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量子センサーがGPSを超える時代へ:Q-CTRLが世界初の「ジャミング不可能」なナビゲーション技術を実証

Y Kobayashi

2025年4月19日

GPSが使えない状況は、もはやSFの話ではない。増大する地政学的リスクや意図的な妨害により、航空機から自動運転車まで、現代社会の根幹を支えるGPS(全地球測位システム)の脆弱性が露呈している。この課題に対し、オーストラリアの量子技術スタートアップQ-CTRLが、量子センサーを用いた画期的なナビゲーションシステム「Ironstone Opal」を発表。実証実験において、従来のGPS代替手段を最大50倍も上回る精度を達成し、「量子優位性」を実世界で証明した。これは、GPSに依存しない安全な移動の新時代を告げる狼煙となるかもしれない。

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GPS依存社会の死角と量子技術の夜明け

我々の生活は、カーナビからスマートフォンの地図アプリ、航空機の運行管理、金融取引の時刻同期に至るまで、驚くほどGPSに依存している。しかし、その信号は微弱で、妨害(ジャミング)やなりすまし(スプーフィング)に対して脆弱である。

実際に、地政学的な緊張の高まりを背景に、GPS妨害は現実の脅威となっている。報道によれば、現在、1日に1,000便以上の航空機がGPS妨害による影響を受けているとされ、GPSが利用不能になった場合の経済的損失は1日あたり10億ドルを超えると試算されている。これは、経済活動だけでなく、安全保障上の重大な懸念でもある。

これまでGPSが使えない状況での主な代替手段は、航空機などに搭載されるINS(Inertial Navigation System:慣性航法装置)であった。INSは加速度センサーやジャイロスコープを用いて移動を検知し、自己位置を推定する。外部信号に依存しないため妨害には強いが、時間経過とともに誤差が累積するという根本的な課題を抱えており、長時間の精密なナビゲーションには限界があった。

こうした中、次世代の解決策として期待されているのが「量子技術」である。特に、極めて微細な物理現象を捉えることができる量子センサーは、新たなナビゲーションの可能性を切り開くと注目されてきた。そして今、Q-CTRLがその実用化に向けた大きな一歩を踏み出したのである。

Q-CTRL「Ironstone Opal」とは? – 地球の磁気を読む新技術

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今回、Q-CTRLが発表した量子センサーナビゲーションシステム「Ironstone Opal」は、GPSに代わる革新的なソリューションである。

Q-CTRLとは?
Q-CTRLは、2017年にMichael J. Biercuk博士によって設立された、オーストラリア・シドニーに拠点を置く量子技術企業である。量子コンピューティングや量子センシングにおけるソフトウェア開発をリードしており、IBM Quantum Networkの初期メンバーでもある。

Ironstone Opalの核心技術
Ironstone Opalの最大の特徴は、量子センサーを用いて地球固有の磁場(地磁気)の微細な変化を読み取る点にある。地球の地殻構造に由来する地磁気のわずかな乱れ(磁気異常)は、場所ごとに固有のパターンを持っており、これを「磁気ランドマーク」として利用する。

従来のセンサーでは、移動する乗り物からこの微弱で複雑な磁気ランドマークを安定して捉えることは困難だった。しかし、Q-CTRLが開発した量子センサーは、その極めて高い感度(<80fT/√Hz @ Earth’s field)と安定性によって、これを可能にした。フェムトテスラ(fT)は1000兆分の1テスラという微小な磁気の単位であり、その感度の高さがうかがえる。

妨害不能、検出不能
GPSとは異なり、Ironstone Opalは外部からの電波を受信するのではなく、自らが地球の磁場を「読む」だけである。そのため、原理的に妨害(ジャミング)やなりすまし(スプーフィング)の影響を受けない。さらに、自ら信号を発しない完全なパッシブシステムであるため、外部からその存在や位置を探知されることもない。これは、特に防衛用途において極めて重要な利点となる。

「ソフトウェア堅牢化ハードウェア」という発想
量子センサーは非常に高感度である一方、振動や温度変化、周囲の電子機器が発する電磁ノイズといった外部環境の影響を受けやすいという弱点があった。これが、実験室レベルの研究を実世界の応用に移行させる上での大きな障壁となっていた。

Q-CTRLはこの課題を、「ソフトウェア堅牢化ハードウェア (Software Ruggedized Hardware)」という独自のコンセプトで克服した。これは、高度なAI(人工知能)を活用した量子制御ソフトウェアによって、センサーが収集したデータから巧みにノイズを除去し、外部環境からの干渉の影響を最小限に抑える技術である。このソフトウェアは物理法則に基づいたモデルを利用し、プラットフォーム(航空機や車両)自身の磁気特性をリアルタイムで学習・補正することで、極めて高いノイズ除去性能を実現している。公開されている磁気飛行データを用いた競合アルゴリズムとの比較では、3倍優れた測位精度を15倍高速な学習速度で達成したという。

