日本の半導体産業史において、歴史的な一歩となる一日が訪れた。2025年7月18日、国策半導体企業Rapidusは、北海道千歳市に建設中の最新鋭工場「IIM-1」において、次世代の2nmプロセスを採用した半導体のプロトタイプ(試作品)製造を開始し、初期の電気的特性評価にも成功したと発表した。

これは技術的なマイルストーンの報告としても誇るべき事であるが、それだけに留まらず、かつて世界を席巻しながらも凋落した「日の丸半導体」が、再び世界の最前線に返り咲くための、力強い狼煙であるとも言えるだろう。2027年の量産開始という野心的な目標に向け、業界の常識を覆すスピードで突き進むRapidus。その挑戦の核心には、TSMCやSamsungといった既存の巨人たちとは異なるゲームのルールで勝負しようとする、革新的かつ大胆な戦略が存在する。

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驚異の「神速開発」が示す、オールジャパンの本気度

今回の発表で世界中の業界関係者を最も驚かせたのは、その開発スピードだろう。RapidusがIIM-1の起工式を行ったのは2023年9月。それからわずか2年弱で、世界最先端の2nmプロセスの試作品製造にまでこぎ着けたことになる。記者会見で、同社の東哲郎会長はこの進捗を「世界の半導体業界のオブザーバーを驚愕させる稀有な偉業」と評しており、その異例さは疑いようがない。

この「神速」を象徴するエピソードがある。2nm世代の製造に不可欠なEUV(極端紫外線)リソグラフィ装置だ。Rapidusは2024年12月に日本国内で初となる最新鋭EUV装置を搬入すると、わずか3ヶ月後の2025年4月1日には初の露光作業に成功している。CEOの小池淳義氏が「装置納入からわずか3ヶ月で露光に成功した前例は世界にない」と語るように、これは通常では考えられないペースだ。

この背景には、単なる一企業の努力を超えた国家レベルの強力な後押しがある。Rapidusには、技術パートナーである米IBMから約10名のエンジニアが派遣され、24時間体制で技術移管を支援。さらに日本政府による巨額の財政支援と、サプライヤーや研究機関を巻き込んだ「オールジャパン」体制が、この驚異的なスピードを実現する原動力となっている。まさに、日本の産業界が総力を挙げて、失われた時間を取り戻そうとしているかのようだ。

技術的革新の核心:「完全枚葉式」という賭け

Rapidusの挑戦は、単にスピードだけが特徴ではない。その製造戦略の根幹には、既存の巨大ファウンドリとは一線を画す、野心的なアプローチがある。それが「全工程枚葉式」の採用だ。

現在の半導体製造において、TSMC、Samsung、Intelといった大手は、EUV露光のような精度が求められる重要工程ではウェハーを1枚ずつ処理する「枚葉式」を、それ以外の酸化や洗浄などの工程では複数枚をまとめて処理する「バッチ式」を組み合わせるのが一般的だ。これにより、精度と生産効率(スループット)を両立させている。

しかし、Rapidusはこの常識に挑む。同社は酸化、イオン注入、洗浄、アニール(熱処理)といった全てのフロントエンド工程で枚葉式を適用する計画だ。

この戦略は、まさに諸刃の剣と言える。
メリットは計り知れない。各ウェハーを個別に処理・検査することで、異常を早期に検知し、リアルタイムでプロセス条件を微調整できる。これにより、バッチ式では得られない膨大かつ高解像度のデータをウェハー1枚ごとに収集可能となる。このデータをAIアルゴリズムで解析すれば、欠陥の発生を抑制し、歩留まり(良品率)を劇的に、そして迅速に改善できる可能性がある。これは、サイクルタイムの短縮と、顧客ごとの細かい要求に応える多品種少量生産を目指すRapidusのビジネスモデルに完全に合致する。

一方で、デメリットも大きい。ウェハーを1枚ずつ処理するため、装置あたりのスループットはバッチ処理に比べて低く、生産サイクルタイムは長くなる。装置自体もより複雑で高価になり、生産コストの上昇は避けられない。

