半導体業界の巨人ASMLが築き上げたEUV(極端紫外線)リソグラフィという牙城に、サンフランシスコから現れた無名のスタートアップが真っ向から挑もうとしている。2024年に設立されたばかりのInversion Semiconductor社だ。彼らが掲げるのは、「小型粒子加速器」を用いた革新的な光源技術。実現すれば、半導体製造を最大15倍高速化し、ムーアの法則をさらに先へと推し進める可能性があるという。
なぜ今、新たなリソグラフィ技術が必要なのか?巨人ASMLが直面する壁
現代の高性能半導体を製造する上で、リソグラフィ技術は心臓部と言える。シリコンウェハー上に微細な回路パターンを焼き付けるこの工程の精度が、チップの性能を決定づけるからだ。そして現在、最先端のEUVリソグラフィ装置を市場に供給できるのは、オランダのASML社ただ一社である。
ASMLのEUV装置は、錫(スズ)の微小な粒子に高出力レーザーを照射してプラズマ化し、そこから発せられる13.5nmという極めて短い波長の光を利用する。この技術により、人類は5nm、3nmといった、もはや原子数個分のスケールでの回路形成を可能にした。
しかし、その栄光の裏で、ASMLの技術も物理的な限界と経済的な課題に直面している。
- 光源出力の限界: より高速な生産(スループット向上)には、より強力な光源が必要だが、現在のLPP(レーザー生成プラズマ)方式の出力向上には限界が見え始めている。
- コストの増大: 一台数百億円とも言われるEUV装置の価格は高騰を続け、次世代の高NA(開口数)EUV装置はさらに高価になる見込みだ。これは、半導体メーカーにとって大きな投資負担となる。
- さらなる微細化への挑戦: 13.5nmの先、例えば6.7nmといったさらに短い波長の光を実用化するには、光源からミラー、レジスト(感光材)に至るまで、エコシステム全体を刷新する必要があり、その技術的ハードルは計り知れない。
このような背景の中、ASMLとは全く異なるアプローチでこれらの課題を根本から解決しようと名乗りを上げたのが、Inversion Semiconductorなのだ。
物理学の常識を覆す?「テーブルトップ粒子加速器」という革命
Inversion社の技術の核心は、「レーザー航跡場加速(LWFA: Laser Wakefield Acceleration)」と呼ばれる原理にある。これは、CERNの大型ハドロン衝突型加速器のような数キロメートルに及ぶ巨大施設を、わずか数メートル、あるいは「テーブルトップ」サイズにまで小型化する可能性を秘めた、まさに革命的な技術だ。
電子を波に乗せる「光のサーフィン」技術、LWFAとは

LWFAは、高強度の超短パルスレーザーとプラズマの相互作用を利用して、電子を極めて高いエネルギーに加速する技術だ。具体的には、強力なレーザーパルスがプラズマ中を伝播する際、その「光圧(ponderomotive force)」によってプラズマ中の電子を進行方向の軸から横方向に押しやり、一時的にプラズマから排除する。これにより、レーザーパルスの後方に電子が不足した領域、すなわち正に帯電したイオンの「泡(バブル)」のような構造が形成される。この泡は、レーザーパルスに追従するように光速に近い速度で移動し、その内部には極めて強力な電場(プラズマ波、またはウェイクフィールド)が形成される。
この電場は、従来の粒子加速器で用いられる高周波(RF)空洞の電場と比較して、3桁から4桁(100倍から1000倍)も強力であるとされている。例えば、一般的なRF空洞では1mあたり40MV/m程度の電場が限界であるのに対し、LWFAでは100GV/mを超える電場を数マイクロメートルから数ミリメートルの距離で実現可能だ。この「超高電場」の特性こそが、Inversion Semiconductorが目指す「加速器の小型化」の鍵となる。
このプロセスは、あたかもサーファーが沖から押し寄せる波に乗って加速するかのように、プラズマ中の電子がこの強力なプラズマ波に乗って運動エネルギーを獲得する様子に例えられる。電子はプラズマ波の加速位相に捕捉され、短距離でギガ電子ボルト(GeV)級のエネルギーまで加速されることが可能となる。これにより、従来の巨大な粒子加速器施設が数キロメートルものインフラを必要とするのに対し、LWFAベースの加速器は「卓上サイズ(テーブルトップ)」、すなわち数メートル程度のスペースで同等の高エネルギー電子ビームを生成できるとInversion Semiconductorは主張する。これは、半導体製造装置への組み込みを現実的なものにする画期的な進歩と言えるだろう。
Inversion社が描く未来の光源
Inversion社は、このLWFAで加速した高エネルギーの電子ビームを、特殊な磁石構造(アンジュレータなど)を通過させることで、リソグラフィに利用可能な高輝度の光(自由電子レーザー)を生成する計画だ。
