人工知能や創薬、暗号解読――。これまで語られてきた量子コンピュータの応用分野に、新たな可能性が加わろうとしている。それは「意識」という人類最大の謎に迫ることだ。Google量子AI研究所とスタートアップが、この挑戦的な研究に着手している。
Google量子AI研究所が描く「意識と量子」の世界
Google量子AI研究所の創設者であるHartmut Neven氏は、人間の意識の本質に迫る大胆な仮説を提唱している。物理学者であり計算論的神経科学者でもある彼は、意識が量子力学的な現象から生まれる可能性に着目し、特に「量子もつれ」と「重ね合わせ」という二つの量子現象に注目する。「意識体験こそが、確実に存在する唯一の現象だ。心なくして、何も意味を持たない」とNevenは語る。
Neven氏の理論の中核には、量子力学の多世界解釈が据えられている。この解釈によれば、量子事象が発生するたびに現実が分岐し、並行宇宙が形成される。Neven氏は、人間の意識がこの多世界の特定の枝を体験するメカニズムである可能性を指摘する。さらに興味深いことに、量子もつれが神経科学における「結合問題」—脳が感覚入力を統一された体験として統合する仕組み—の解決策となる可能性も示唆している。「量子もつれは物理学において唯一の真の結合剤です。個々の要素が根本的に相互接続された全体的な状態を作り出すことを可能にします」とNevenは説明する。
この理論を実証するため、Neven氏の研究チームは「拡張プロトコル」と呼ばれる画期的な実験を計画している。この実験では、人間の脳を量子プロセッサ内の量子ビットと「もつれ」させることを試みる。具体的には、拡張されたシステム内で重ね合わせと崩壊を誘導し、参加者がより豊かな、あるいは変化した意識体験を報告するかを調査する。この実験が成功すれば、量子もつれが一時的に意識的な認識を強化する可能性があるというNeven氏の仮説が裏付けられることになる。
さらに、麻酔薬の研究からも興味深い証拠が得られつつある。例えば、キセノンなどの不活性ガスの同位体は、スピンなどの量子的性質のみが異なるにもかかわらず、麻酔効果に違いが見られるという。これは意識の発生と抑制に量子状態が関与している可能性を示唆する重要な発見だ。また、神経細胞内のマイクロチューブルと呼ばれるタンパク質構造が、生物学的な量子ビットとして機能する可能性も指摘されている。これは物理学者のRoger PenroseとStuart Hameroffによって提唱された理論を支持する証拠となりうる。
ただし、Neven氏は現時点での研究の限界も認識している。特に、人間の脳と量子コンピュータを非侵襲的に結合する方法の開発が技術的な課題となっている。核磁気共鳴などの技術が、脳組織内の量子状態を害することなく探査する手段として期待されているものの、これらの技術はまだ初期段階にあるという。「現時点では、これ以上の詳細を特定するには時期尚早です」とNeven氏は慎重な姿勢を示している。
スタートアップNirvanicの野心的な取り組み
一方、スタートアップのNirvanic Consciousness Technologiesは、量子コンピューティングと意識の関係性に、人工知能という新たな要素を加えて研究を進めている。同社は、意識を計算プロセスとして理解し、再現することを目指す。その理論的基盤として、PenroseとHameroffが提唱したORCH-OR理論を採用している。この理論によれば、脳内のマイクロチューブルで発生する量子現象により、生物は予測不可能なシナリオにおいて最適な判断を下すことができるとされる。
Nirvanicの創業者であるSuzanne Gildert氏は、人間の意識の特徴的な性質に着目する。人間は日常的な運転などの際には「オートパイロット」状態で行動できる一方で、突然の危険に遭遇した際には即座に完全な注意状態に切り替えることができる。同社は量子コンピューティング技術を活用し、このような適応的な意識状態の遷移を実現するAIシステムの開発を目指している。
「人々がAIを恐れているとすれば、それは実は無意識のAI、つまり予測不可能な人間環境に対応する能力を持たないAIへの不安なのです」とGildert氏は指摘する。従来の人工知能システムは事前に学習したモデルに依存しており、未知の入力への対応に苦心している。これに対してNirvanicは、量子コンピューティングの特性である重ね合わせや量子もつれを活用することで、人間の脳が行っているとされる量子プロセスを模倣し、複数の可能性を同時に評価できるシステムの実現を目指している。
特に注目すべきは、同社が目指す「人工意識」の実用的な応用範囲の広さだ。自動運転車の安全性向上から、より直感的な判断が求められるロボット介護、さらには産業用機器の高度な制御まで、その潜在的な影響は多岐にわたる。従来のAIが苦手としてきた、文脈や微妙なニュアンスの理解を必要とする場面で、量子コンピューティングを活用した意識的なAIがブレークスルーをもたらす可能性がある。
Gildert氏は自身のブログで「ロボット工学者であり量子物理学者として、脳における意識の計算処理は奇跡的なものに見えます」と述べている。この発言には、人工意識の開発が単なる技術的な課題解決を超えて、人間の意識の本質的な理解につながる可能性への期待が込められている。実際に、Nirvanicの研究は、AIシステムが人間の価値観と調和しながら行動するための基盤技術となる可能性を秘めている。
科学的な課題と倫理的な問いかけ
しかし、これらの研究には重要な課題が存在する。まず、意識に関する量子理論は依然として論争的であり、実証的な証拠が不足している。また、非侵襲的に人間の脳と量子コンピュータを結合する技術の開発も必要だ。
さらに、研究が進展した場合の倫理的な問題も浮上する。例えば、「強化された意識」へのアクセスをどのように管理するのか、それが社会的な不平等を助長する可能性はないのか、といった問いだ。
これらの挑戦的な研究は、まだ初期段階にある。しかし、量子コンピューティング、神経科学、人工知能という最先端の科学技術を組み合わせることで、人類最古の謎の一つである「意識」の解明に近づける可能性が開かれつつある。
Source
- Quantum Insider: Is Consciousness Research The Next Big Quantum Use Case?
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