走行距離計が17万kmを超えたあたりから、電気自動車のバッテリーパックの奥深くで静かな乖離が広がり始める。並んだ数十個から百数十個のセルのうち、わずか数個だけが他よりも急激に抵抗を増し、容量を失っていく。電気回路としてのバッテリーパックは、直列に繋がれた環の中で最も早く息切れしたセルに合わせて出力を絞り、充電を止めなければならない。個々のセルにはまだ電力を蓄える余力がたっぷり残されていても、最も弱ったセルが安全限界に達した瞬間、システム全体が寿命を迎える。

学術誌『Nature Energy』の2026年6月23日付の論文(DOI: 10.1038/s41560-026-02131-5)は、実走行する商用および自家用の電気自動車フリートから得られた大規模遠隔データを用い、セル間の劣化ばらつきがパック全体の性能をどれほど制約しているかを定量化した。中国科学院大連化学物理研究所のCHEN Zhongwei教授やスウェーデン・チャルマース工科大学のZOU Changfu教授らの研究チームは、北京理工大学やZeekr Technology Europe ABの研究者らと共同で、実験室の加速劣化試験ではなく実走行下の大規模運用データに基づく分析枠組みを提示した。筆頭著者にはLitao Zhou氏とXiaolei Bian氏が同等貢献として名を連ねている。

論文が導き出した数値は重い。セル間の不均一性によって、利用可能なパック健全度(SOH)は乗用車で6.2%、バスで7.5%削られていた。セルの平均寿命と比較した場合のパック有効寿命の短縮は、乗用車で17.7%、バスで22.8%に達する。内部抵抗のばらつきに起因する出力特性の低下もそれぞれ12.9%15.1%と見積もられた。生涯にわたるエネルギー資源の利用効率を統合的に評価した指標では、乗用車パックで80.7%、バスパックでは72.9%にとどまり、最弱のセルが退役基準を引き金として引いた時点で、理論上引き出し得た潜在エネルギーの19.3%から27.1%が手つかずのまま残される構図が見えてきた。

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実験室ベンチから実走行5億行のフリートデータへ

リチウムイオン電池の劣化挙動に関する研究は、過去数十年にわたり環境試験室の恒温槽内で行われる充放電サイクル試験が主流を占めてきた。厳密に制御された温度と電流条件の下で単一のセルを繰り返し測定する手法は、電気化学的な反応素過程を解明するには適している。しかし、実環境の車載パック内部で起きる複雑な現象を捉え切ることはできなかった。

実際のバッテリーパックでは、材料のわずかなばらつき、電極製造時の塗工公差、パック中央部と端部で生じる熱の逃げにくさの違い、さらにはドライバーごとの加減速パターンや充電環境が複雑に重なり合う。こうした諸要因によって、同じ製造ロットのセルであっても、車載されてからの劣化速度は少しずつずれていく。

研究チームが分析対象としたのは、中国新エネルギー車国家監視管理プラットフォームを通じて無線送信された、公称0.1 Hz(10秒に1回)の高精度運用データである。対象車両は、ニッケル、マンガン、コバルトを用いたNMC三元系角形セルを搭載した乗用車116台と、リン酸鉄リチウム(LFP)角形セルを搭載した電動バス17台で構成される。データ収集期間は3年以上に及び、個々の車両の中には総走行距離が30万kmに達するものも含まれていた。

前処理を経て解析に投入されたデータセットは、総計5億8,750万行に上る。取得された信号はパック全体の電圧と電流、セルごとの推定充電状態(SOC)、セル電圧、そして温度センサー値である。実験室で作られた画一的な劣化パターンではなく、現実の道路網を走り抜けた車両群から得られた大規模な母集団を観測基礎としている。研究対象となったフリートは現在も走行を継続している実稼働車両群であり、実際に物理的な故障を起こして廃車されたパックの統計ではない。研究で扱われる退役やエネルギー未利用率は、運用データから構築された劣化軌跡に基づき、特定の退役基準を適用した際に算出されるモデル推定値である。

3段階の推定アルゴリズムと6つの診断指標が暴く内部状態

実走行データを扱う上での最大の壁は、季節による外気温の変動や走行ごとの充電深度の違いが、測定される電圧や抵抗に大きなノイズとして被さることにある。夏場には内部抵抗が小さく見え、冬場には急激に上昇する。研究チームは、環境起因の揺らぎを取り除き、セル固有の経年劣化成分だけを抽出するために3段階の推定手法を設計した。

