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CERNの大規模実験で鉛を金に変換する「錬金術」の観測に初成功

Y Kobayashi

2025年5月12日

中世の錬金術師たちが追い求めた「卑金属を貴金属に変える」夢。スイスの欧州原子核研究機構(CERN)は、世界最大の粒子加速器LHC(大型ハドロン衝突型加速器)を用いたALICE実験で、鉛原子核が金原子核に変換する現象を詳細に観測したと発表した。この成果は、物理学専門誌『Physical Review Journals』に掲載され、科学界に新たな興奮をもたらしている。しかし、この「現代の錬金術」は、果たして人類に富をもたらすのであろうか。

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錬金術の夢、ついに現代科学が解き明かすか? LHCが見せた驚異の核変換

古来より、人々を魅了し続けてきた「鉛から金を作り出す」という錬金術の夢。賢者の石を求め、様々な試みがなされてきたが、近代科学の発展とともに、元素は化学反応では他の元素に変わらないことが明らかになり、その夢は潰えたかに思われた。

しかし、20世紀に入り、原子核物理学が幕を開けると、状況は一変する。放射性崩壊や、中性子・陽子を原子核に衝突させることで、ある元素を別の元素に変換する「核変換」が可能であることが発見されたのだ。そして今、CERNのALICEコラボレーションが、大型ハドロン衝突型加速器(LHC)という現代科学の粋を結集した装置を用いて、鉛が金へと姿を変える瞬間を、これまでにない精度で捉えることに成功した。

CERNの発表によると、この現象は、LHC内でほぼ光速(光速の99.999993%)まで加速された鉛原子核同士が、直接衝突するのではなく、ごくわずかに「ニアミス」する際に発生すると言う。このニアミス時に、鉛原子核の周囲に発生する超強力な電磁場が鍵を握る。

鉛の原子核は82個もの陽子を持っており、それぞれが電荷を帯びているため、その電磁場は元々非常に強力である。LHC内で超高速運動することで、この電磁場の磁力線は進行方向に対して垂直な薄い円盤状に圧縮され、短時間の強力な光子のパルス(光の粒の束)を生成する。この光子が別の鉛原子核と相互作用し、その内部構造を揺さぶることで、陽子や中性子を数個叩き出す「電磁解離」と呼ばれるプロセスが引き起こされるのだ。

金は79個の陽子を持つ原子核である。つまり、鉛の原子核(陽子82個)から陽子を3個取り除くことができれば、それは金原子核へと変貌を遂げることになる。ALICE実験は、まさにこの瞬間を捉えたのだ。

ALICEのスポークスパーソンであるMarco Van Leeuwen氏は、「我々の検出器が、何千もの粒子を生成する正面衝突を処理できると同時に、一度に数個の粒子しか生成されないような衝突にも感応し、電磁的な『核変換』プロセスの研究を可能にしていることは印象的です」と語る。

一瞬の輝き、観測された金の生成量とその運命

ALICEチームは、検出器の一部である「ゼロ度カロリメーター(ZDC)」を用いて、この電磁解離によって放出される陽子の数を計測した。その結果、陽子を3個放出し(少なくとも1個の中性子とともに)、金原子核が生成されるケースを特定したのだ。

驚くべきことに、その生成率は、ALICE衝突点で鉛同士の衝突から、最大で毎秒約89,000個の金原子核に達すると報告されている。これは、LHCのRun 2(2015年~2018年)の期間中に、4つの主要な実験全体で約860億個の金原子核が生成されたことを意味する。

しかし、ここで錬金術師たちの夢は、再び現代科学の現実に直面する。この860億個という膨大な数の金原子核も、質量に換算すると、わずか29ピコグラム(2.9 × 10のマイナス11乗グラム)にしかならない。これは、宝飾品を作るどころか、肉眼で確認することすら困難な、まさに「微々たる量」とだ。

さらに、生成された金原子核は、非常に高いエネルギーを持った状態で出現し、LHCのビームパイプやコリメーター(ビームを絞る装置)に衝突し、即座に陽子、中性子、その他の粒子へと崩壊してしまう。つまり、生成された金は、ほんの一瞬、文字通り「瞬きする間」しか存在できないのである。

LHCは定期的なアップグレードにより性能が向上しており、最近のRun 3ではRun 2のほぼ2倍の金が生成されたと推定されているが、それでも宝飾品に必要な量には「何兆倍も足りない」のが現状であり、富をもたらす錬金術とはほど遠い

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科学的意義:理論モデルの検証と未来の加速器への貢献

では、この「実用的ではない金」の発見に、どのような科学的意義があるのだろうか。

ALICEコラボレーションのUliana Dmitrieva氏は、「ALICE ZDCのユニークな能力のおかげで、今回の分析は、LHCでの金生成の痕跡を実験的に系統的に検出し、分析した初めてのものです」と強調する。これまで理論的に予測されていた現象を、実験的に詳細に検証できたこと自体が、基礎物理学における大きな進歩と言える。

さらに、同じくALICEコラボレーションのJohn Jowett氏は、「この結果は、電磁解離の理論モデルを検証し、改善するものです。これは、それ自体の物理学的な興味深さを超えて、LHCや将来の衝突型加速器の性能における主要な制限であるビーム損失を理解し予測するために使用されます」と付け加える。

つまり、この研究は、単に「鉛が金に変わった」という現象の確認に留まらず、素粒子物理学の根幹に関わる理論の精密な検証や、将来のより高性能な加速器を設計・運用していく上で不可欠な知見を提供するものなのだ。LHCのような巨大科学装置の性能限界を押し広げ、未知の物理現象の探求を可能にするための重要なステップと言えるでだろう。

中世の錬金術師たちが夢見た鉛から金への変換は、姿形を変え、現代物理学の最先端で実現した。それは富をもたらす魔法ではなかったが、宇宙の成り立ちや物質の根源を探るという、人類の知的好奇心を満たす、まさに「知の錬金術」と言えるのではないだろうか。CERNの挑戦は、これからも私たちに驚きと新たな発見をもたらしてくれるに違いない。


論文

参考文献

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