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英政府「殺人予測アルゴリズム」開発か?データ利用巡り論争

Y Kobayashi

2025年4月11日

イギリス政府が、個人データを用いて将来の殺人事件や重大な暴力犯罪を犯す可能性のある人物を特定しようとする「殺人予測アルゴリズム」の開発を進めていることが明らかになった。市民自由団体はこの動きを「身も凍るようなディストピア的」と厳しく批判しており、使用されるデータの範囲やアルゴリズムの公平性を巡って激しい論争が巻き起こっている。政府側はあくまで研究目的であると強調しているが、プライバシーと倫理に関する深刻な懸念が提起されている。

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発覚の経緯と「殺人予測」プロジェクトの概要

この物議を醸すプロジェクトの存在は、市民自由団体「Statewatch」が情報公開法(Freedom of Information Act)に基づく請求を通じて入手した文書により明らかになった。当初「殺人予測プロジェクト(Homicide Prediction Project)」と呼ばれていたこの計画は、後に「リスク評価改善のためのデータ共有(Sharing Data to Improve Risk Assessment – SDIRA)」へと名称が変更された。

The Guardian紙によると、このプロジェクトはRishi Sunak氏が首相だった時期に首相官邸によって委託されたものだという。司法省(Ministry of Justice – MoJ)は、この研究が既存の犯罪者リスク評価ツールを改善し、最終的には公共の安全向上に貢献することを期待していると述べている。

プロジェクトには司法省、内務省(Home Office)、グレーター・マンチェスター警察(GMP)、ロンドン警視庁(Metropolitan Police)などが関与しており、ウェスト・ミッドランズ警察にも協力が打診されたと報じられている。

アルゴリズムは何を分析するのか? データ利用を巡る対立

この「殺人予測アルゴリズム」は、個人の様々なデータを分析し、将来的に殺人などの重大な暴力犯罪を犯すリスクを評価することを目指している。分析対象となるデータには、氏名、生年月日、性別、民族といった基本的な個人情報に加え、警察国家コンピュータ(Police National Computer – PNC)の識別番号などが含まれる。

さらに深刻な懸念を呼んでいるのが、機密性の高い個人情報の利用だ。Statewatchが入手した文書によると、「重要な予測力を持つと期待される」健康関連の指標として、精神衛生上の問題、依存症、自殺念慮や自傷行為、その他の脆弱性や障害に関するデータも処理対象となっている。

データが誰のものであるかという点で、政府とStatewatchの主張は真っ向から対立している。

  • Statewatchの主張: Statewatchは、プロジェクトで使用されるデータには、有罪判決を受けた犯罪者だけでなく、犯罪被害者、目撃者、行方不明者、保護対象者など、犯罪歴のない個人のデータも含まれると主張している。その根拠として、司法省とGMP間のデータ共有協定文書に、被害者として初めて記録された年齢(家庭内暴力を含む)や、警察と初めて接触した年齢といった項目が記載されていることを挙げている。データ規模は10万件から50万件にのぼるとされる。
  • 司法省の主張: 一方、司法省の報道官はこれを強く否定。「このプロジェクトは、保護観察下の人物が重大な暴力を犯すリスクをよりよく理解するのを助けるため、HM刑務所・保護観察局および警察が保有する有罪判決を受けた犯罪者に関する既存のデータを使用して設計されている」と述べ、研究目的であることを強調している。

この食い違いは、プロジェクトの倫理的な問題を考える上で極めて重要である。もしStatewatchの主張通り、犯罪を犯していない市民や助けを求めた被害者のデータまでが「殺人予測」のために利用されているとすれば、プライバシー侵害や人権上の問題はさらに深刻化する。

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「ディストピア的」批判とバイアスへの警鐘

Statewatchの研究者Sofia Lyall氏は、このプロジェクトを「身も凍るようなディストピア的な例」と呼び、厳しく批判している。「犯罪を『予測』するためのアルゴリズムシステムが本質的に欠陥を抱えていることは、研究によって繰り返し示されている」と彼女は指摘する。

