Mozillaが満を持してリリースしたFirefox 141の目玉機能「スマートタブ」。しかし公開からわずか3週間、ユーザーからはCPU使用率の異常な上昇とバッテリー消耗を訴える声が噴出。「ブロートウェアだ」との厳しい批判が飛び交う事態となっている。プライバシーを重視したはずのオンデバイスAIは、なぜユーザーの怒りを買ったのか。その技術的背景と、ブラウザの未来を巡る根深い問題を紐解く。
静かにCPUを蝕む「Inference」という名のプロセス
事態が表面化したのは、大手ソーシャルニュースサイトRedditのFirefoxコミュニティだった。Firefox 141へのアップデート後、「PCの動作が異様に重くなった」「ノートPCのバッテリーがみるみる減っていく」といった報告が相次いだのだ。
あるユーザー(u/st8ic88)がタスクマネージャーを確認すると、「Inference」という見慣れないプロセスがCPUリソースを大量に消費していることを発見。他のユーザーからの指摘で、これがFirefox 141から導入されたAI関連の処理であることが明らかになった。
このユーザーは怒りを隠さない。
「こんなガラクタでブラウザを肥大化させ、CPUを爆発させ、バッテリー寿命を奪わないでほしい。これは良い機能ではないし、Firefoxがこの(AIの)流行に乗るのは全くもって屈辱的だ。ブラウザの要点は、ウェブページをダウンロードしてレンダリングすることだ」
この叫びは、多くのユーザーの共感を呼んだ。別のユーザーも、システム監視ツールで「Inference」プロセスがリソースを食い潰していることを確認。このプロセスを強制終了するとFirefoxごとクラッシュしてしまうため、ユーザー側で容易に制御できないことも問題を深刻化させている。
鳴り物入りで登場した新機能が、なぜパフォーマンスを犠牲にする「ブロートウェア」とまで揶揄されるに至ったのだろうか。
プライバシーは守る、だがCPUは燃える。オンデバイスAIの功罪
今回の騒動の中心にあるのが、Firefox 141で導入された「スマートタブ」機能だ。これは、開いている複数のタブの内容をAIが解析し、関連性の高いものを自動でグループ化するよう提案してくれるというもの。多数のタブを開きがちなユーザーの整理整頓を助けるのが狙いだ。
特筆すべきは、この処理がすべてユーザーのPC内で完結する「オンデバイスAI」である点だ。Google Chromeが過去に実験していた同様の機能では、タブ情報をGoogleのサーバーに送信して解析していた。それに対し、Firefoxの実装はプライバシー保護の観点から大きな優位性を持つ。Mozillaのプライバシー重視の姿勢を体現した機能と言える。
その仕組みは、技術的には2段階で構成される。
- 埋め込みモデルによるベクトル化: まず、開いている各タブのページタイトル情報を「埋め込みモデル」というAIが読み取り、それぞれの内容を数値の集合(ベクトル)に変換する。これにより、AIは単語の文字列ではなく、意味的な関連性を計算できるようになる。
- クラスタリングと名称提案: 次に、クラスタリングアルゴリズムがこれらのベクトルを比較し、数値的に「近い」ものを関連タブとして特定する。グループ名を提案する際には、Google AIが開発した言語モデル「T5」をベースにしたMozilla独自のモデルが、タブのタイトル群から最適な名前を生成する。
この一連の処理が、前述の「Inference(推論)」プロセスによって実行されている。プライバシーは守られる。しかし、その代償としてユーザー自身のマシンリソース、すなわちCPUパワーとバッテリーが支払われるという構図だ。

一部の技術に詳しいユーザーからは、Mozillaの技術選定に対する疑問の声も上がっている。具体的には、AIモデルの実行形式としてMicrosoftが主導する「ONNX」フォーマットを採用している点だ。これに対し、より効率的とされる「GGUF」といったフォーマットを選択していれば、ここまで深刻なパフォーマンス問題は避けられたのではないか、という指摘である。この選択が意図的なものか、あるいは開発上の都合だったのかは定かではないが、結果としてユーザー体験を損なう一因となった可能性は否定できない。
AIは必需品か、お節介な同居人か
この問題は、単なる技術的な実装の失敗に留まらない。ブラウザにAIを統合するという、現在のテクノロジー業界全体の潮流に対するユーザーの根源的な問いを浮き彫りにしている。
