDIAの長期的な戦略的位置づけを反映したものと解釈できる。実際、昨年11月にはGoogle Quantum AIとのデバイス設計加速に関する協力を発表し、SC24では多数の量子コンピューティング企業との提携を公表するなど、同社は着実に量子コンピューティング分野での足場を固めている。
量子コンピューティング業界への広範な影響
量子コンピューティング業界は、Huang氏の発言を受けて単なる株価の下落以上の深い影響を受けている。Great Hill Capitalのチェアマン、Thomas Hayes氏が指摘するように、この発言は投資資金の流れを量子コンピューティングからAIへとシフトさせる触媒として作用している。「Jensenは量子コンピューティングの話に水を差し、AIストーリーを全力で売り込みました。それだけのことです」というHayesの分析は、現在の市場動向を端的に表している。
この状況は、すでに苦境に立たされていた量子コンピューティング業界にとってさらなる逆風となっている。2023年には、生成AI分野への注目の高まりを背景に、ベンチャーキャピタルによる量子コンピューティング分野への投資が前年比で50%も減少していた。さらに、2023年後半には複数の量子コンピューティング企業が深刻な経営課題に直面し、D-WaveとRigettiは株価が1ドルを下回ったことで米国市場からの上場廃止の危機に瀕していた。
D-WaveのCEO Alan Baratz氏はHuang氏の発言を受けて株価が急落したことに対し、Huang氏は量子コンピューティングについて「完全に間違っている」とCNBCのインタビューで語っている。「彼が間違っている理由は、私たちD-Waveが今日商業的に成功しているからです」と語っている。D-Waveの技術は既に日本のNTTドコモやMastercardと言った企業がD-Waveの量子コンピュータを利用していることを挙げて、「今日、我々の量子コンピュータを業務に役立てている」と語った。
しかし、この状況の複雑さを示す重要な要素がある。2023年に発表された研究によれば、特定の作業負荷において、単一のNVIDIA GPUが理論上の量子セットアップを上回るパフォーマンスを示したという。また、DARPAが公表した評価結果では、量子コンピュータが古典的なマシンでは解決できない問題を解決できるかどうかについて、結果は複雑な様相を呈している。
最も注目すべき点は、NVIDIAが量子コンピューティング分野で確立しつつある独自のポジションである。同社は量子CUDAプラットフォームを通じて、ほぼすべての主要な量子コンピューティング企業との協力関係を構築している。これにより、アルゴリズムやアーキテクチャのシミュレーション、さらには量子コンピュータの設計開発においても中心的な役割を果たしている。
特に重要なのは、エラー訂正の分野でのNVIDIAの優位性である。現在の量子コンピュータは、その複雑さゆえに従来のシステムでシミュレートすることが困難とされる場合でも、定期的にエラーを起こしている。このエラー訂正において、NVIDIAの高性能GPUは不可欠な役割を果たしており、これが同社の市場における強みとなっている。
この状況は、量子コンピューティングと古典的コンピューティングの「ハイブリッド時代」が長期化する可能性を示唆している。FuturumグループのBob Sutor博士が指摘するように、量子コンピュータが特定のタスクで優れた性能を発揮する一方で、理論的に他のタスクでは無用である性質上、将来的にも常にハイブリッドなアプローチが必要となる可能性が高い。このシナリオは、皮肉にもNVIDIAにとって最も有利な展開となりうる。実際、独立した完全な量子コンピュータが数年以内に実現すれば、それはNVIDIAの事業を危うくする可能性すらある。
Xenospectrum’s Take
Huang氏の発言は、一見すると量子コンピューティング業界への否定的な評価に見えるが、実際にはNVIDIAの巧妙な市場戦略の一環と解釈できる。「非常に有用な」量子コンピュータの実現までに20年かかるという予測は、むしろ古典的コンピューティングとの長期的な共存期間を示唆している。
これは、エラー訂正や制御システムとしてNVIDIAの高性能GPUが不可欠となる「ハイブリッド量子時代」の長期化を意味する。皮肉なことに、量子コンピューティング企業の株価下落は、NVIDIAの業界における支配的地位をより強固なものにする可能性がある。
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