さらに、このソフトウェアによる高度な処理能力は、システムの小型化・軽量化・省電力化(SWaP: Size, Weight, and Power)にも貢献している。ハードウェアに依存していた機能をソフトウェアで代替することで、ドローンや自動運転車、さらには旅客機まで、ほぼあらゆる乗り物への搭載を可能にした。Ironstone Opalは、5ドルの紙幣よりも小さいサイズも実現可能だという。Q-CTRL製の量子磁気センサーヘッド自体も、重量約70g、体積144cm³、消費電力15W未満と小型・省電力である。

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実証実験でGPS代替を最大50倍上回る精度を達成

Q-CTRLは、Ironstone Opalの実用性を証明するため、オーストラリア国内で地上車両と航空機を用いた大規模なフィールドトライアルを実施した。

飛行試験:最大46倍の精度向上
飛行試験は、セスナ208Bグランドキャラバン機を使用し、地上付近から高度約19,000フィート(約5,800m)までの様々な高度と飛行パターンで、合計6,700km以上実施された。比較対象として、高精度な「戦略級INS」が用いられた。

結果は驚くべきものだった。外部(翼端など比較的ノイズの少ない場所)に設置した量子センサーを用いた場合、INSと比較して最大で約46倍優れた(誤差が小さい)測位精度を達成した。Q-CTRLのプレスリリースなどでは、最大50倍と報告されており、これは試験条件や評価方法の違いによる可能性があるが、いずれにせよ圧倒的な性能向上を示している。

特筆すべきは、航空機内部(貨物室などノイズの多い環境)にセンサーを設置した場合でも、INSに対して11倍から38倍優れた精度を維持したことである。これは、前述の「ソフトウェア堅牢化」技術がいかに効果的であるかを物語っている。

ある飛行試験では、最終的な測位誤差がわずか22メートル、これは総飛行距離のわずか0.006%に相当する精度であり、既存の他のGPS代替技術(ドップラーレーダー、ドップラー速度ライダー、視覚オドメトリなど)の公開されている数値を凌駕する結果となった。

地上試験:世界初の成功例か
さらにQ-CTRLは、標準的なレンタルのバンにシステムを搭載し、地上でのナビゲーション試験も実施した。地上車両は航空機よりもさらに振動や磁気ノイズが大きい過酷な環境であるが、ここでもINSと比較して約7倍優れた測位精度を達成した。Q-CTRLによれば、これは公に入手可能な磁気異常マップを用いた地上車両での磁気ナビゲーションとしては、世界で初めて成功したデモンストレーションである可能性があるという。

CEOのコメント
Q-CTRLの創設者兼CEOであるMichael J. Biercuk博士は、この成果について次のように述べている。「いくつかの試験では、1,000ヤード(約914メートル)離れた場所からターゲットの中心を射抜く射撃手に匹敵する精度を達成しました。さらに、我々の量子保証ナビゲーションシステムは、移動距離に関わらず車両が正確に自己位置を特定できるため、例えるなら、その射撃手はターゲットからどれだけ離れても同じ中心を射抜くことができるのです」。これは、INSのように時間経過で誤差が増大するのではなく、磁気マップと比較することで常に位置を補正できるMagNav(磁気ナビゲーション)の特性を指している。

「量子優位性」の実証
Q-CTRLは、今回の成果が「量子優位性(Quantum Advantage)」を達成したものであると強調している。量子優位性とは、量子技術を用いたソリューションが、現実的な条件下で、商業的に意味のあるタスクにおいて、従来の古典的な技術(この場合はINS)の性能を凌駕することを示す。

近年、特に量子コンピューティング分野で「量子超越性(Quantum Supremacy)」達成のニュースが話題となったが、それが直ちに実用的な問題解決につながるかは議論が分かれていた。しかし、今回のQ-CTRLの量子センサーナビゲーションは、防衛や輸送といった明確な市場ニーズに応える形で、実用的な量子優位性を初めて示した例と言える。これは、量子技術が単なる研究室レベルの夢物語ではなく、現実世界の問題を解決する力を持つことを示す重要なマイルストーンである。Boston Consulting Group(BCG)のJean-Francois Bobier氏も、「この技術は真に革新的であり、航空宇宙、防衛、自動運転車における増大する市場ニーズに応えるものだ」と評価している。

特殊な操作不要、即時利用も可能
従来の磁気ナビゲーションシステムの中には、飛行前に特殊なキャリブレーション(補正)のための飛行パターン(クローバーリーフ飛行など)を必要とするものがあった。しかし、Q-CTRLのシステムは、通常の飛行中にリアルタイムでプラットフォームの磁気特性を学習・適応するため、事前の特殊な操作は不要である。

さらに、一度学習したモデルを保存しておき、次回のミッション開始時に利用する「ウォームスタート」も可能であり、これによりGPSが利用不能になった直後から高精度なナビゲーションを開始できる。もちろん、事前情報なしで開始する「コールドスタート」でも、短時間で自己学習し、高い性能を発揮することが確認されている。これは運用上の大きな利点となる。