Rapidusは、この短期的なコスト増やスループットの低さというハンディキャップを負ってでも、長期的な「歩留まりの高速改善」と「適応的なプロセス制御」によって競争優位性を確立できると賭けているのだ。これは、規模の経済で勝負する既存の巨人たちと同じ土俵ではなく、品質と柔軟性という新たな価値基準で戦いを挑むという、明確な戦略的意図の表れに他ならない。

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巨人の肩に乗る戦略:IBMとの連携とGAA技術

Rapidusは、最先端技術をゼロから開発しているわけではない。その成功の鍵を握るのが、技術パートナーであるIBMとの強固な連携だ。Rapidusが採用する2nmプロセスの中核技術「GAA(Gate-All-Around)」は、IBMが世界に先駆けて開発した技術である。

GAAは、トランジスタの電流を制御するゲートが、電流の通り道となるチャネルの四方すべてを包み込む構造を持つ。これにより、従来のFinFET構造よりも電流のリーク(漏れ)を効果的に抑制でき、より高い性能と低い消費電力を両立できる。ユーザー提供の調査結果によれば、この技術は従来の7nmチップと比較して45%の性能向上または75%の消費電力削減を見込むとされる。

Rapidusは、このIBMが築き上げた先進技術を忠実に再現し、量産化することに集中している。いわば「巨人の肩に乗る」戦略だ。IBMが次世代のsub-1nm(1nm未満)チップの量産パートナーとしてRapidusを視野に入れているという報道もあり、両社の連携は単なる技術供与に留まらない、未来を見据えた戦略的パートナーシップであることがうかがえる。

1.7兆円支援と「黄金株」:国家戦略としての半導体

Rapidusの挑戦を語る上で、日本政府による前例のない規模の支援は不可欠な要素だ。すでに決定されている支援額は約1.72兆円に上る。これは、半導体製造能力がもはや単なる一産業ではなく、経済安全保障を左右する戦略的資産であるという国家の強い意志の表れだ。

しかし、この手厚い支援には「対価」が伴う。日本政府は支援の条件として、重要事項に対する拒否権を持つ特殊な株式「黄金株」の取得を検討していると報じられている。これは、技術の海外流出を防ぎ、Rapidusが国家戦略に沿った運営を行うことを担保するための措置と考えられる。

この事実は、Rapidusが純粋な民間企業ではなく、国家の意思を色濃く反映した「国策企業」としての側面を持つことを示している。巨額の公的資金を背景にした迅速な意思決定が可能になる一方で、経営の自由度が制約され、政治的な情勢に左右されるリスクも内包する。この国家との絶妙な距離感が、今後のRapidusの舵取りにおける重要なテーマとなるだろう。

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残された最大の課題:誰がRapidusのチップを買うのか?

技術的なマイルストーンを次々とクリアするRapidusだが、その前途には最大の、そして最も現実的な課題が待ち受けている。それは「誰が顧客になるのか?」という問いだ。

現在の先端ファウンドリ市場は、TSMC、Samsung、そして自社製造を強化するIntelという3大プレーヤーによる寡占状態にある。この牙城に、実績のない新規参入者が食い込むのは並大抵のことではない。

CEOの小池氏は「年末までに顧客のパイプラインがより明確になる」と語るが、具体的な大口顧客の名前はまだ聞こえてこない。Rapidusが狙うのは、AI、HPC(高性能コンピューティング)、自動車といった分野で多品種少量生産を求める「より小規模なメーカー」と見られる。

その試金石となるのが、2025年度中(2026年3月まで)に提供が予定されている「PDK(プロセス開発キット)」だ。PDKは、半導体を設計する上で不可欠な設計ツールであり、これを使って顧客はRapidusの2nmプロセスが自社の製品要求を満たすかを評価する。このPDKの出来栄えと、それに対する顧客の反応が、Rapidusの未来を占う最初の重要な指標となるだろう。

Rapidusの挑戦は、まだ始まったばかりだ。その道のりは決して平坦ではない。しかし、この不可能とも思われたプロジェクトが、驚異的なスピードで現実のものとなりつつあることもまた事実である。この壮大な実験の成否は、単に日本の半導体産業の未来を左右するだけでなく、世界のテクノロジー勢力図、そして製造業のあり方そのものに、大きな問いを投げかけている。


Sources