第一段階では、通常0.2C以下の低レートで実施される長時間の普通充電データを選び出し、開回路電圧と充電状態の関係性(OCV-SOC曲線)を構築する。これと同時に、電流がステップ状に変化した際の瞬間的な電圧変化から、局所線形回帰を用いてオーミック内部抵抗()を同定した。単一サンプルの差分に頼るのではなく、時間窓を用いた回帰を行うことでセンサーノイズの影響を抑制している。

第二段階では、同定されたを固定した上で、1次の等価回路モデルに対して粒子群最適化(PSO)を適用し、セル容量($C$)および分極抵抗・キャパシタンスなどの緩和パラメータを逆問題的に解き明かした。

第三段階において、得られた容量と抵抗の推定値を、標準化された基準温度および動作条件へと正規化する処理が施された。入力層に電流、温度、走行距離を取り、単一の中間層に16個のニューロンを配置したフィードフォワードニューラルネットワークが用いられた。活性化関数にはReLU、出力層には線形関数を採用し、ドロップアウト率0.1、学習率0.001のAdamオプティマイザ、MSE(平均二乗誤差)損失関数を用い、20エポックで早期終了する構成である。季節変動や運用バイアスを数学的に平滑化し、すべてのセルを同一の基準環境に引き戻して比較可能にした。

研究チームは、得られた標準化パラメータから、不均一性の影響を分離評価するための6つの診断指標を定義した。

  • : セル間における健全度(SOH)のばらつき度合い。
  • : 最も劣化したセルがパック全体の有効健全度に与える制約率。
  • : セルの平均寿命に対する、パック全体の有効寿命の比率。
  • : バランシングによって回復できない充電容量の損失率。
  • : 内部抵抗のばらつきによって制限されるパック出力性能の比率。
  • : 生涯にわたる総エネルギー資源の利用効率(と平均の積)。

退役基準として、電気自動車で広く用いられるSOH 0.80(初期容量の80%)ではなく、SOH 0.85という高めの閾値が採用された。対象車両がまだ市場で稼働中であり、フリート全体が従来の退役限界まで達していなかったためだ。論文内で示される寿命短縮率や未利用エネルギーのパーセンテージは、この「SOH 0.85」というモデル上の仮定に直結している。

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走行17万kmの変曲点と乗用車フリートに現れた個体差

解析の結果、NMC三元系バッテリーを積んだ乗用車群において、特徴的な共通挙動が観察された。積算走行距離がおよそ17万kmに達するまでは、セル間のSOHばらつき()は極めて低く、パック内のセルは足並みを揃えて緩やかに経年変化していた。

  • NMC乗用車(116台)
  • LFP電動バス(17台)
車載電池パックにおける劣化指標の低減影響(フリート平均)横棒グラフ。カテゴリ 4 件、系列: NMC乗用車(116台), LFP電動バス(17台)(単位: %)利用可能SOH低下利用可能SOH低下利用可能SOH低下 — NMC乗用車(116台): 6.2%6.2利用可能SOH低下 — LFP電動バス(17台): 7.5%7.5パック有効寿命短縮パック有効寿命短…パック有効寿命短縮 — NMC乗用車(116台): 17.7%17.7パック有効寿命短縮 — LFP電動バス(17台): 22.8%22.8出力性能低下出力性能低下出力性能低下 — NMC乗用車(116台): 12.9%12.9出力性能低下 — LFP電動バス(17台): 15.1%15.1生涯潜在エネルギー未利用率生涯潜在エネルギ…生涯潜在エネルギー未利用率 — NMC乗用車(116台): 19.3%19.3生涯潜在エネルギー未利用率 — LFP電動バス(17台): 27.1%27.1単位: %
データを表で見る
NMC乗用車(116台) (%)LFP電動バス(17台) (%)
利用可能SOH低下6.27.5
パック有効寿命短縮17.722.8
出力性能低下12.915.1
生涯潜在エネルギー未利用率19.327.1
車載電池パックにおける劣化指標の低減影響(フリート平均)SOH 0.85を退役基準とした運用データに基づくモデル推定値出典: Nature Energy (2026), DOI: 10.1038/s41560-026-02131-5

このグラフが示すように、退役基準SOH 0.85の下で、パック有効寿命の短縮とエネルギー資源の未利用率は、乗用車とバスの双方で大きな損失として現れている。特にセル容量の単純な低下を示す利用可能SOHの損失(6.2%および7.5%)と比べて、寿命全体の短縮率(17.7%および22.8%)は大幅に拡大している。

