2025年3月にIntelの新CEOに就任したばかりのLip-Bu Tan氏が、過去に中国のテクノロジー企業数百社に対し、多額の投資を行っていたことがReutersなどの調査で明らかになった。投資先には中国軍関連企業や米国の制裁リスト企業、監視技術企業などが含まれ、米国の安全保障や、Intel自身の事業運営における潜在的なリスクとして大きな注目を集めている。
Intel新CEO – Lip-Bu Tan氏とは?
まず、今回の報道の中心人物であるLip-Bu Tan氏について確認しておこう。Tan氏はマレーシア出身で、半導体およびソフトウェア業界で長年の経験を持つ著名な経営者であり投資家である。特に、チップ設計ソフトウェア大手Cadence Design SystemsのCEOを2009年から2021年まで務め、同社の目覚ましい成長を導いた実績で知られる。また、1987年には著名なベンチャーキャピタル(VC)であるWalden Internationalを設立し、現在も会長を務めている。
Tan氏は2022年からIntelの取締役を務めていたが、2024年8月に一度退任。その後、前CEOのPat Gelsinger氏が2024年12月に退任し、暫定共同CEO体制を経て、2025年3月12日、Intel取締役会はTan氏を正式なCEOに任命することを発表、同氏は3月18日に就任し、同時に取締役会にも復帰した。半導体業界全体にわたる深い知識と人脈、そして経営再建の手腕が期待されての登板である。
明らかになった投資の実態 – 規模と対象企業
そんなTan氏だが、Walden Internationalや、香港を拠点とする個人所有のSakarya Limited、Walden傘下のSeine Limitedといった複数の事業体を通じて、中国のテクノロジー分野に長年に渡り深く関与してきたようだ。
Reutersが中国および米国の企業文書を調査した結果によると、Tan氏は中国国内で40社以上の企業やファンドを実質的に管理下に置き、さらに600社以上の企業に対して少数株主持分を保有していることが判明した。これらの投資の総額は、少なくとも2億ドル(約300億円以上)に上ると見積もられている。投資期間は長期にわたり、Reutersの報道によれば、少なくとも2012年から最近まで活発な投資活動が確認されている。
特に注目されるのは、投資先の一部が中国の軍事・安全保障分野と繋がりを持っている点である。具体的には、以下のような企業への投資が指摘されている。
- SMIC (Semiconductor Manufacturing International Corp.): 中国最大の半導体ファウンドリ(受託製造企業)。Tan氏は初期投資家であり、2018年まで取締役を務めた。同社は中国軍との繋がりのため、米国商務省のエンティティリスト(事実上の禁輸リスト)に掲載されている。Walden Internationalは2021年にSMICへの投資から撤退したとされる。
- Dapu Technologies: 中国人民解放軍(PLA)の契約業者とされる企業。
- HAI Robotics: 中国の監視技術企業へのサプライヤーであり、PLAの契約入札にも参加したとされる企業。
- Intellifusion: 顔認識など監視技術を開発する企業。
- QST Group (QST): ウクライナで鹵獲されたロシア軍のドローンに使用されていたセンサーのサプライヤーとされる企業。
- Wuxi Xinxiang Information Technology Co.: 中国の半導体メモリ大手YMTC(長江存儲科技)へのサプライヤーとされる企業。YMTCもエンティティリストに掲載されている。
さらに、Tan氏の投資の一部は、中国政府系の投資ファンドや国有企業、あるいは中国電子信息産業集団(CEC)のようなPLAへの主要サプライヤーとされる企業(米国政府による制裁対象)と共同で行われているケースも複数確認されている。
なぜ問題視されるのか? – 安全保障と利益相反の懸念
Tan氏の広範な中国投資が問題視される背景には、いくつかの重要な要因がある。
第一に、Intelが米国の国家安全保障において極めて重要な役割を担っている点である。Intelは世界最先端の半導体を製造する数少ない企業の一つであり、米国に拠点を置く唯一の企業でもある。同社は米国防総省と数十億ドル規模の契約を結び、軍事・情報活動に不可欠な最先端チップの供給や開発プロジェクトに深く関与している。このような企業の中核メンバーが、潜在的な敵対国と見なされる中国の、しかも軍事関連企業に投資していることは、安全保障上のリスクや情報漏洩の懸念を招きかねない。
