米データ分析企業Palantirの最高技術責任者(CTO)を務めるShyam Sankar氏が、AIによるがん治療の進歩を信じ、その自信を示すために喫煙を始めたAI研究者がいると発言し、注目を集めている。10月11日に放送されたCBSの番組『Face the Nation』での発言で、CBSが公開したインタビューの書き起こしでも確認できる。ただし、実際にそのような研究者がどれほどいるのか、発言の裏付けとなる調査や具体的な事例は示されていない。
この奇妙な逸話が浮き彫りにするのは、AIによる医療の進歩への期待を、どこまで現在の行動の根拠にしてよいのかという問題だ。AIを使ってがん患者の生存を予測する研究や、AIが設計した新薬の臨床試験は実際に進んでいる。しかし、それぞれの研究で実証された成果は異なり、将来の治療効果まで保証するものではない。AIが医療を大きく変えるとしても、治療の有効性と安全性を人体で確かめるために必要な時間を無視することはできない。
「AIががんを治すから喫煙する」という研究者は本当にいるのか
Sankar氏が紹介したのは、AI研究者の間で、将来の医療技術に対する強い信頼を示すために喫煙を始める人がいるという話だった。同氏はこれを、AIを過度に信奉する風潮の一例として挙げている。
もっとも、この発言だけで、実際にそのような行動を取った研究者がいると確認できたわけではない。具体的な人物や調査結果は示されておらず、AI研究者の間で喫煙が広まっていると判断する根拠もない。
仮に、自分たちの研究への信頼を示すために喫煙を始めた人がいたとしても、その行動が証明するのは本人がリスクを受け入れたという事実だけだ。AIが将来がんを治せるようになる確率や、必要な治療が自分の生きている間に実現する可能性を裏付けるものではない。
ただし、AIによってがん治療が飛躍的に進歩するという予測自体は、著名なAI研究者や企業経営者からも公表されている。その内容を詳しく見ると、こうした楽観論にも重要な前提条件があることが分かる。
AnthropicのCEOは「がんによる死亡と発症を95%以上減らせる」と予測
AnthropicのCEOであるDario Amodei氏は、2024年10月に公開したエッセイ『Machines of Loving Grace』で、強力なAIが実現すれば、生物学や医療における50〜100年分の進歩を5〜10年に圧縮できる可能性があると論じた。
Amodei氏のエッセイでは、がんについても、将来的に発症率と死亡率を95%以上減らせる可能性があると予測している。一方で、がんは種類が非常に多く、変異によって治療への耐性を獲得するなど適応能力も高いため、完全な克服は難しいとも認めている。特に、一部のまれで治療が難しいがんは残る可能性があるという。
ここで重要なのは、Amodei氏の予測が、現在のAI技術を前提にしたものではないという点だ。
同氏が想定しているのは、幅広い専門分野でノーベル賞受賞者を上回る知的能力を持ち、複雑な実験や研究を指揮できるような、極めて高度なAIが登場した後の世界である。つまり、「5〜10年」という期間は2024年を起点とした期限ではなく、そうした強力なAIが実現してからの時間を指している。
また、「95%以上」という数字も、特定の治療薬によって患者の95%が治癒したという臨床試験の結果ではない。将来、がんの予防や治療が大幅に進歩した場合に、社会全体の発症率や死亡率をどこまで減らせるかという予測だ。
さらにAmodei氏自身も、AIの知的能力がどれほど向上しても、短縮しきれない実験の時間が残ると指摘している。
例えば、細胞や動物を用いた実験、薬の効果を人体で確認する臨床試験、長期的な健康への影響を調べる研究には、一定の時間が必要になる。AIを活用して多数の研究を並行して進めれば、科学全体の進歩を加速できる可能性はある。しかし、ある実験の結果を確認してから次の実験を設計するという手順そのものを、完全になくすことはできない。
つまり、AIによる医療革命に強い期待を寄せる立場であっても、研究から実際の治療までに時間がかかることは認めている。
がん治療が将来大きく進歩すると期待することと、自分が病気になった時点で必要な治療を受けられると判断することは、明確に区別する必要がある。
AIはすでにがん研究で成果を上げているが、「予測」と「治療」は別
AIが医療研究に貢献していること自体は、単なる将来予測ではない。実際に、がん患者の生存予測や新薬開発などで具体的な研究成果が報告されている。
