Anthropicは10月16日、AIモデル「Claude Mythos 5」を使って量子計算に必要な8種類の基本回路を設計し、従来方式よりも計算資源を削減したと発表した。8課題のうち7課題では、比較対象の回路よりも演算数と量子ビット数の両方を削減した。残る楕円曲線の点加算では、量子ビット数をわずかに増やす代わりに、演算数を約17分の1に抑える設計を見いだした。研究を主導したのはAnthropicのSTEM Fellows Programに参加するAndi Gu氏で、Harvard大学やQuEra Computingの研究者らも協力した。成果をまとめた論文は10月15日にarXivへ提出されたプレプリントであり、実際の量子コンピューターで高速化を確認したものではない。今回の成果の鍵となったのは、計算途中の履歴をすべて保存するのではなく、必要に応じて復元することで回路の負担を減らす手法だ。

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量子回路では、計算途中の情報をどう消すかが重要になる

量子回路では、計算途中に使った作業用の情報を消去するだけでも演算が必要になる。重ね合わせを保ったまま計算するには、使い終えた作業用量子ビットを元の状態に戻し、出力との間に不要な量子もつれが残らないようにしなければならない。通常のプログラムのように、途中の値を上書きしたり、そのまま破棄したりすることはできない。

そこで用いられるのが、計算を逆向きにたどって作業情報を取り消す「逆計算(uncomputation)」だ。途中の値を長く保持すれば再計算を減らせるが、その分だけ多くの量子ビットが必要になる。反対に、不要になった情報を早めに消去して量子ビットを使い回せば、後で必要になった値を再計算するための演算が増える。つまり、どの情報を保存し、どの情報を計算し直すかによって、同じ結果を得る回路でも必要な資源が大きく変わる。

条件分岐にも、通常のプログラムとは異なる制約がある。入力が重ね合わせの状態にある場合、「条件を調べて、該当する処理だけを実行する」という方法はそのまま使えない。異なる入力に対応する処理を、あらかじめ決められた一つのゲート列に組み込む必要があるためだ。このため、従来のコンピューターでは効率のよいアルゴリズムでも、量子回路に置き換えると条件分岐や作業情報の消去に多くの資源が必要になる場合がある。今回の論文の手法説明でも、こうした制約を考慮して候補回路を評価する仕組みが示されている。

研究チームはClaudeに計算の仕様を与え、Pythonで量子回路を生成させた。生成された回路は外部の評価プログラムで正しさを検証し、演算数と同時に必要となる量子ビット数を計測する。主な評価指標は、この二つを掛け合わせた値だ。Claudeは評価結果を受け取って設計を修正しながら、複数のアルゴリズムを並行して改良した。

楕円曲線の点加算に関する探索は、53時間に及んだという。ただし、完全に人間の介入なしで進めたわけではなく、最初の指示は研究者が与え、探索の幅を広げるよう途中で促すこともあった。Anthropicが説明する自律性とは、こうした人間の関与を除けば、Claudeが候補回路の実装、検証、改良を自ら繰り返したことを意味する。

分岐履歴を保存せず、計算後の値から復元する

楕円曲線の点加算は、曲線上の二つの点から、その和に当たる新たな点を求める演算だ。量子コンピューターで楕円曲線の離散対数問題を解くアルゴリズムの中核となる処理であり、必要な計算資源の大部分を占める。今回の研究では、256ビットの素数を法とする楕円曲線「secp256k1」を対象とした。

点加算で特に計算負荷が大きいのが、「モジュラ逆数(modular inverse)」を求める処理だ。これは整数aに対して、a×xをpで割った余りが1になるようなxを求める演算である。楕円曲線上の二点を結ぶ直線の傾きを計算する際に必要となる。

Claudeが着目した「divsteps」は、二つの数に対して交換、加減算、半分にする操作などを繰り返すアルゴリズムだ。従来のコンピューターでは効率的に計算できるが、量子回路として実装する場合には、各段階でどの操作を選択したかという分岐履歴が問題になる。計算を逆向きにたどれるようにするには、この履歴を後から参照できなければならない。すべての分岐履歴を保存しようとすると、そのためだけに大量の量子ビットが必要になってしまう。

