中国の研究チームが、従来のハードディスクの約6倍の情報密度を持ち、分子レベルで暗号化機能を実装した革新的な「分子HDD」技術を開発した。『Nature Communications』誌に発表されたこの技術は、将来的に100TB以上の大容量ストレージを実現する可能性を秘めている。
革新的な分子HDDの概念と開発
上海交通大学、吉林大学、山西師範大学などの中国の研究機関による共同研究チームは、有機金属錯体分子(OCM)を用いた「分子ハードディスク」(分子HDD)という概念を提案した。この研究は『Nature Communications』誌に2025年2月に発表された。
このシステムでは、ルテニウムベースの有機金属錯体分子「RuXLPH」約200個を自己組織化単分子層(SAM)として配置。従来の磁気HDDがヘッドを使って磁性体に情報を書き込むのと同様に、分子HDDでは伝導性原子間力顕微鏡(C-AFM)チップをプログラミングヘッドとして使用し、分子の物理化学的状態を変化させてデジタル情報を記録するという。

分子レベルの情報保存メカニズム
RuXLPH分子は、カルバゾリルターピリジン(CTP)という有機キャップ配位子、酸化還元活性のあるルテニウムカチオン(Rux+)、テルピリジルホスホネート(TPP)というアンカリング配位子、そして移動可能な塩化物アニオン(Cl-)から構成されている。
これらの分子に電場を加えると、二つの重要な現象が発生する。一つは金属カチオンと有機配位子の間の酸化還元反応(電子の授受による化学状態の変化)であり、もう一つは塩化物アニオンの局所的な移動だ。
具体的には以下の反応が起こる:
Ru2+ + (CTP/TPP)+ + 3Cl- ⇔ Rux+ + (CTP/TPP)(3-x)+ + 3Cl- ⇔ Ru3+ + (CTP/TPP)0 + 3Cl-
同時に、塩化物アニオンが電場によって方向性を持って移動し、SAM層の表面近くに蓄積する。これによって内部電位が生じ、分子に加わる正味の電場が変化する。酸化還元反応とイオン移動の総合的な効果により、分子のエネルギーバンドギャップ(電子が移動するために越えなければならないエネルギー障壁)が変化し、その結果として電気伝導度が連続的に変動する。この変化を利用してデジタル情報を記録・読み取りするのが分子HDDの基本原理である。

論文の共著者であるGang Liu氏らのチームは、X線光電子分光法(XPS)と圧電力顕微鏡(PFM)を用いた実験、そして分子シミュレーションによって、この動作メカニズムを確認した。
96状態メモリによる高密度化の実現
この技術の最も注目すべき特徴は、分子が96の異なる伝導状態を実現できることだ。これは6ビットのストレージに相当し、マルチレベルセルNANDフラッシュメモリに類似している。一般的なNANDフラッシュではヘキサレベルセル(6ビット、64状態)やヘプタレベルセル(7ビット、128状態)が研究されているが、分子HDDの96状態はこれらに匹敵する。
この特性により、従来の2値(バイナリ)磁気ハードディスクと比較して、同じ情報を保存するのに必要なディスク容量を16.7%(1/6)に削減できる計算になる。200の自己組織化RuXLPH分子に6ビットのデータを格納する場合、記録密度は約9.6Gbit/inch²に達する可能性があるのだ。
さらに、この分子HDDは読み書き時にピコワット(pW)レベルの超低電力で動作する。研究チームによれば、ピーク電力消費はわずか約690pWであり、理論的には極限的な状況では約2.94pWまで低減できる可能性がある。
分子レベルでの暗号化機能
分子HDDのもう一つの革新的な特徴は、ビット単位の論理操作によるデータの内蔵暗号化機能である。従来のメモリスティブデバイスでは、排他的論理和(XOR)演算を実行するのに通常2つのユニットが必要だが、RuXLPH分子の対称的なスイッチング特性を利用することで、単一のユニットでXOR演算を実行できる。
XOR演算は暗号化に広く使用される基本的な論理操作で、二つの入力が同じ場合は「0」、異なる場合は「1」を出力する。この操作を繰り返し適用することで、データを安全に暗号化・復号化できる。
研究チームは、敦煌莫高窟の壁画のデジタル画像を用いて、この暗号化機能のデモンストレーションを行った。具体的には:
- 壁画画像を128×128(16kピクセル)の画像に圧縮
- 赤(R)、緑(G)、青(B)の3つの単色画像に分解
- 各ピクセルの情報を6ビットの2進数で表現
- ランダムな暗号化キーとのXOR操作によって暗号化
- 必要に応じて同じキーで復号化
従来の磁気HDDでは、1ピクセルの情報を保存するのに18(6×3)ユニットが必要だが、分子HDDでは3ユニットで済む。これにより、128×128ピクセルの壁画画像全体を保存するのに必要なユニット数が294,912から49,152に大幅に削減される。
実用化への課題と展望
この技術の実用化には複数の課題が存在する。最も深刻なのはC-AFMチップの短い寿命である。これらのチップは間欠的なタッチモード(タッピングモード)で50〜200時間、連続タッチモードでは5〜50時間しか持たない。より長持ちするC-AFMチップが開発されない限り、大規模なストレージアプリケーションでの実用化は難しいと考えられる。
もう一つの課題は環境湿度の影響だ。論文によれば、環境湿度はRuXLPH SAMサンプルの電気的性能に大きく影響するため、実用化には適切なカプセル化が必要とされる。
競争面では、この技術が実用化される頃には、従来の磁気HDDメーカーがHDMR(熱アシスト磁気記録とビットパターンメディアを組み合わせた)技術を用いた120TB以上の容量を持つHDDの量産化に既に成功している可能性だ。このようなHDDは2030年代に登場すると予測されている。
しかし、分子HDDは内蔵暗号化機能という独自の強みを持っている。ビット単位のXOR操作による暗号化は、分子レベルで安全にデータをエンコードし、不正アクセスを防ぐことができる。
研究チームは将来的な発展として、分子設計と合成戦略の改良、カスタマイズ分子の配置、柔軟な基板の使用により、この分子HDDが「フロッピーディスク」のように進化し、高密度で高セキュリティのポータブルデジタルガジェットになる可能性も示唆している。
データストレージ産業への影響
この技術の課題が克服され実用化されれば、データストレージ産業に大きな変革をもたらす可能性がある。特に、データセンターにおける機密情報の冷蔵保管(コールドストレージ)においては、高メモリ密度によるビットコスト低減と、ハッキング防止のための高セキュリティが同時に求められている。分子HDDはこの両方の要件を満たす可能性がある。
読み書き時の超低電力消費も、エネルギー効率を重視する現代のデータセンターにとって魅力的な特徴だ。ただし、実際のドライブではディスクを回転させるためのモーターが依然として電力を消費するため、全体の電力消費は従来のHDDと同等になる可能性がある。
分子HDDは現状では研究段階にあり、実用化までには多くの課題を克服する必要がある。しかし、この技術は将来的に磁気テープストレージや次世代HDDの密度を上回る可能性を秘めており、ストレージ技術の新たな地平を切り開く可能性がある。
論文
- Nature Communications: Molecular HDD logic for encrypted massive data storage
参考文献
- Blocks&Files: Chinese scientists spin molecular hard disk drive idea
コメント
コメント一覧 (1件)
QLCのSSDの読み書きが高速化されて、100TBに達する方が早いような気もしますが……。