17万kmを超えた地点から、一部の車両において特定のセルが「劣化の急加速ポイント(エージング・ニー)」へと差し掛かり、ばらつきが急速に拡大した。この加速劣化の発生時期と拡大の鋭さには、車両ごとの顕著な個体差が存在した。フリートの中で最も成績の悪かった車両では、17万km付近からセル間の乖離が急激に跳ね上がり、最弱のセルが急速に容量を喪失していった。対照的に、状態の良い車両群では、30万kmに達するまでセル間のばらつきが低水準に抑え込まれていた。

フリート全体を平均した退役時のは0.938であり、均一に劣化したと仮定した場合に比べて有効SOHが6.2%目減りしていた。最も乖離の激しかった個体では、がおよそ0.83まで落ち込み、パックが本来持っていた健全度の約17%が使えない状態に追い込まれていた。

寿命への波及効果はさらに大きい。フリート平均のは0.823を記録し、個々のセルの平均寿命に対してパックの寿命が17.7%短縮されていた。出力性能を示すは平均0.871(12.9%の出力低下)であり、車両ごとの分布はおよそ0.80から0.90(10%から20%の低下幅)の間に収まっていた。

日常的な充電制御に関わる充電状態の偏りを示すは、大半の車両で0.98を上回り続けた。車載の受動的バランシング機能によってSOCの不均衡に起因する容量ロスは2%未満に抑え込まれていた。生涯エネルギー資源利用率であるはフリート全体で0.72から0.86の範囲に散らばり、平均値は0.81であった。エネルギーの取り出しを阻害している主因が、日々の充電のばらつき()ではなく、特定のセルが先に力尽きることでパック全体の寿命が早期終了する現象()にあることが統計的に裏づけられた。

評価指標および車両仕様 NMC角形セル搭載乗用車(116台) LFP角形セル搭載電動バス(17台) 備考と測定・解析上の留意点
正極材料とセル構造 NMC(三元系)、角形セル LFP(リン酸鉄リチウム)、角形セル バスは補助的な参照群であり、直接の化学種間比較ではない
パック内直列セル数 95セル 156セル バスの方が直列セル数が多く、熱勾配が拡大しやすい
バランシング制御 充電中の連続的なパッシブ制御あり 明示的な電圧バランシング制御なし バス側は電圧均等化を行わない仕様のシステム
最大セル間電圧ばらつき 経年後も概ね100 mV以下を維持 初期約100 mV、後期200 mV超、末期最大300 mV バランシングとセル数・配置の違いが電圧差に反映
有効健全度比率( 0.938(6.2%の有効SOH損失) 0.925(7.5%の有効SOH損失) SOH 0.85退役基準に基づくフリート平均モデル値
パック寿命比率( 0.823(17.7%の寿命短縮) 0.772(22.8%の寿命短縮) セル平均寿命に対するパック有効寿命の比率
充電状態効率( 0.98超(容量ロス2%未満) 0.98超(容量ロス2%未満) 双方とも日常のSOC偏りによる影響は軽微
出力維持比率( 0.871(12.9%の出力低下) 0.849(15.1%の出力低下) 内部抵抗増加の不均一性による放電出力の制限
生涯エネルギー利用率( 0.807(約19.3%が未利用) 0.729(約27.1%が未利用) と平均の積。潜在能力に対する実回収率

156セルの巨大パックとバランシング欠如がもたらすバス群の乖離

研究チームは、乗用車群との対比を行う参照フリートとして、17台のLFP電動バスのデータを解析した。このバス群の結果は、セル数の多さと制御の単純化が不均一性をどのように加速させるかを示唆している。

電動バスにおける退役時のフリート平均値は、が0.925(7.5%の健全度損失)、が0.772(22.8%の寿命短縮)、が0.849(15.1%の出力低下)であった。結果として、生涯エネルギー資源利用率であるは0.729まで落ち込み、約27.1%のエネルギーが使われないまま残る計算となった。

論文の記述によれば、バスにおけるエネルギー利用効率の低下は、大型パックにおける均一性維持の困難さに起因する公算が大きい。乗用車が1パックあたり95個のセルで構成されていたのに対し、大型バスは156個のセルを直列に積んでいた。セル数が多くパックの容積が大きくなるほど、冷却風や冷却液の流路に沿った空間的な温度勾配は激しくなる。熱を持つ位置に配置されたセルは、低温に保たれたセルよりも電気化学反応が早く進み、劣化の足並みが乱れていく。