MicrosoftがEdgeブラウザに「Copilot」を強力に統合し、「AIブラウザ」への転換を推し進めているのは周知の通りだ。ページの要約から画像の生成まで、AI機能は日に日に増えている。
こうした流れに対し、一部のユーザーは明確な拒否反応を示す。「コンピュータに単純な判断を任せるのは甚だしく愚かだ」と感じる層は確実に存在するのだ。彼らにとって、ブラウザはあくまでWebを閲覧するための高速で軽量な「ツール」であり、余計な機能が追加されること自体が好ましくない。開発ツール「Zed Editor」が、すべてのAI機能を一括で無効化するスイッチを提供し、ユーザーから喝采を浴びたのはその象徴的な例と言えるだろう。
MozillaのAI機能は、プライバシーに配慮した点で競合とは一線を画す。しかし、その結果としてユーザーのPCに直接的な負荷をかけるのであれば、本末転倒だと感じるユーザーがいても不思議ではない。
もちろん、この機能を歓迎する声がないわけではない。数十、数百のタブを常に開いているような「タブヘビーユーザー」にとって、AIによる自動整理は福音となりうる。ghacksのレビューでも、特に同じドメインのページをまとめる際にはうまく機能したと評価されている。
問題の根幹は、この機能がデフォルトで有効化される可能性があること(現在は段階的ロールアウト中)、そしてユーザーが意図しないバックグラウンド処理によって、サイレントにリソースを奪っていく点にあるのかもしれない。
【対策】暴走するAI機能を無効化する方法
幸い、現状ではこのAI機能をユーザー自身の手で無効化する手段が残されている。CPUの使用率の異常な上昇やバッテリーの異常な消耗に悩まされている場合は、以下の手順を試す価値がある。
- Firefoxのアドレスバーに
about:configと入力し、Enterキーを押す。 - 「危険性を承知の上で使用する」といった警告が表示されたら、承認して進む。
- 上部の検索バーに
browser.tabs.groups.smart.enabledと入力する。 - 表示された設定の右側にある切り替えボタンをクリックし、値を
falseに変更する。
これで、AIによるタブグループ機能が無効化される。また、将来的にはAIチャットボット機能も統合される可能性があり、その設定は browser.ml.chat.enabled で制御できる。こちらも同様に false に設定しておくことで、意図しないAI機能の動作を未然に防ぐことができるだろう。
Mozillaはどこへ向かうのか?岐路に立つFirefox
今回の騒動は、Firefox、ひいてはMozillaという組織が抱えるジレンマを映し出している。
かつてブラウザ戦争の覇者であったFirefoxは、現在Chromeの圧倒的なシェアの前に苦戦を強いられている。革新的な機能を打ち出し、存在感を示さなければならないという焦りがあることは想像に難くない。AIの統合は、そのための目玉の一つだったはずだ。
しかし、その革新が、長年Firefoxを支えてきたパワーユーザーやプライバシー意識の高いユーザー層の哲学と衝突してしまった。彼らがFirefoxに求めていたのは、軽量さ、カスタマイズ性、そして何よりユーザーがすべてをコントロールできるという信頼感だった。今回の「勝手に動いてリソースを食うAI」は、その信頼を根底から揺るがしかねない。
AIモデルの推論処理は、そもそもが負荷の高い作業だ。プライバシーとパフォーマンスは、多くの場合トレードオフの関係にある。Mozillaは「オンデバイスAI」という高潔な理想を掲げたが、その実装が生み出す現実的なコストを、ユーザーに受け入れられるレベルまで最適化しきれなかった。これが今回の事態の核心ではないだろうか。
Mozillaは今後、ユーザーからの厳しいフィードバックにどう応えるのか。パフォーマンスを劇的に改善するアップデートを提供するのか、それとも機能自体をデフォルトで無効にし、あくまでオプトイン(ユーザーが任意で有効にする)の選択肢として残すのか。
今回の出来事は、単なる一機能の失敗談ではない。AI時代における「ユーザー主権」とは何か、そしてプライバシーという理念が現実のプロダクトに落とし込まれる際の困難さを、我々に突きつけている。Firefoxがこの苦い教訓を糧に、ユーザーの信頼を取り戻す道を歩めるのか。その舵取りが今、厳しく問われている。
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