宇宙は加速しながら膨張している。この20世紀末の大発見は、私たち人類の宇宙観を一変させた。しかし、その膨張を後押しする謎のエネルギー「ダークエネルギー」の正体は、今なお現代物理学最大の謎として君臨している。この見えざる宇宙の支配者について、科学者たちは長年、「その力は時間や場所によらず一定である」という前提に立ってきた。だが、もし、その力が気まぐれに変化するとしたら?宇宙の物語は、根底から書き換えられることになるかもしれない。

日本の誇るスーパーコンピュータ「富岳」を駆使した最新の研究が、まさにその可能性の扉を開いた。千葉大学の石山智明准教授が率いる日本、スペイン、米国の国際共同研究チームは、観測史上最も精緻な宇宙論シミュレーションを実施。その結果は、ダークエネルギーが不変であるとする標準的な宇宙モデル(ΛCDMモデル)に、静かだが確かな疑問を投げかけている。コンピュータの中に再現されたもう一つの宇宙は、私たちの知る宇宙とは似て非なる、驚くべき姿をしていたのだ。

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揺らぐ宇宙論の「岩盤」:ΛCDMモデルへの挑戦

まず、我々が立っている場所を確認しておこう。現代宇宙論の根幹を成すのは「ΛCDM(ラムダ・コールド・ダーク・マター)モデル」と呼ばれる理論体系である。これは、宇宙が冷たい謎の物質「ダークマター」と、時間的に変化しない宇宙定数「ラムダ(Λ)」、すなわちダークエネルギーによって支配されているとする考え方だ。このモデルは、宇宙マイクロ波背景放射(宇宙最古の光の痕跡)から巨大な銀河の分布に至るまで、様々な観測事実を驚くほど巧みに説明し、長らく宇宙論の「標準モデル」として不動の地位を築いてきた。

しかし、科学の世界に「絶対」はない。観測技術が向上し、宇宙のより遠く、より暗い領域まで見通せるようになるにつれ、この堅固な岩盤にも、わずかなひび割れが見え始めた。特に、米アリゾナ州のキットピーク国立天文台に設置された「DESI(Dark Energy Spectroscopic Instrument)」は、数千万個もの銀河やクエーサーの3次元地図を作成することで、宇宙膨張の歴史を前例のない精度で測定するプロジェクトだ。

そのDESIがもたらした初期の観測データは、科学界にさざ波を立てた。データは、ダークエネルギーがΛCDMモデルが仮定するような単純な宇宙定数ではなく、時間と共にその性質を変化させる「動的ダークエネルギー(DDE:Dynamic Dark Energy)」である可能性を示唆したのだ。 もしこれが事実ならば、ダークエネルギーは単なる空間の背景エネルギーではなく、未知の物理法則に支配された、より複雑で活動的な存在ということになる。宇宙の始まりから現在、そして未来に至るまでの運命が、根本的に見直される可能性すらあるのだ。

このDDEという新たな可能性を検証するため、そしてそれが宇宙の構造形成にどのような影響を与えるのかを解明するために、石山准教授らの研究チームは立ち上がった。彼らが選んだ武器は、理化学研究所が誇る世界最高峰の計算能力を持つスーパーコンピュータ「富岳」だった。

「富岳」の中に生まれた3つの宇宙

観測が新たな問いを投げかける時、理論物理学者はしばしばシミュレーションという手法でそれに答える。コンピュータの中に仮想の宇宙を創造し、物理法則に基づいて時間を進めることで、理論がどのような宇宙を生み出すかを検証するのだ。

研究チームは、「富岳」の持つ圧倒的な計算能力(15万以上のCPUが連携し、毎秒442京回以上の計算が可能)を最大限に活用し、これまでで最大級となる規模の宇宙論的N体シミュレーションを実行した。 N体シミュレーションとは、宇宙に存在する無数の銀河やダークマターの塊を「粒子(N個の粒子)」として扱い、それらが互いに重力で引き合う様子を時間を追って計算するものだ。今回のシミュレーションでは、その体積は先行研究の実に8倍にも達し、より高い解像度で広大な宇宙の進化を再現することが可能になった。

彼らが用意したのは、3つの異なる「宇宙の設計図」だ。

  1. 標準宇宙(ΛCDMモデル): これまでの定説であるプランク衛星の観測データ(Planck-2018)に基づいた、ダークエネルギーが不変であるとする宇宙。これは比較のための「基準点」となる。
  2. 純粋DDE宇宙(Planck18+DDEモデル): 宇宙の物質量などの基本的なパラメータは標準宇宙と同じまま、ダークエネルギーだけが時間変化する性質を持つとした宇宙。これにより、DDEそのものが持つ純粋な効果を切り分けることができる。
  3. 最新観測準拠宇宙(DESIY1+DDEモデル): DESIの1年目の観測データに最もよく適合するように、DDEの性質だけでなく、他の宇宙論パラメータも調整した宇宙。具体的には、標準宇宙に比べて物質の密度(Ωm)が約10%高く、現在の宇宙の膨張率(ハッブル定数 H₀)が約4%低いという特徴を持つ。

これらの3つの仮想宇宙の進化を「富岳」で計算し、その結果を比較分析することで、「ダークエネルギーが時間変化すると、宇宙の姿はどのように変わるのか?」という根源的な問いに答えようとしたのである。

