OpenAIが生命科学分野への本格参入を開始した。同社は長寿研究のスタートアップRetro Biosciencesと協力し、タンパク質設計に特化した言語モデル「GPT-4b micro」を開発。初期テストでは、人間の研究者を上回る成果を示唆する結果が得られている。
言語モデルによる画期的な技術アプローチ
OpenAIの新モデルGPT-4b microは、通常の細胞を幹細胞に変換できる山中因子と呼ばれるタンパク質の最適化に焦点を当てている。このアプローチは、Googleのノーベル賞受賞プログラムAlphaFoldとは一線を画している。AlphaFoldがタンパク質の折りたたみ構造を予測する拡散ネットワークを使用するのに対し、GPT-4b microは言語モデルとしてタンパク質を扱う点が大きな特徴だ。
モデルの学習方法も独特である。OpenAIの研究者John Hallman氏によると、GPT-4b microは様々な生物種のタンパク質配列データとタンパク質間相互作用の情報を学習データとして使用している。これはちょうどChatGPTが文章を完成させるように、タンパク質の新しいバリエーションを提案する仕組みとなっている。研究チームはこの手法により、既存の山中因子と比較して最大50倍の効率改善を達成したと報告している。
特筆すべきは、このモデルが扱う山中因子の特性である。Retro BiosciencesのCEO、Joe Betts-Lacroix氏によれば、これらのタンパク質は「柔軟で非構造的」な性質を持つため、従来の構造予測モデルでは効果的に扱うことが困難だった。GPT-4b microは言語モデルとしてこれらのタンパク質を扱うことで、この課題を克服している。加えて、モデルは元のタンパク質配列の約3分の1のアミノ酸を変更するような大胆な提案も行うことができ、従来の実験室での進化工学的手法では到達できなかった可能性のある設計空間の探索を可能にしている。
しかしながら、このモデルの動作メカニズムについては、開発チーム自身もまだ完全には理解できていない状況だ。Betts-Lacroixは、これをチェスのAIプログラムAlphaGoの初期段階になぞらえ、「なぜそのような結果になるのかを理解するには時間がかかるだろう」と説明している。
長寿研究への影響と展望
Retro Biosciencesは人間の寿命を10年延長することを意欲的な目標として掲げている。この目標達成に向けた重要な研究対象が、山中因子だ。山中因子は通常の皮膚細胞を若々しい性質を持つ幹細胞へと変換できる特殊な能力を持つ。この細胞の「若返り」プロセスは、組織の再生や人工臓器の作製、さらには細胞置換療法への応用が期待されている。
現状の細胞リプログラミング技術には大きな課題がある。処理には数週間を要し、成功率はわずか1%未満にとどまるのが現状だ。ハーバード大学の老化研究者Vadim Gladyshev氏は、より効率的な幹細胞作製方法の必要性を指摘する。「皮膚細胞の初期化は比較的容易ですが、他の種類の細胞ではそうはいきません。また、新しい生物種で試みる場合、極めて困難で、まったく成功しないこともあります」と述べている。
GPT-4b microによるタンパク質最適化は、この状況を劇的に改善する可能性を秘めている。モデルは既存の山中因子を大胆に改変し、その効率を最大50倍まで向上させることに成功した。この改善は、細胞の初期化プロセスを大幅に効率化し、より多くの細胞タイプや生物種への応用を可能にする可能性がある。
さらに注目すべきは、このアプローチが従来の実験室での試行錯誤による進化工学的手法とは一線を画している点だ。実験室での進化実験では、試すことのできるタンパク質の変異体の数に物理的な制限があった。一方、GPT-4b microは膨大な可能性の中から有望な候補を理論的に予測し、提案することができる。この能力は、生命科学研究における新しいブレークスルーの可能性を示唆している。
技術と倫理の境界線
この画期的な取り組みには、技術面での成果と同時に、複雑な課題も存在する。現時点で研究結果は外部の科学者による検証を受けておらず、モデルも一般に公開されていない。OpenAIとRetro Biosciencesは研究論文の発表を予定しているものの、具体的な時期は明らかにされていない。このため、モデルの性能や実験結果の再現性については、まだ慎重な評価が必要な段階にある。
特に注目を集めているのが、この研究プロジェクトを取り巻く利害関係の構造だ。OpenAIのCEO Sam Altman氏は個人的にRetro Biosciencesに1.8億ドルを投資している。この関係性について、Wall Street Journalは「不透明な投資帝国」の一部を形成していると指摘し、OpenAIとの取引を行う企業への投資が「潜在的な利益相反の増大するリスト」を生み出していると報じている。
Retro Biosciencesにとって、Altman氏やOpenAI、そして人工知能一般(AGI)開発競争との関連性は、人材採用や資金調達の面で大きな利点となる可能性がある。しかし、この点についてRetroのCEO Betts-Lacroixは、現在の資金調達状況に関する質問への回答を控えている。
OpenAIはこれらの懸念に対し、Altman氏がこの研究プロジェクトに直接関与していないこと、また同社が彼の他の投資先との関係に基づいて意思決定を行うことはないと説明している。しかし、生命科学という人類の未来に直結する重要な研究分野において、営利企業の利害関係がどのように科学的成果や技術の公開性に影響を与えうるのかという根本的な問いは残されている。
技術面での不確実性も存在する。OpenAIの開発者Aaron Jaech氏は、この技術を既存の推論モデルに統合するか、独立したツールとして展開するかについて、まだ決定を下していないと述べている。また、モデルがどのようにしてタンパク質の改善案を導き出しているのかというメカニズムについても、開発チームは完全には理解できていない状況だ。
さらに、長寿研究という分野の特性上、倫理的な考察も重要となる。細胞の若返りや寿命延長技術の開発は、医療の進歩として期待される一方で、その恩恵の公平な分配や、社会システムへの影響など、慎重な検討を要する課題も含んでいる。特に、強力なAI技術と生命科学の融合は、従来の生命倫理の枠組みでは十分に対応できない新たな問題を提起する可能性がある。
Source
- MIT Technology Review: OpenAI has created an AI model for longevity science
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