その一例が、Tao Ren氏らが開発したAIモデル「scSurvival」だ。査読付き科学誌『Cancer Discovery』に掲載された研究論文によると、このモデルは腫瘍を構成する個々の細胞の遺伝子発現情報と、患者の生存データを組み合わせて分析する。
米国立がん研究所(NCI)が2026年4月21日に公開した解説によれば、研究チームは150人以上のがん患者から得られた臨床データを使ってモデルを評価した。悪性黒色腫(メラノーマ)や肝がんのデータを分析し、患者の生存を予測するとともに、生存率に関係する細胞集団を特定したという。
scSurvivalの特徴は、腫瘍全体の情報を単純に平均するのではなく、個々の細胞が患者の生存にどの程度関係しているかを考慮する点にある。生存との関連が強い細胞に重みを付けることで、腫瘍全体の平均値では見えにくかった細胞集団の違いを捉えられる。
こうした技術は、患者ごとのリスク評価を改善したり、治療方針を検討する際の参考情報を増やしたりする可能性がある。ただし、この研究が確認したのは生存予測の性能であり、AIを使った治療によって患者の寿命が延びたわけではない。
一方、AIが新薬の開発に使われ、実際に患者を対象とした臨床試験まで進んだ例もある。
その一つが、Insilico Medicineの開発候補薬「rentosertib」だ。2025年6月に『Nature Medicine』で発表された第2a相臨床試験の論文では、71人の患者を対象に、12週間にわたって薬の安全性と有効性が評価された。
ただし、rentosertibの対象疾患はがんではなく、肺の組織が徐々に線維化し、呼吸機能が低下する特発性肺線維症(IPF)だ。試験は、患者を無作為にグループ分けし、患者と研究者の双方が投与内容を知らない二重盲検法を用いた、プラセボ対照試験として実施された。
両研究の違いを整理すると、次のようになる。
| 研究 | 対象と方法 | 実際に評価した内容 | 実証されていないこと |
|---|---|---|---|
| scSurvival(2026年、Ren氏ら) | 悪性黒色腫・肝がんの単一細胞データと患者の生存情報を分析 | 生存予測の性能と、生存に関係する細胞集団 | AIを使った治療によって患者の生存期間が延びること |
| rentosertib(2025年、Xu氏ら) | 特発性肺線維症の患者71人を対象とした12週間のプラセボ対照試験 | 主に有害事象を評価し、副次的に肺機能の変化を測定 | がんへの治療効果、長期的な延命効果、病気の治癒 |
scSurvivalは、AIによって患者の予後をより正確に予測しようとする研究だ。一方、rentosertibはAIを活用して開発した候補薬を、実際の患者に投与して評価した研究である。いずれも医療分野におけるAI活用の成果ではあるものの、検証している内容が異なるため、同じ基準で成功率を比較することはできない。
AIが設計した新薬では肺機能改善の兆候も確認
rentosertibの臨床試験では、肺機能に改善の兆候が見られた。
肺機能を示す指標の一つである努力性肺活量(FVC)は、できる限り大きく息を吸った後、勢いよく吐き出せる空気の量を測定するものだ。試験では、rentosertibを1日1回60mg投与された患者群で、投与前から平均98.4mLの増加が確認された。一方、プラセボ群では平均20.3mL減少していた。
95%信頼区間は、rentosertibの60mg群が10.9〜185.9mL、プラセボ群がマイナス116.1〜75.6mLだった。
ただし、この試験の主要評価項目は有害事象の発生であり、肺機能の変化は副次評価項目だった。また、71人の参加者のうち16人は予定された治療を完了しておらず、肝毒性や下痢に関連する投与中止も報告された。
この結果は、AIを活用して開発した薬が臨床試験の段階まで進み、患者に対する効果を評価できるようになったことを示している。一方、12週間の肺機能の変化だけで、長期的な延命効果や病気の治癒を確認したとは言えない。まして、がんを治療できるという証拠でもない。
AIによる創薬が進歩していることと、その成果がすでに幅広い病気の治療に使えることは、別々に評価しなければならない。
仮にAIががんを克服しても、喫煙による健康被害はなくならない
AIによるがん治療が将来飛躍的に進歩したとしても、それを理由に喫煙のリスクを軽視できるわけではない。
そもそも、がんは単一の病気ではない。米国立がん研究所(NCI)は、がんには100種類以上あり、発生する臓器や組織、細胞の種類によって性質が異なると説明している。
