半導体設計の知的財産権(IP)ライセンスを提供する英Armが、ライセンス料を最大300%引き上げる長期戦略を推進していることが明らかになった。さらに、同社は顧客との競合も辞さない姿勢を示し、独自チップの開発も検討しているという。
価格戦略の詳細
Reutersが、Qualcommとの紛争で提出された裁判資料や匿名の幹部からの証言等に基づいて報じている所では、Armの長期的な価格戦略は2019年に始動した「Picassoプロジェクト」に端を発するという。このプロジェクトは、今後10年間でスマートフォン関連の年間収益を10億ドル増加させることを目標に掲げている。SoftBankグループが90%の株式を保有するArmにとって、この野心的な収益拡大計画は、現在の事業モデルを根本から見直す転換点となっている。
特筆すべきは、最新のArmv9アーキテクチャを採用した事前設計のチップコンポーネントに対するロイヤリティ料率を最大300%引き上げる計画だ。この価格戦略の中核となっているのが、コンピュートサブシステム(CSS)IPパッケージの提供である。CSSは高性能CPUと省電力GPUのIPを組み合わせたもので、Armのパートナー企業がクライアントデバイスやデータセンター向けのプロセッサを、従来よりも大幅に短い期間で開発することを可能にする。
この価格戦略の特徴は、単なる料率の引き上げではなく、より完成度の高い設計の提供によって付加価値を高めている点にある。Armは従来、命令セットアーキテクチャ(ISA)やプロセッサコンポーネントの設計をライセンス供与してきたが、新戦略ではチップ設計のより多くの部分を提供することで、顧客企業の開発負担を軽減しつつ、自社の収益性を向上させる構造を目指している。
しかし、この戦略には課題も存在する。AppleやQualcommのような技術力の高い企業は、Armのアーキテクチャを基にして独自のチップ設計を行う能力を有しており、必ずしも高額な事前設計パッケージを必要としない。そのため、価格引き上げの影響は、主に中小規模の半導体企業や、新規にチップ開発に参入する企業に対して大きくなることが予想される。
Armの2024会計年度の売上高は32億3000万ドルであり、同社の技術を利用するAppleのハードウェア製品収入と比較すると90分の1以下に留まっている。この収益規模と比較した場合、300%という大幅な価格引き上げは、長年維持してきた低価格モデルからの大きな転換を示唆している。ただし、この価格戦略は段階的に実施される見通しで、市場の反応を見ながら柔軟に調整される可能性も残されている。
戦略転換の背景と野心的な展開
Armの戦略転換の契機となったのは、主要顧客との関係性の変化だった。2019年後半、当時のCEOであったSimon Segars氏は、QualcommがArmの事前設計プラットフォームを使用することで合意したとSoftBankのMasayoshi Son会長に報告している。この合意は、同社の新たな収益モデルへの移行を象徴する重要な一歩となるはずだった。
しかし、この計画は予期せぬ展開を迎える。Qualcommが2021年に高性能CPUの設計能力と優秀な開発チームを持つNuviaを買収したことで、状況は一変した。Nuviaの獲得により、Qualcommは事前設計プラットフォームへの依存度を低減させる道を選択。これにより、AppleとQualcommは共に、完成されたCPUコアやコンピュートサブシステム(CSS)設計ではなく、Armのインストラクションセットアーキテクチャ(ISA)のみを使用する形態へと移行した。この変更は、Armにとって大幅な収入減少を意味した。
この状況を打開するため、現CEOのRene Haas氏は2022年、さらに踏み込んだ戦略的転換を提案する。それは、システムインパッケージ(SiP)構築に使用可能な完成品チップレットの直接販売という、同社にとって画期的な事業展開だった。この提案の革新性は、単なる設計図面の提供から、実際の半導体製品の販売への転換を示唆している点にある。
新戦略の重要な特徴は、新規参入企業への門戸開放にある。完成品チップレットの提供により、新規パートナーは差別化IPの開発にリソースを集中できるようになる。これは特に、独自の半導体設計能力を持たない企業にとって、市場参入の障壁を大幅に下げる効果が期待される。
しかし、この戦略には大きなリスクも伴う。完成品チップレットの販売は、MediaTekやQualcommが設計するプロセッサーと直接的な競合関係に入ることを意味する。2021年12月の社内コミュニケーションで、HaasはQualcommのような既存顧客が苦境に立たされる可能性について言及しており、この戦略転換が既存の取引関係に重大な影響を及ぼす可能性を認識していた。
さらに、Armの野心は既存顧客との関係にも変化をもたらしている。2022年10月、SonとHaasはSamsungの幹部陣と会談し、その場でSonはQualcommのArmライセンスが2025年に期限切れを迎えると述べた。この発言は、SamsungがQualcommとの3年間のチップ供給契約を2年に短縮するという結果をもたらした。これは、Armの新戦略が既に市場の力学に影響を及ぼし始めていることを示す具体例といえる。
このように、Armの戦略転換は、単なる価格政策の変更を超えて、半導体業界の勢力図を塗り替える可能性を秘めている。2024会計年度の売上高が32億3000万ドルに留まる現状から、主要顧客であるAppleのハードウェア製品収入の90分の1以下という規模を打破し、より積極的な収益成長を目指す同社の決意が、この大胆な戦略転換に表れているといえるだろう。
業界への影響
新戦略は、従来のライセンスモデルを超えた成長を目指すArmの野心を反映している。同社はスマートフォン市場を超え、PCやデータセンター市場での成長も視野に入れている。その一環として、AMDやIntelと同様、Samsungなどのデバイスメーカーとの関係強化も進めている。
しかし、この戦略的転換は既に顧客の懸念を引き起こしている。特に、完成品チップレットの開発は、現在の主要顧客との関係に重大な影響を及ぼす可能性がありそうだ。
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