運用の違いも差を広げた。乗用車のバッテリーマネジメントシステム(BMS)は普通充電時に微弱な電流をバイパスさせる連続的なパッシブバランシングを備えており、経年が進んでもセル間の電圧ばらつきは100 mVを超えることが稀だった。これに対して分析対象となった電動バスは、運用上の制約から明示的な電圧バランシング制御を組み込んでいなかった。その結果、運用初期には100 mV前後に収まっていたセル間の電圧差は、経年とともに200 mVを突破し、運用末期には最大で300 mVにまで拡大していた。

研究チームはこの対比を「NMC対LFPの材料特性の優劣」として解釈してはならないと釘を刺している。乗用車フリートとバスフリートは、電池の化学組成だけでなく、直列セル数、幾何学的配置、冷却構造、走行サイクル、そして充電バランシングの有無にいたるまで、あらゆる条件が同時に異なっている。提示されたデータは材料の比較実験ではなく、制御と熱設計の違いを含んだ実運用システム全体としての振る舞いの差異を反映したものと受け止めるのが妥当である。

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観測データの限界と残された工学的課題

提示された数値は、EV用バッテリーの実態に関する貴重な視座を提供する一方で、大規模観測データ特有の限界も抱えている。

第一に、実運用下の遠隔データである以上、電池セル本来の電気化学的劣化メカニズムと、走行環境や温度変化による過渡的な運用影響とを完全には分離できない。実車の中で走行しながら劣化していく個々のセルについて、実験室のような直接的な電気化学測定の正解データ(グラウンド・トゥルース)を取得することは原理的に不可能である。著者ら自身が論文中で明記している通り、算出された各指標は「固有の電気化学的劣化そのもの」ではなく、「実運用環境の下で標準化調整された長期経年指標」として解釈されるべきものである。

第二に、機械学習を用いた標準化モデルの統計的ばらつきが存在する。研究チームはニューラルネットワークの乱数シードを変更して100回の再学習を行い、5%から95%の信頼区間を検証した。その結果、データが豊富に存在する走行距離域では信頼区間は極めて狭く安定していたものの、30万kmを超える極端な走行域では学習サンプルの減少により推定の不確実性が拡大することが確認された。

第三に、著者らが提示した経済的損失の換算額は、実測された金銭的損害ではなく、将来の市場規模を前提とした大まかな試算に過ぎない。論文では、2030年までに世界のリチウムイオン電池市場が約4,000億ドルに達するという先行予測を引き合いに出し、乗用車における約19%の未利用エネルギーを単純に乗じることで、約760億ドル相当の潜在的価値が未回収のまま眠る可能性があると試算している。これはバッテリーのリサイクル価値や定置型蓄電池としての二次利用(セカンドライフ)による回収分を考慮しておらず、工学的な問題の大きさを読者に直感させるための目安と捉えるのが正確である。

不均一性に起因するエネルギー損失を抑え込むための対策として、著者らは製造精度の向上、パック組み立て時の初期セル選別(グルーピング)の最適化、高精度なアクティブバランシング回路の導入、熱マネジメントの高度化、さらにはパワーエレクトロニクスを用いてセル間の接続トポロジーを動的に切り替えるリコンフィギャラブル(再構成可能)バッテリーシステムの導入を挙げている。劣化したセルをバイパスして残りの健全なセルだけで給電を続ければ、最弱のセルに引きずられてパック全体を破棄する事態を避けられる可能性がある。

しかし、提案された対策はすべて理論的・設計上の提案にとどまっており、研究の中で実車を用いた改善効果の実証が行われたわけではない。特に接続を動的に切り替える回路の追加は、パワートランジスタの追加によるハードウェアの複雑化、重量増や容積効率の悪化、寄生抵抗による電力損失、そして初期コストの上昇という別のトレードオフを引き起こす。

実験室の理想的な充放電サイクルから、過酷な現実の道路上へ。研究チームが公開したGitHubリポジトリ(Rico-dicp/Ev-battery-cell-to-cell-inconsistency)には、前処理からOCV-SOC曲線の推定、PSOパラメータ同定、各種指標の計算コード一式が収められており、外部の研究者による検証と追試の道が開かれている。数百万台のEVが街を走る時代にあって、バッテリーを「平均」で捉える視線から、個々のセルの「ばらつき」をいかに制御し手なずけるかというシステム工学への視線への転換が問われている。