AI技術を活用したワンクリックショッピングを実現するとして5000万ドル以上の資金を集めたスタートアップ「Nate」の創業者Albert Saniger氏が、実際にはフィリピンとルーマニアの人間労働者がバックエンドで作業していた事実を隠蔽し、投資家を欺いたとして米司法省に詐欺罪で起訴された。この事件はAI技術の誇張が問題視される業界において、投資家がほぼ全額の損失を被る結果となった。
「AI駆動型」の裏に隠された人海戦術
2018年に設立されたNateは、AI(人工知能)技術を用いて、あらゆる電子商取引(eコマース)サイトでの購入プロセスをワンクリックで完結させる「ユニバーサルチェックアウト」アプリを提供すると謳っていた。ユーザーが商品を選び「購入」をタップすれば、AIがサイズ選択、請求・配送先情報の入力、購入確定までを自動で行うという触れ込みだった。
しかし米司法省(DOJ)の調査によると、このサービスは宣伝されていたようなAI技術ではなく、主にフィリピンとルーマニアのコールセンターで働く数百人の請負業者によって手動で処理されていたことが明らかになった。
投資家への虚偽説明
起訴状[PDF]によると、創業者兼CEO(当時)のAlbert Saniger氏は、投資家に対してNateの技術力を繰り返し誇張していた。
- AI技術: Nateは「人間の介入なしにオンライン取引が可能」であり、独自の「インテリジェント・オートメーション」「人工知能」技術を使用していると説明。競合他社が使うような単純な「ダムボット」ではなく、NateのAIは「Webコードを理解し、どこをクリックし、何を記入すべきかを判断する」と主張していた。
- 高度なモデル: あるベンチャーキャピタル(起訴状内で”Investment Firm-1″)に対しては、Nateが「カスタムビルド」の「ディープラーニングモデル」を使用し、「長期短期記憶、自然言語処理、強化学習のミックス」を利用していると説明。「ニューラルネットワークが何をすべきか決定し、予測ツールに指示を送る」と語っていたとされる。
- 処理能力と自動化率: このAIにより、商品は3秒未満で購入でき、1日に最大10,000件の取引を処理可能だと主張。さらに、投資契約締結の直前には、NateのAI技術による取引成功率は社内テストで「93%から97%の範囲」だと伝えていた。
「実質ゼロ」だったAI自動化率
しかし、DOJはこれらの説明は虚偽であり、Saniger氏はNateが高度なAI技術によって支えられていないことを「よく知っていた」と指摘する。起訴状によれば、Nateが第三者からAI技術を取得し、データサイエンティストのチームを雇って開発を進めたものの、「NateのAIは一貫してeコマース購入を完了する能力を決して達成しなかった」とのことだ。
驚くべきことに、DOJは「実際の自動化率は実質的に0%」と断じている。社内のシニア従業員も「会社の自動化率は0%で停滞したまま」であり、「自動化率は本質的に0….」であることをSaniger氏に伝えていたにも関わらず、彼はこの現実を投資家やほとんどの従業員から隠蔽したとされる。
隠蔽工作の実態
Saniger氏は、Nateが海外の請負業者に依存している事実が、AIに関する自身の虚偽の主張を露呈させることを理解していたため、その事実を隠すための措置を講じていたと起訴状は述べている。
- 従業員に対し、手動チームの存在について他の従業員とさえ話さないよう指示。
- 手動チームで働く請負業者に対し、ソーシャルメディアからNateへの言及を削除させた。
- 自動化率を示す社内の「自動化率ダッシュボード」へのアクセスを制限し、その理由を「企業秘密」などと偽って説明。
- 投資家や見込み投資家がNateアプリを通じて行う取引については、フィリピンの請負業者に優先的に処理させ、最も迅速で信頼性の高いサービスを体験できるようにしていた。
さらに、Nateは「単純なボット」は使わないと繰り返し主張していたにも関わらず、2021年秋、繁忙期であるホリデーシーズンの需要増に手動チームでは対応できない懸念から、Saniger氏は自動化チームに「ボット」の開発を指示。これらのボットは、手動チームと並行して、AI技術によるものと偽って購入処理に使用された。このボット開発についても投資家には開示されなかった。
「AIウォッシング」の代償:Nate事件の背景と業界への警鐘
Nateは、その「革新的なAI技術」を売り文句に、著名なベンチャーキャピタルから多額の資金を調達することに成功した。Coatue、Forerunner Ventures、そしてRenegade Partnersがリードした2021年のシリーズAラウンド(3800万ドル)を含め、総額で5000万ドル以上を集めたとされる。この資金調達の成功は、Saniger氏の虚偽の説明に大きく依存していたとDOJは見ている。
先行報道と会社の破綻
Nateの人力依存については、実は2022年6月にはテクノロジーメディア「The Information」が調査報道で指摘していた。同誌は関係者の話として、2021年におけるNateの手動処理取引の割合が60%から100%の間で変動していたと報じている。この報道後も、Saniger氏は投資家に対し、Nateが人力に依存しているのは「支払いリスク」「データラベリング」「強化学習トレーニング」「特定のエッジケースでの購入完了」のためだけであると虚偽の説明を続けていたとされる。
しかし、結局Nateは機能するAIを開発・展開することができず、2023年1月頃に資金が枯渇。会社は資産の売却を余儀なくされ、投資家は「ほぼ全損失」を被る結果となった。
創業者と今後の展開
Saniger氏(35歳、スペイン・バルセロナ出身)は、2023年にはNateのCEOを退任していたことがLinkedInプロフィールから示唆されている。現在はニューヨークを拠点とするベンチャーキャピタル「Buttercore Partners」のマネージングパートナーとしてリストされている。
彼は、証券詐欺罪(Securities Fraud)と通信詐欺罪(Wire Fraud)で起訴されており、有罪となればそれぞれ最高で懲役20年の刑が科される可能性がある。TechCrunchによると、Saniger氏およびButtercore Partnersはコメントの要請に応じていない。
繰り返される「AIウォッシング」
Nateの事例は、AI技術の実態を偽って資金や注目を集めようとする、いわゆる「AIウォッシング」と呼ばれる問題の一例と言える。過去にも同様の事例が報告されている。
- Presto Automation: ファストフードのドライブスルー向けAI音声注文システムを提供すると謳っていたが、2023年のSEC提出書類で、注文の約73%がフィリピンなどの遠隔地のオペレーターによって支援されていたことを明らかにした(The Verge報道)。
- EvenUp: 法律技術分野のAIユニコーン企業とされていたが、実際には請求書作成などの作業の多くを人間が行っていたとBusiness Insiderが報じた。
これらの事例は、AIへの期待が過熱する中で、技術の実態とマーケティング上の主張との間に大きな乖離が生じやすいことを示唆している。特にスタートアップ界隈では、革新性をアピールするためにAIという言葉が安易に使われる傾向がないとは言えない。
今回のNateの事件は、単なるスタートアップの失敗談にとどまらない。投資家にとってはデューデリジェンス(投資先の適正評価)の重要性を、そしてテクノロジー業界全体にとっては技術に関する透明性と誠実さの必要性を改めて突きつけるものとなった。AI技術の健全な発展のためにも、このような偽装が許されないという厳しい姿勢が求められる。
Sources
- United States Attorney’s Office Southern District of New York: Tech CEO Charged In Artificial Intelligence Investment Fraud Scheme
- TechCrunch: Fintech founder charged with fraud after ‘AI’ shopping app found to be powered by humans in the Philippines