特に懸念されているのが、アルゴリズムに組み込まれる可能性のあるバイアスだ。Lyall氏は「制度的に人種差別的な警察や内務省のデータを使用するこの最新モデルは、刑事司法制度の根底にある構造的差別を強化・拡大するだろう」と警告する。Statewatchのディレクター、Chris Jones氏も、「黒人やその他の少数民族、貧困層が警察のデータに過剰に現れていることは既に知られています。そのデータを使って予測やプロファイルに関するツールを作成すれば、そのデータに含まれるバイアスが再現されるでしょう」と述べている。

つまり、既存の社会的な不平等や警察活動における偏りがデータに反映され、そのデータで学習したAIが特定のコミュニティ(特に人種的マイノリティや低所得層)を不当に危険視し、「殺人者予備軍」としてプロファイリングしてしまうリスクがあるのだ。

Lyall氏はさらに、「精神衛生、依存症、障害に関する機密性の高いデータを使用することは、非常に侵害的で憂慮すべきことです」と、個人情報の取り扱いに対する懸念も表明している。

政府の反論:「研究目的」と既存ツールの延長

司法省は、こうした批判に対し、プロジェクトはあくまで「研究目的のみ」であると繰り返し主張している。「人々が何かをする前に犯罪者としてプロファイリングしようとする試みと表現するのは不正確だ」と報道官は述べている。

政府側の説明によれば、このプロジェクトは、イギリスの刑事司法制度で既に長年使用されているリスク評価ツールを発展させる試みの一環であるという。例えば、2001年に導入された「犯罪者評価システム(Offender Assessment System – OASys)」は、受刑者の再犯リスクを評価し、判決や刑務所内での処遇決定に利用されている。今回のプロジェクトは、警察や拘留データといった新たな情報源を加えることで、既存のリスク評価の精度を向上させられるかどうかを検証するものだと位置づけられている。

しかし、StatewatchのJones氏はこの説明に納得していない。「このプロジェクトのまさに要点は、個人や特定の集団を見て、彼らが殺人を犯すリスクがどの程度あるかを解明することだ。それがプロファイリングでなくて何だというのか」と彼は反論する。

さらに、Statewatchが入手した文書にはシステムの「将来の運用化」についての言及もあったとされ、「研究目的のみ」という政府の説明に疑問を投げかけている。

『マイノリティ・リポート』が現実に? 国際的な文脈

このイギリスの動きは、SF映画『マイノリティ・リポート』(2002年)で描かれたような、犯罪が起こる前に犯人を特定・拘束する社会を想起させると指摘されている。

同様の試みは世界各地で見られる。

  • 韓国: AIが監視カメラ映像を分析し、犯罪の兆候を検知して未然防止を目指す「Dejaview」システムが開発されている。
  • 中国: 市民のプロファイルを構築し、反体制派や犯罪者を事前に予測するシステムの開発が報じられたことがある。
  • 研究レベル: 2022年には、米国の大学研究者が1週間先の犯罪を90%の精度で予測できるアルゴリズムを開発したと発表した。

これらの「予測的ポリシング(Predictive Policing)」と呼ばれる技術は、効率的な治安維持への期待がある一方で、常にバイアス、透明性の欠如、人権侵害といった深刻な倫理的問題を伴ってきた。イギリスの今回のプロジェクトも、こうした国際的な潮流と課題の中に位置づけられる。

今後の展望と残された問い

Statewatchが入手した文書によれば、このプロジェクトは当初2024年12月に終了予定だったが、現在も進行中であるという。司法省は、研究結果は「追って公表される」としている。

データ対象者のプライバシーは保護されており、匿名化されているため個人が特定される可能性はないとされているが、そもそも本人の同意なく、特に被害者や犯罪歴のない人物のデータが「殺人予測」という目的に使われること自体の是非が問われている。

このイギリスの「殺人予測アルゴリズム」開発は、テクノロジーがもたらす潜在的な利益と、それが個人の自由や社会の公平性に与える深刻なリスクとの間で、私たちがどのようにバランスを取るべきかという、根本的な問いを突きつけている。効率性や安全性の追求が、一部の人々に対する不当な監視や差別を正当化することはないだろうか。今後の研究結果の公表と、それに対する社会的な議論の行方が注目される。


Sources

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