彼らの光源「STARLIGHT」が持つとされる特徴は、既存技術を凌駕する可能性を秘めている。
- 圧倒的な出力: ASMLが今後数年で目指す光源出力が1kW程度であるのに対し、Inversion社は最大10kWを目標に掲げる。これが実現すれば、単純計算でウェハー処理速度が劇的に向上し、同社の主張する「15倍高速な製造」も現実味を帯びてくる。
- 波長の調整可能性(チューナビリティ): LPP方式の光源が実質的に13.5nmに固定されているのに対し、LWFAベースの光源は電子のエネルギーを調整することで、13.5nmから次世代の目標である6.7nmまで、柔軟に波長を変更できる可能性がある。これは、将来の微細化プロセスへのスムーズな移行を意味する。
- 高いコヒーレンス(可干渉性): 生成される光がレーザーのように位相の揃ったコヒーレント光であるため、より精密なパターニングが可能になる可能性がある。
一つの強力な光源で複数のリソグラフィ装置を駆動させる構想もあり、実現すれば半導体工場の設備コストを大幅に削減できるかもしれない。
夢物語か、それとも革命前夜か?立ちはだかる5つの巨大な壁
Inversion社のビジョンは壮大だが、その道のりは決して平坦ではない。実験室レベルでの成功と、24時間365日稼働し続ける半導体工場での量産化の間には、「死の谷」とも呼ばれる深い溝が存在する。
1. ペタワット級レーザーという「心臓」の問題
LWFAには、超高出力のペタワット(1000兆ワット)級レーザーが必要となる。こうしたレーザーは巨大で、極めて高価であり、膨大な電力を消費する。その安定稼働、冷却、そして何より量産ツールとして求められる高い繰り返し周波数での安定した発振は、未だ誰も達成したことのない領域だ。
2. 神業レベルの「安定性」の要求
リソグラフィはナノメートルの世界だ。光源の波長、出力、方向がわずかでも揺らげば、それは即座にチップの致命的な欠陥につながる。学術研究で観測されるLWFAの電子ビームは、エネルギーの広がりや方向のばらつきが大きいことが知られている。これを量産レベルで要求される百万分の1以下の精度で制御する技術は、まだ確立されていない。
3. 光源だけでは作れない「エコシステム」の壁
たとえ理想的な光源が完成したとしても、それだけではチップは作れない。ASMLは、光源メーカーのCymer(現ASML子会社)だけでなく、独Carl Zeissの超精密ミラー、世界中のレジストメーカーやペリクル(防塵マスク)メーカーといった巨大なエコシステムを、数十年の歳月をかけて築き上げてきた。Inversion社が、特に6.7nmのような新波長を目指す場合、このエコシステム全体を自ら構築するか、既存のプレイヤーを巻き込む必要があり、そのハードルは極めて高い。
4. 「量産ノウハウ」という経験値の欠如
Inversion社の創業者、Rohan Karthik氏とDaniel Vega氏は、それぞれ機械工学と応用物理学分野で優れた経歴を持つが、半導体量産装置の開発・保守という極めて実践的な経験は未知数だ。世界中の工場で24時間安定稼働し、迅速なメンテナンスが可能な装置を設計・製造するノウハウは、一朝一夕に得られるものではない。
5. 巨人ASMLとの協業、あるいは競合という現実
最も現実的なシナリオは、Inversion社が光源のみを開発し、ASMLの装置に組み込んでもらうことだろう。しかし、ASMLが自社のLPP方式を捨ててまで、外部の不安定要素を取り込むインセンティブは低い。かといって、リソグラフィ装置全体を自社開発してASMLに直接競合する道は、時間と資金の両面で天文学的な挑戦となる。
半導体の未来を占う、目が離せない挑戦が始まった
Inversion Semiconductorの挑戦は、壮大なビジョンと、それと同じくらい巨大な課題を内包している。現時点では、彼らの主張を「夢物語」と切り捨てるのは簡単だ。しかし、ローレンス・バークレー国立研究所との提携や、Y Combinatorという有力な支援者の存在は、彼らが単なる空想家ではないことを示唆している。
彼らの技術がもし、立ちはだかる数々の壁を乗り越え、実用化への道を切り拓くことができれば、その影響は計り知れない。半導体製造のコスト構造が変わり、AI、自動運転、次世代通信といったあらゆる分野の技術革新が加速するだろう。
ASMLが築いた帝国に、LWFAという全く新しい武器で挑むInversion Semiconductor。このダビデとゴリアテの戦いは、まだ始まったばかりだ。革命は起きるのか、それとも巨大な壁の前に散るのか。彼らの動向は、半導体業界、ひいては我々のテクノロジー社会の未来を占う上で、今後最も注目すべき物語の一つであることは間違いない。
Sources
- eeNews Europe: Inversion Semiconductor aims at brighter, faster lithography