Appleは英国政府による暗号化データへのバックドア設置要求に対して、英国政府に対する法的手続きを開始した。調査権限審判所に持ち込まれたこの訴えは、2016年に制定された監視法「Snoopers’ Charter」の暗号化解除条項が初めて司法審査にかけられるケースとなり、テクノロジー企業とプライバシー擁護派は注目している。
政府秘密命令に対するAppleの異例の対抗措置
Financial Times(FT)の報道によると、Appleは英国の調査権限審判所(Investigatory Powers Tribunal、IPT)に法的控訴を提出した。この審判所は英国の情報機関や公的機関に対する苦情を審査する独立した司法機関である。複数の情報筋によれば、この控訴は2016年に制定された「調査権限法」(通称「Snoopers’ Charter」)に基づく暗号化解除要求が法廷で争われる初のケースとなる。
発端となったのは、英国内務省が2025年1月にAppleに対して発行した「技術的能力通知」(Technical Capability Notice、TCN)である。Washington Postの報道によれば、この通知はAppleに対し「世界中のAppleユーザーがクラウドにアップロードしたすべての暗号化コンテンツを閲覧できる全面的な能力」を持つバックドアを要求するものだった。
このTCNは技術的な実装方法の指示ではなく、単にiCloudへのバックドアアクセスを許可するよう命じるだけのものだったようだ。重要な点として、調査権限法のもとではこのような通知の存在や内容を開示することが禁じられており、内務省もその存在を「確認も否定もしない」姿勢を取っている。
対応として、Appleは2024年2月初めに英国ユーザー向けの高度なデータ保護機能(ADP)機能を無効化した。ADPは2022年に導入されたオプション機能で、iCloudにバックアップされるデータにエンドツーエンド暗号化(E2EE)を提供する。E2EEが有効だとAppleを含め誰もユーザーデータを閲覧できなくなるが、無効化されると、iCloudバックアップ、写真、メモなどのデータはAppleが法的要求に応じて閲覧・提供可能となる。ただし、iMessageや健康データなどは引き続き暗号化されたままとなる。
ADPを無効化したものの、Appleは完全なバックドア設置には一貫して反対姿勢を示している。「私たちは何度も言ってきたように、いかなる製品やサービスにもバックドアやマスターキーを作ったことはなく、これからも作ることはない」と同社は声明で強調している。
この控訴は2月、英国からADPを撤退させた頃に提出されたとみられるが、ケースの性質上、Appleは公にこれを議論できない状況にある。FTによれば、審理は早ければ今月にも行われる可能性があるが、政府は国家安全保障上の理由から審理の非公開を求める可能性が高い。
世界的影響を持つ暗号化とプライバシーの攻防
英国の「調査権限法」は2016年に制定され、テロ対策や重大犯罪対策を名目に法執行機関や情報機関に広範な監視権限を与えるものとして物議を醸してきた。セキュリティ大臣のDan Jarvisは先週議会で、同法に基づくユーザーデータへのアクセス要求は「例外的な基礎の上でのみ、そして必要かつ適切な場合にのみ」行われると弁明している。
Appleは2024年3月の証言で、この法律が「域外適用を主張し、英国政府が他国に所在するプロバイダーに秘密の要件を課し、そしてそれらが世界中のユーザーに適用されると主張することを認めている」と批判している。Appleと英国当局の間でこの問題に関する緊張は2022年のADP導入以来続いており、今回の対立は長期にわたる抗争の頂点とも言える。
この対立が注目される最大の理由は、技術的なバックドアが持つ根本的なセキュリティリスクにある。セキュリティ専門家は長年、「政府だけが使えるバックドア」という概念に懐疑的で、いかなる意図的な脆弱性も犯罪者やその他の悪意ある主体によって発見・悪用される可能性があると警告している。
また、本件は国際的な懸念も引き起こしている。米国のDonald Trump大統領がAppleに対する英国の扱いを中国の国家監視方法と比較したとされる。さらに、米国の国家情報長官Tulsi Gabbard氏は、英国のTCNが米国市民のデータ収集に使用される可能性を懸念し、法的レビューを命じたという。そのような利用は米英間の「クラウド法協定」に違反する恐れがある。
プライバシー擁護団体Big Brother Watchは英国政府の行動を「途方もない」「厳しい」ものと批判し、暗号化技術を「地下に追いやる」結果になりかねないと警告している。これにより、規制された合法的なアプリでは暗号化が弱められる一方、犯罪者は規制外の強力な暗号化ツールを利用し続けるという皮肉な状況が生まれる可能性がある。
今回のケースは、デジタル時代における国家安全保障とユーザープライバシーのバランスに関する重要な先例となる可能性が高い。調査権限審判所の決定は控訴裁判所で異議申し立て可能であるため、この法的戦いは長期化する見込みだ。FTによれば、IPTの判断がどうであれ、Appleは必要に応じてケースを上級裁判所にエスカレートさせる可能性がある。
Source
- Financial Times: Apple launches legal challenge to UK ‘back door’ order
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