ある種類のがんに対して有効な治療法が開発されたとしても、それがほかのすべてのがんに使えるとは限らない。喫煙によって発症する可能性のあるさまざまながんを、将来一つの治療法で克服できるという保証もない。
米疾病対策センター(CDC)は、喫煙とがんに関する解説で、米国におけるがんによる死亡の約3分の1に喫煙が関係していると説明している。
これは、喫煙者の3分の1ががんで死亡するという意味ではない。喫煙が、社会全体のがん死亡にどの程度影響しているかを示す推計だ。
たばこの煙に含まれる有害物質は細胞のDNAを傷つけ、免疫機能にも悪影響を及ぼす。その影響は肺だけにとどまらず、さまざまな臓器のがんにつながる。また、がんと診断された後も喫煙を続けると、死亡リスクが高まるほか、治療の効果が低下したり、合併症が増えたりする可能性がある。
さらに重要なのは、喫煙が引き起こす健康被害は、がんだけではないという点だ。
CDCの心血管疾患に関する解説によると、喫煙者の冠動脈疾患や脳卒中のリスクは、非喫煙者の約2〜4倍と推定されている。喫煙によって血管が傷つき、血液が固まりやすくなることなどが、その原因となる。
また、慢性閉塞性肺疾患(COPD)も、喫煙による重大な健康被害の一つだ。COPDでは、肺胞の壁が破壊されたり、気道に炎症が起きたりすることで呼吸機能が低下する。CDCは喫煙とCOPDに関する解説で、喫煙を続けると肺への障害が進みやすくなる一方、禁煙によって病気の進行や肺機能の低下を抑えられると説明している。
仮に将来、AIによって多くのがんを治療できるようになったとしても、それだけで喫煙によって傷ついた血管や肺の組織まで元に戻せるとは言えない。
さらに、たばこの煙による健康被害は喫煙者本人だけにとどまらない。受動喫煙によって、周囲の非喫煙者にも肺がんや心血管疾患のリスクが生じる。
将来の医療技術を信じて喫煙するという行為は、本人が健康上のリスクを引き受けるだけでなく、周囲の人の健康にも影響を及ぼす可能性がある。
AIが新薬開発を加速しても、臨床試験には時間がかかる
AIによる医療の進歩を考える上では、新しい治療法が発見されてから、実際に患者が使えるようになるまでの時間も重要だ。
米食品医薬品局(FDA)が公開している臨床試験の解説では、一般的な医薬品開発において、第2相試験には数カ月から2年、第3相試験には1〜4年程度を要するとされている。
第3相試験は通常、数百人から数千人規模の患者を対象に、治療の有効性や安全性を確認する段階だ。FDAの説明では、参加者数は一般的に300〜3,000人程度となる。
もちろん、試験に必要な期間や参加者数は薬の種類や対象疾患によって異なる。しかし、大規模で長期間の試験には、初期段階では分かりにくい副作用や、治療効果がどの程度持続するかを調べるという重要な役割がある。
AIによって有望な治療候補を素早く見つけられるようになっても、その候補が人間にとって安全で、実際に病気を改善できるかを検証する必要がなくなるわけではない。
この点について、英ITニュースサイトThe Registerが取材した匿名の元がん研究者も慎重な見方を示している。
2026年10月14日付のThe Registerの記事によると、この元研究者は、AIを活用しても新しいがん治療薬が実際の医療現場で使われるまでには数年かかる可能性があると指摘した。さらに、治療薬が開発された後も、腫瘍がその薬に対する耐性を獲得するかどうかは、別途確認しなければならないと説明している。
つまり、AIが有望な薬を発見する速度と、その薬が患者の命を長期的に救えることを確認するまでの時間は異なる。
将来の治療法を当てにして現在の健康リスクを受け入れるためには、単にAIが優れた治療法を発見するだけでは足りない。自分がその治療を必要とする時点までに、安全性と有効性が確認され、実際の医療現場で利用できるようになっている必要がある。さらに、その治療が自分の病気に適していることも条件となる。
AIが医療を大きく進歩させる可能性は、すでにさまざまな研究によって示され始めている。しかし、科学全体が進歩するという期待を、個人が将来必ず適切な治療を受けられるという保証に置き換えることはできない。
今後、AI医療の成果を評価する際には、どのような患者を対象に、何を検証し、どれほどの治療効果が、どのくらいの期間確認されたのかを見極めることが重要になる。
AIによる生存予測が適切な治療の選択に役立ち、AIを活用して開発された薬が大規模な臨床試験でも持続的な効果を示せるようになれば、その進歩は実際に患者の命を救う医療技術へとつながっていくだろう。