第二に、現在の地政学的な状況である。米中間では技術覇権を巡る競争が激化しており、米国政府は半導体などの戦略的技術分野において、中国への技術流出や依存関係の低減(デカップリング)を進めようとしている。CHIPS法による国内生産支援などもその一環である。こうした状況下で、米国の重要なテクノロジー企業の幹部が中国テクノロジー企業、特に軍事や監視技術に関わる企業と深い繋がりを持つことは、政府の方針や国民感情と相容れないと見なされる可能性がある。
ベンチャーキャピタルBastille VenturesのパートナーであるAndrew King氏は、Reutersの取材に対し「Tan氏は、中国と競争するいかなる企業のトップとしても不適格であり、ましてやIntelのような情報・国防エコシステムと深く関わる企業のトップとしては尚更だ」と厳しく批判している。また、サンタクララ大学法科大学院のStephen Diamond教授も、「現在の政治情勢を考えれば、(Tan氏の中国との繋がりは)Intelのような企業の責任ある経営陣にとって、真剣に対処すべき問題であるはずだ」と指摘する。
さらに、利益相反の可能性も指摘されている。Intelは近年、ファウンドリ事業への本格参入を目指しており、これはTan氏がかつて深く関与し、現在も米国の制裁下にあるSMICと直接競合する可能性がある。
法的な観点からは、Tan氏の投資が直ちに違法となるわけではない。米国籍保有者が中国企業に投資すること自体は禁止されておらず、特に投資が禁止されるのは米財務省が指定する「中国軍産複合体企業(CMIC)リスト」掲載企業などに限られる。Reutersの調査では、Tan氏が現在これらのリスト掲載企業に直接投資している証拠は見つかっていない。しかし、商務省のエンティティリスト掲載企業(SMICなど)への投資は存在しており、これは輸出規制の対象企業への資金提供という点で、倫理的・政治的な問題をはらんでいる。
評価と反論 – 経験豊富な「伝説」か、リスク要因か
一方で、Tan氏の中国における豊富な経験と人脈を高く評価する声もある。Bernsteinのアナリスト、Stacey Rasgon氏は「彼は私や多くの投資家が(Intelのリーダーとして)望んでいたリストのトップにいた」「彼は伝説であり、この分野で非常に長い経験を持っている」と述べ、Tan氏が投資家コミュニティで高く評価されている人物であることを強調する。
Tan氏はシリコンバレーで最も早くから中国市場に注目し、投資を行ってきた先駆者の一人であり、その知見やネットワークが、停滞が指摘されるIntelの再活性化、特に巨大な中国市場でのビジネス展開(例えばAIアクセラレーター「Gaudi」の拡販など)において強みになるという見方も存在する。
Tan氏の投資撤退に関する情報もある。Reutersは関係者の話として、Tan氏が中国の事業体への投資から撤退したと報じているが、その詳細や範囲は不明である。中国の企業データベース上では、依然として多くの投資が有効な状態として記録されており、Reutersも撤退の全容を確認できていないとしている。最新の撤退記録としては、2024年1月に中国の防衛企業や研究機関にチップを供給するNingbo Lub All-Semi Micro Electronics Equipment CompanyからWalden系のファンドが撤退したことが確認されている。
Intel側は、Tan氏の投資に関する直接的なコメントを避けつつも、「Tan氏はSEC(米国証券取引委員会)の規則に基づき、役員に必要な情報開示フォームを提出済みである」「潜在的な利益相反については適切に対処し、必要に応じて開示を行う」と述べている。Walden Internationalはコメントの要請に応じていない。
今後の影響と論点
Lip-Bu Tan氏の中国への広範な投資問題は、Intelにとっていくつかの重要な論点を提起している。米国政府との関係、特に国防総省からの信頼維持や、CHIPS法に基づく補助金などへの影響が懸念される。また、Tan氏自身の取締役会における立場や影響力にも変化が生じる可能性がある。
より広範には、米中間の技術デカップリングが進む中で、グローバルに事業を展開するテクノロジー企業の幹部が、地政学的な対立構造の中でどのような立場を取り、透明性を確保していくべきかという、業界全体の課題を浮き彫りにしている。今回の件は、単なる一個人の投資問題に留まらず、テクノロジー、安全保障、そしてグローバルビジネス倫理が複雑に絡み合う現代の縮図と言えるだろう。今後のIntelの対応や、米国政府・議会の反応が注目される。
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