台湾政府は、世界最大の半導体受託製造企業であるTSMCに対し、2nm(ナノメートル)プロセス技術を用いたチップの海外製造を認可した。台湾経済部のJ.W. Kuo部長が発表したこの決定は、従来の「シリコンシールド」戦略からの大きな転換を示すものとなる。
台湾政府による規制緩和の詳細と背景
台湾政府は長年、半導体産業を国家安全保障の要として位置づけ、特に最先端プロセス技術の国外流出を厳しく制限してきた。この規制の中核となっていたのが、国内半導体メーカーの海外工場における製造プロセスを、台湾国内の最先端製造拠点より1〜2世代遅れに制限するという「N+1/N+2ルール」である。この規制は特に中国での製造に対して厳格に適用され、台湾の技術的優位性を保護する重要な政策として機能してきた。
こうした規制の背景には「シリコンシールド(Silicon Shield)」と呼ばれる国家戦略がある。これは、世界の先端半導体製造能力を台湾に集中させることで、有事の際に同盟国からの支援を確実にする抑止力として機能させる考えだ。実際、現代の電子機器に不可欠な最先端半導体の製造において、TSMCは世界市場の圧倒的なシェアを握っており、この戦略は一定の効果を上げてきた。
しかし、J.W. Kuo経済部長が「それは古い時代のルールだった。時代は変わった」と述べたように、半導体産業を取り巻く国際環境は大きく変化している。特に米中対立の深刻化を背景に、半導体サプライチェーンの地理的分散化が世界的な課題となっている。さらに、世界のチップ設計企業の約6割が米国に集中している現状を踏まえると、顧客との地理的な近接性を確保することが競争力維持の観点から重要性を増している。
今回の規制緩和により、TSMCは世界各地で最先端プロセス技術を活用した製造施設を展開できるようになる。ただし、この決定は企業の事業判断を制限する従来の規制を撤廃するものであって、直ちに海外での2nmプロセス製造を義務付けるものではない。Kuo部長は、海外での先端プロセス製造には巨額の投資が必要となることから、各企業が市場需要や収益性を慎重に見極めたうえで判断を下すべきとの見解を示している。
この政策転換は、台湾が半導体産業における技術的優位性を維持しつつ、グローバルなサプライチェーンの再編に積極的に関与していく姿勢を示すものといえる。特に研究開発機能を引き続き台湾に置くことで、産業の技術的中核としての地位を確保しながら、製造拠点の国際展開を通じて新たな成長機会を追求する戦略への転換を図っているとみられる。
TSMCの米国投資計画への影響
TSMCは現在、アリゾナ州に総額650億ドルを投じ、3つの製造施設(Fab)を建設する計画を進めている。
- Fab 21 フェーズ1:4nmプロセス製造(現在稼働開始)
- Fab 21 フェーズ2:3nmプロセス製造(2028年稼働予定)
- Fab 21 フェーズ3:2nmプロセスおよび次世代プロセス製造(2020年代末までに稼働予定)
米国商務長官のGina Raimondoは、TSMCのアリゾナ工場がすでに4nmチップの製造を開始し、「収率と品質において台湾の工場と同等のレベル」に達していることを明らかにしている。
ただし、Kuo部長は、2nm製造施設の海外展開には280億から300億ドルという大規模な投資が必要となることを指摘し、TSMCが慎重な判断を行うことを示唆した。「これは米国からの要求があれば即座に応じるような性質の問題ではない」と述べ、企業の収益性と市場需要に基づく判断の重要性を強調している。
地政学的な影響と今後の展望
この政策転換は、グローバルな半導体産業の勢力図を塗り替える可能性を秘めたものだ。世界のチップ設計企業の約60%が米国に拠点を置くという現実は、TSMCの米国進出を促す重要な要因となった。しかし、この動きの背後には、より複雑な地政学的な力学が働いている。
台湾科技部のWu Cheng-wen部長は、海外での先端チップ製造が台湾の競争力を損なうことはないと強調している。その論拠として、研究開発機能が引き続き台湾に残ることを挙げているが、これは台湾が半導体産業における技術的主導権を維持しつつ、製造能力の地理的分散を通じてリスク低減を図る新たな戦略を採用していることを示唆している。
米国商務長官のGina Raimondo氏が、TSMCのアリゾナ工場における4nmチップ製造の開始を高く評価したことは、この戦略転換が米国の国家安全保障戦略とも合致することを示している。米国は半導体サプライチェーンの自国内回帰を重要政策として掲げており、TSMCの投資はCHIPS法による66億ドルの助成を受けることが決定している。
しかし、この展開に対する懸念も存在する。Donald Trump氏の再選可能性に関して、Kuo部長は「Trump氏の任期は4年間に限られ、その影響も限定的」との見方を示しているものの、米国の通商政策の急激な変更は台湾企業に重大な影響を及ぼす可能性がある。特に、中国との関係においてより強硬な姿勢をとる可能性のある次期政権下では、半導体産業を取り巻く環境が一層複雑化する可能性がある。
一方で、この政策転換は台湾の半導体産業が新たな段階に入ったことを示している。従来の「シリコンシールド」戦略は、最先端技術の台湾集中によって安全保障を確保する試みであったが、新たな戦略は技術開発の中核を維持しつつ、製造能力の国際展開を通じて産業基盤の強靭化を図るものといえる。
特筆すべきは、台湾企業が中国のサプライヤーに代わって米国企業への供給を拡大していることだ。米中貿易摩擦の影響で、多くの台湾企業が生産を台湾に回帰させたり、第三国に移転させたりする動きを加速させている。この傾向は、グローバルサプライチェーンの再編成における台湾の戦略的位置づけを一層強化する可能性がある。
長期的には、この政策転換が半導体産業のグローバルな競争力図式に与える影響を注視する必要がある。特に、研究開発機能の台湾維持と製造能力の国際展開という二軸戦略が、急速に変化する国際環境の中でどのように機能していくかが、今後の重要な観察ポイントとなるだろう。さらに、日本やドイツ、フィリピンとの協力を通じたグローバル半導体サプライチェーンの構築という台湾政府の構想が、どのように具現化されていくかも注目される。
Sources
- Taipei Times: Ministry lifts overseas limits on TSMC
- 経済日報
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