そこでClaudeは、計算後の数値や係数から直前の操作を推定できれば、分岐履歴をすべて保存する必要はないと考えた。Anthropicによると、当初は単純な規則による復元を試み、小規模なテストでは成功したものの、256ビットの問題では正しく機能しなかった。そこでdivstepsの反復処理を数学的に分析し、係数に残された情報から分岐を復元するための式を導いたという。論文の可逆モジュラ逆数に関する節では、その数学的な関係と量子回路への組み込み方が説明されている。

ただし、履歴を復元するにも演算が必要になる。そこで最終的な設計では、少ない演算で復元できる履歴は保存せず、復元に多くの演算を要する履歴だけを保存する方式を採用した。保存と復元を切り替える基準を調整することで、量子ビットを多く使って演算数を減らす設計から、演算数を増やして量子ビットを節約する設計まで、複数の選択肢を得ている。

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「17分の1」という削減率の比較対象は何か

今回のdivsteps回路では、楕円曲線の点加算1回につき約400万回のToffoli演算と、935個の論理量子ビットが必要になる。Toffoliゲートは誤り訂正を伴う量子計算で実行コストが大きいため、その演算回数は計算負荷を見積もる主要な指標となる。一方、論理量子ビットとは、誤り訂正によって保護された計算上の量子ビットであり、量子コンピューターに搭載される物理量子ビットの数とは異なる。

「演算数を約17分の1に削減」という結果は、量子ビット数の節約を重視したLuoらの方式を研究チームが再実装した回路との比較によるものだ。研究チームがGitHubで公開した点加算の評価記録には、丸める前の数値も掲載されている。主要な既存方式との比較は以下のとおりだ。

同じ点加算タスクでの比較 Toffoli演算数 ピーク論理量子ビット数
Luoらの方式を研究チームが再実装 69,529,757 838
Claudeが設計したdivsteps回路 4,006,673 935
Schrottenloherの既存方式 約1,900,000 1,446

これらの数値は、2026年10月の論文と研究チームの公開記録に基づく。いずれも同じアフィン座標による点加算を対象とし、作業情報を消去する逆計算も含まれている。ただし、加算する点を古典コンピューター側から供給するための保存・検索処理は含まれていない。また、divsteps回路の評価には、後述する入力分布と一定の失敗率を許容する条件が適用されている。

公開された数値から計算すると、Claudeのdivsteps回路はLuoらの方式に比べてToffoli演算数が約17.4分の1になる一方、論理量子ビット数は約11.6%増加する。演算数と量子ビット数の積で評価した資源コストは、約15.6分の1だ。具体的には、演算数の比率を69,529,757÷4,006,673、量子ビット数の増加率を935÷838−1で求め、両者の積を比較している。これらは著者が公開した記録から算出した値であり、回路を独自に再実行して測定した結果ではない。

ただし、比較対象が変われば評価も異なる。Schrottenloherの既存方式と比べると、Claudeのdivsteps回路は必要な論理量子ビット数を約35%削減できるものの、Toffoli演算数は約2.1倍になる。演算数の削減を優先する場合と、利用できる論理量子ビット数が限られている場合では、適した回路が異なる。今回の成果は、こうした制約に応じて選べる回路の選択肢を広げたものと捉えるのが適切だ。

また、Toffoli演算数の削減率が、そのまま実行時間の短縮率になるわけではない。実際の実行時間は、誤り訂正に必要な処理や、演算に使う資源状態をどの程度並列に供給できるかによっても変わる。論文でも、演算の総数ではなく回路の深さが実行時間を左右する場合を区別している。

Leanによる数学的証明と、回路が許容する失敗率

研究チームが公開したLeanの証明資料では、対象となる入力に対してdivstepsの反復が590回以内に終了することや、更新後の状態から分岐履歴を復元できることを扱っている。Leanは数学的な主張を形式化し、その証明が正しいかを検査するシステムだ。ただし、公開資料には、量子回路全体の正しさや演算数の見積もりまでは形式的に証明していないと明記されている。

