ユトレヒト大学と韓国の西江大学の研究者らは、我々人間の脳を構築するシナプスのように、塩と水で動作する「人工シナプス」の構築に成功した事を報告した。これは、イオントロニック・ニューロモーフィック・コンピューティングの発展における重要な一歩である。
ニューロモーフィック・コンピューティングは、AI全盛の時代において、データ処理の新しいパラダイムを提示する物と期待されている。現在我々が用いているコンピュータは、スマートフォンからPC、大規模なサーバー、スーパーコンピューターまで、そのほとんどはノイマン型アーキテクチャに依存している。だが、ノイマン型アーキテクチャは、その根本的な仕組みから来る問題により、進歩の袋小路に入ろうとしており、早晩性能向上が頭打ちになる可能性が示唆されている。これを「フォン・ノイマン・ボトルネック」と言うが、これは、これから大いに進歩が期待されるAIにとって大きな問題となる。
そこで研究者らは、ノイマン型から切り替え、全く新たな原理に基づくAIチップを開発し、それによる性能向上を企図している。彼らが目を付けたのが“人間の脳”だ。ご承知のように最先端のスーパーコンピューターでも人間の脳の複雑さは再現できておらず、その消費電力は比べるべくもない。IntelやIBMなどは、こうした人間の脳の働きを模倣した「ニューロモーフィック・チップ(脳型チップ)」の開発を進めている。
人間の脳を動かすのに必要なのは、わずかな水と塩だけである。その仕組みが分かれば、人工的にそれを再現できるはずだと研究者らは考えた。
研究者らは長い間、人間の脳の機能を反映した人工的なシステムを構築する方法を考えてきた。イオントロニック・ニューロモーフィック・コンピューティングは、生物が持つイオン演算システムを研究する新しい分野である。
今回初めて、この理論的な可能性を現実にするための具体的な一歩が踏み出されたわけだ。その鍵は、話す、歩く、食べる、考えるといった指令を身体に送るニューロン間の信号を伝達する脳のシナプスにあることが判明した。彼らは150×200マイクロメートルという、極々小さなシナプスを作った。
ユトレヒト大学理論物理学研究所および数学研究所の博士候補生で、この研究の筆頭著者でもあるTim Kamsma氏は、「私たちは、脳と同じ媒体を用いたシステムを使って、神経細胞の行動を効果的に再現しています」と語った。
イオントロニック・メムリスターと呼ばれるこの人工シナプスは、水と塩の溶液で満たされた円錐形のマイクロチャンネルで構成されている。電気インパルスを受けると、液体中のイオンがチャネルを通って移動し、イオン濃度が変化する。インパルスの強さ(または持続時間)に応じて、チャネルの伝導率が調整され、ニューロン間の結合の強弱が反映される。伝導率の変化の程度は、入力信号の測定可能な表現として機能する。
さらに、チャネルの長さが、濃度変化が消散するのに必要な時間に影響を与えることもわかった。このことは、さまざまな時間、情報を保持し処理するためにチャネルを調整する可能性を示唆しているという。
この発見は、Kamsma氏のアイデアに基づく。彼は、人工的なイオン・チャネルを分類作業に利用することを中心としたこのコンセプトを、強固な理論モデルに作り変えたのだ。
「理論的な推測から具体的な現実の成果への移行を目の当たりにし、最終的にこのような美しい実験結果が得られたことは、非常に喜ばしいことです」と、Kamsma氏は述べている。
イオントロニック・ニューロモーフィック・コンピューティングは、最近になってようやくブレイクしたばかりだが、急速なペースで発展している。生物がすでに持っているもの(脳)よりも優れたコンピューターは存在しない。
今回発表された人工シナプスに関する研究は、コンピューターの未来にとって重要な一歩である。
「コンピュータが人間の脳のコミュニケーションパターンを模倣できるだけでなく、同じ媒体を利用できるようになるための重要な進歩を意味します。おそらく、これは最終的に、人間の脳の並外れた能力をより忠実に再現するコンピューティング・システムへの道を開くことになるでしょう」。
論文
- Proceedings of the National Academy of Sciences: Brain-inspired computing with fluidic iontronic nanochannels
参考文献
- Utrecht University: First experimental proof for brain-like computer with water and salt
研究の要旨
脳の驚くべき効率的な情報処理能力は、脳から着想を得た(ニューロモーフィック)コンピューティング・パラダイムの研究を推進している。人工水性イオンチャネルは、脳の流体イオン輸送を直接模倣することで、従来の固体デバイスとは一線を画すニューロモルフィック・コンピューティングのエキサイティングなプラットフォームとして台頭してきている。定量的な理論モデルに裏付けされた、コロイド構造の間に流体ナノチャネルの導電ネットワークを埋め込んだ、容易に作製可能なテーパーマイクロチャネルを紹介する。過渡的な塩濃度分極により、我々のデバイスは揮発性メミリスタ(メモリ抵抗器)であり、極めて安定である。濃度分極を支える電圧駆動の塩の正味の流束と蓄積は、驚くべきことに、拡散のようなメモリー保持時間のチャネル長に対する二次依存性に結合し、特定の時間スケールでのチャネル設計を可能にする。このデバイスは、ニューロモーフィック・リザーバー・コンピューティングのためのシナプス素子として実装される。個々のチャンネルは様々な時系列を区別し、それらは一緒になって(手書きの)数字を表し、単純な読み出し関数でその後のin silico分類を行う。われわれの成果は、脳の豊かな水性ダイナミクスをエミュレートするプラットフォームとしての流体イオンチャネルの有望性を実現するための重要な一歩である。
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