防衛から自動運転まで – 広がる応用分野と市場

Ironstone Opalが実現する、妨害されず、検出されず、高精度なナビゲーションは、極めて広範な分野に応用できる可能性を秘めている。

防衛・安全保障
最も期待される分野の一つが防衛である。GPSが利用できない、あるいは意図的に妨害される可能性のある敵対的な環境下での作戦行動において、信頼性の高いナビゲーション能力は死活問題となる。Q-CTRLは既に、オーストラリア国防省、イギリス海軍(DASAアクセラレーター経由)、アメリカ国防総省(DIUプログラム等)といった政府機関と協力し、防衛プラットフォーム向けの量子センシング技術を提供している。パッシブで検出不能という特性は、隠密性が求められる作戦にも最適である。

航空宇宙
民間航空分野でも活用が期待される。Q-CTRLは航空機製造大手のエアバス(Airbus)と協力し、商用航空向けの量子ナビゲーションソリューションに取り組んでいる。GPS信号が不安定になりやすい極地付近や、悪天候下でのナビゲーション精度向上、そして将来の自律運航に向けた基盤技術としての役割が考えられる。

自動運転・ドローン
高層ビル街やトンネル、地下駐車場など、GPS信号が届きにくい環境は自動運転車やドローンにとって大きな課題である。Ironstone Opalは、こうしたGPS難環境下での安定した自己位置推定を可能にし、自動運転の安全性と信頼性を飛躍的に向上させる可能性がある。小型・軽量であるため、小型ドローンへの搭載も容易である。

その他
船舶のナビゲーション、特にGPSが利用できない水中(潜水艦など)や、屋内でのナビゲーション、資源探査など、応用範囲は多岐にわたる。

市場の可能性
Boston Consulting Group(BCG)は、量子センシング市場が2030年までに30億米ドル規模に達すると予測しており、Q-CTRLの今回の成果は、その潜在能力を解き放つ先駆けとなるものと期待されている。

Q-CTRLのBiercuk CEOは、「量子センシングを研究室から現場へと導く世界的なパイオニアであることを誇りに思います。これは我々の最初の主要なシステムリリースであり、他の商用および防衛プラットフォーム向けに調整された新しい量子保証ナビゲーション技術を導入する中で、今後さらに多くのことが期待されます」と語っている。

技術的詳細と今後の課題

今回のQ-CTRLの発表は画期的であるが、さらなる発展のためにはいくつかの技術的側面と課題も理解しておく必要がある。

MagNav(磁気ナビゲーション)の仕組み
Ironstone Opalが用いるMagNavは、地球の地殻に由来する磁気異常のマップと、センサーでリアルタイムに計測した磁場データを比較することで自己位置を推定する。Q-CTRLのシステムは、公に入手可能な磁気異常マップ(例:EMAG2v3)と、国際標準地球磁場モデル(例:IGRF-13)を利用しているが、必要に応じてより高解像度の地域マップを追加することも可能である。

ソフトウェアによるノイズ除去の重要性
航空機の内部と外部(スティンガーマウント)で計測された磁気ノイズの差は明確である。内部のノイズ(RMS)は外部の約13倍大きいにもかかわらず、測位精度に大きな差がない。これは、Q-CTRLのソフトウェアがいかに強力にプラットフォーム由来のノイズを除去しているかを示唆している。

INSとの比較の妥当性
Q-CTRLが比較対象として戦略級INSを選んだ理由は、INSがMagNavと同様に「全天候型」「パッシブ」「妨害/なりすまし不能」という運用上の利点を共有する、最も関連性の高い古典技術だからである。サイズ、重量、消費電力(SWaP)の点でも同等レベルであり、公平な比較と言えるだろう。

今後の課題
実用化に向けては、いくつかの課題も残されている。

  1. 磁気マップの整備: 全地球をカバーする高精度・高解像度の磁気異常マップの整備、特に海洋部分のカバレッジ向上が重要となる。既存の公開マップには解像度や精度の限界、古いデータが含まれるといった問題がある。
  2. さらなる環境での検証: 商用旅客機の巡航高度(1万メートル以上)や、軍用機のような高機動環境、磁気異常が小さいとされる洋上での性能検証が今後の重要なステップとなる。
  3. 他のセンサーとの融合: MagNavは単独でも強力だが、光学センサー(カメラ)やライダーなど、他のナビゲーション技術と組み合わせることで、さらにロバストで高精度なシステムを構築できる可能性がある。

これらの課題はあるものの、Q-CTRLが示した量子センサーナビゲーションの驚異的な性能は、GPS依存からの脱却と、より安全で信頼性の高い移動社会の実現に向けた大きな希望を与えるものだ。量子技術が変える未来のナビゲーションは今後大きく発展していくと見られる。


論文

参考文献

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