さらに、今回の省資源化した回路は、最大590回の反復すべてを実行する設計にはなっていない。反復回数を533回に制限し、分岐履歴を保存する領域にも上限を設けている。反復が長引くまれな入力などでは失敗することを許容し、その代わりに演算数と量子ビット数を削減した。つまり、分岐履歴を数学的に復元できるという保証と、資源を制限した実際の回路がすべての入力で成功するかどうかは、別の問題だ。

点加算の評価では、楕円曲線上の二点をほぼ一様かつ独立に選び、使用する座標計算の式が適用できない例外を除いた入力を想定している。この入力分布に対し、点加算1回当たり最大2×10⁻⁴の失敗率を許容する仕様だ。論文の付録によると、回路全体を対象とした10万件のテストでは4件が失敗した。これは回路の資源制限によって発生する失敗であり、実際の量子コンピューターの雑音による故障率を表すものではない。

評価プログラムが確認するのは、計算結果の数値だけではない。保持すべき入力が変更されていないか、作業用量子ビットが0に戻されているか、後の量子干渉に影響する位相が正しいかも検査する。今回対象とした種類の回路では、個々の入力と測定結果についてビット列と位相を追跡することで、従来のコンピューターでも効率的に正しさを検証できる。

ただし、入力空間が大きいため、実際の検証では入力を標本抽出してテストする。標本から得られた失敗率は、あらゆる入力に対する保証ではなく、重ね合わせ全体に及ぶ誤差についても別途評価が必要になる。数学的な形式証明、回路の標本検査、実際の量子コンピューターによる動作確認を区別することが、今回の成果を正しく評価するうえで重要だ。

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復号器でも効果を発揮した、情報の保存と復元の使い分け

今回の研究でもう一つ大きな改善が得られたのが、量子最適化アルゴリズム「Decoded Quantum Interferometry(DQI)」の内部で使われるReed–Solomon復号だ。これは先行するDQI研究で扱われた数学的な復号処理を効率化するもので、量子コンピューター自体の雑音を訂正する復号器の性能向上とは異なる。

Claudeはまず、入力によって処理の進み方が変化する拡張ユークリッド法を、各反復で同じ形式の処理を行うBerlekamp–Massey法に置き換えた。さらに、計算途中で生成される一時的な値の多くを現在の状態から復元し、復元できない例外的な情報だけを保存する方式を採用した。これにより、アルゴリズムそのものの効率化と、作業情報を保存するための資源削減を両立させた。

例外が最も多く発生する場合に備えて保存領域を確保すると、665個の論理量子ビットが必要になる。しかし、対象となる入力分布では例外の発生頻度が低いため、Claudeは1件分に相当する19個の論理量子ビットだけを確保する設計を選んだ。論文の付録によると、4億件の標本を使った検証では、履歴の保存領域の不足など二つの失敗要因を合わせた確率は1.4×10⁻⁴だった。ここでも、低い確率で失敗する入力を許容することで、必要な計算資源を減らしている。

ただし、665個から19個への削減は、例外的な履歴を保存する領域についての数値であり、復号器全体の量子ビット数がそれだけ減ったわけではない。論文の比較表によると、回路全体で必要となるピーク論理量子ビット数は1,938個から1,837個に減少し、Toffoli演算数は約510万回から約44万回に削減された。Anthropicが強調する約12倍の改善とは、この演算数の削減率を指している。

楕円曲線の点加算とReed–Solomon復号に共通するのは、アルゴリズムを見直したうえで、途中の情報をどこまで復元できるかを調べ、許容する失敗率に応じて資源を配分した点だ。いずれも既存の回路に小規模な修正を加えただけではなく、計算方法や回路構造そのものを再設計したことが、大幅な効率化につながっている。

今回の成果は、AIが量子アルゴリズムの設計において、従来とは異なる数学的な手法を見いだし、計算資源の削減につなげられる可能性を示した。ただし、実用的な量子計算に結び付けるには、誤り訂正や物理装置の制約を含め、どの設計が実際の処理時間や資源消費を減らせるかを検証する必要がある。今後は演算数や論理量子ビット数の比較だけでなく、実際のハードウェアでどの程度の効率改善が得られるかが重要になる。