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シミュレーションが暴いた驚きの描像

数ヶ月にわたる大規模計算の末、「富岳」が描き出した3つの宇宙の歴史は、研究チームに驚きと深い洞察をもたらした。

意外なほど小さかったDDE単独の効果

まず驚くべきことに、「純粋DDE宇宙」と「標準宇宙」を比較した結果、ダークエネルギーが時間変化する効果そのものは、宇宙の大規模構造の形成に対して穏やかな影響しか与えないことが判明した。 DDEの導入だけでは、宇宙の風景は劇的には変わらなかったのだ。

もし話がここで終わっていたら、DDEへの関心は薄れていたかもしれない。しかし、研究の真骨頂はここからだった。

鍵を握っていたのは「物質密度」との相互作用

本命である「最新観測準拠宇宙(DESIY1+DDEモデル)」の結果は、全く異なっていた。このモデルでは、宇宙の構造形成に極めて顕著な違いが現れたのだ。

最も衝撃的だったのは、銀河や銀河団が生まれる「ゆりかご」である、ダークマターが集まった重力的に安定な領域(ダークマターハロー)の数だ。このモデルでは、標準宇宙に比べて、初期の宇宙(約110億年前、赤方偏移z=2)において、質量の大きなハローが最大で70%も多く形成されると予測された。 これは、この宇宙の物質密度が10%高いために重力効果が全体的に強まり、物質がより早く、より効率的に集まって巨大な天体を形成したことを意味する。

つまり、ダークエネルギーが時間変化するという仮説(DDE)は、それ単体で宇宙を変えるのではなく、宇宙の根幹をなすもう一つのパラメータ「物質密度」の最適値を変化させ、その結果として宇宙の構造形成の歴史を大きく書き換える、という間接的だが非常に強力な影響を及ぼすことが示されたのである。

「宇宙の定規」の目盛りが観測と一致

このシミュレーション結果の信頼性を決定づけたのが、「バリオン音響振動(BAO)」の分析だ。BAOとは、初期宇宙の超高温・高密度のプラズマ状態の時に生じた音波の痕跡であり、現在の銀河分布に「標準的なものさし」として刻まれている。この「宇宙の定規」の目盛りの長さを測定することで、宇宙の距離や膨張の歴史を正確に知ることができる。

研究チームがシミュレーション結果を分析したところ、「最新観測準拠宇宙」では、BAOのシグナルが現れるピーク(定規の目盛り)の位置が、標準宇宙に比べて3.71%小さいスケールへとシフトしていた。 これは、この宇宙の音響水平線(音波が進むことができた距離)が標準宇宙より短いことを意味する。

そして驚くべきことに、この3.71%というシフト量は、実際のDESIの観測データが示唆する値と極めてよく一致したのだ。 これは、単なる偶然とは考えにくい。この一致は、「最新観測準拠宇宙」モデル、すなわちDDEと高めの物質密度を組み合わせた宇宙像が、現実の宇宙を非常によく記述していることの強力な証拠と言えるだろう。

新たな宇宙観へ:DDE研究が拓く未来

今回の研究成果は、私たちに何を教えてくれるのだろうか。石山准教授は、「我々の大規模シミュレーションは、宇宙の物質密度といった宇宙論パラメータの変化の方が、DDE成分単独の効果よりも宇宙の構造形成に大きな影響を与えることを示している」と結論付けている。

これは非常に重要な指摘だ。ダークエネルギーの謎を追うことは、単にダークエネルギー自体の正体を探るだけでなく、それと密接に結びついた他の宇宙の基本的な性質、特に宇宙にどれだけの物質が存在するのかという問いに対する我々の理解をも深めることにつながる。長年、別々の問題として扱われがちだった宇宙の構成要素が、実は互いに深く影響を及ぼし合っているという、より統合的な宇宙観への道筋を示しているのだ。

この研究は、終わりではなく、新たな探求の始まりを告げる号砲でもある。今後、すばる望遠鏡に搭載される超広視野多天体分光器「PFS(Prime Focus Spectrograph)」や、さらにデータを蓄積していくDESIといった次世代の観測計画が、宇宙論パラメータをさらに高い精度で測定していくだろう。 その時、今回の「富岳」によるシミュレーションは、観測データを解釈し、そこに秘められた物理的意味を解き明かすための、他に代えがたい理論的な羅針盤となるはずだ。

もし将来の観測によって、ダークエネルギーが時間変化することが確定的となれば、その影響は宇宙論の枠を超えて基礎物理学全体に及ぶ。アインシュタインの一般相対性理論への修正が必要になるのかもしれないし、あるいは、まだ見ぬ素粒子や未知の場(スカラー場など)が宇宙を満たしている証拠なのかもしれない。宇宙最大の謎の解明は、ミクロの世界を支配する法則の根源にまで迫る可能性を秘めているのだ。

「富岳」が描き出した新しい宇宙の姿は、まだ仮説の段階だ。しかしそれは、私たちが抱いてきた宇宙像が、決して完成品ではないという事実を改めて突きつけている。観測と理論、そしてシミュレーションという三位一体の探求によって、宇宙の物語はこれからも絶えず書き換えられていく。その壮大な知の冒険の最前線に、日本の研究者と技術力が立っていることは、間違いなく私たちの誇りである。


論文

参考文献