テクノロジーと科学の最新の話題を毎日配信中!!

漆黒塗料「ベンタブラック」が夜空を救う:「見えない衛星」が2026年に打ち上げへ

Y Kobayashi

2025年6月19日12:18PM

増え続ける人工衛星が夜空を覆い、天文学の未来を脅かしている。この深刻な「光害」問題に、科学と技術が一条の光を投じようとしている。サリー大学から生まれた企業Surrey NanoSystemsは、世界で最も黒い物質の一つ「ベンタブラック」を進化させた新塗料を開発。2026年、この究極の黒をまとった衛星が、我々の夜空を取り戻すための壮大な実験に挑む。

スポンサーリンク

忍び寄る「光の壁」- 天文観測を脅かすメガコンステレーションの現実

夜空を見上げれば、星々の間に筋状の光がよぎる。それは流星ではない。低軌道を周回する人工衛星だ。かつては稀な光景だったが、今や天文学者にとって悪夢となりつつある。

統計によれば、現在地球を周回する衛星は約15,000基に迫る。しかし、SpaceX社の「Starlink」に代表される巨大衛星網(メガコンステレーション)計画の加速により、その数は今後数十年で10万基以上に膨れ上がると予測されている。すでにStarlinkだけで、全周回衛星の60%以上を占めるというから驚きだ。

この衛星の急増がもたらすのが、太陽光を反射して地上に降り注ぐ「衛星光害」である。天文学者たちは、この問題が宇宙の深淵を探る我々の目を曇らせると警鐘を鳴らし続けてきた

特に深刻な影響が懸念されるのが、チリで間もなく本格稼働する「ヴェラ・C・ルービン天文台」だ。約1.9億ドルを投じたこの最新鋭の天文台は、その観測画像の最大40%が衛星の光跡によって損なわれる可能性があるとSpace.comは報じている。これは、納税者の莫大な投資によって得られるはずの科学的成果が、著しく毀損されることを意味する。

サリー大学の宇宙物理学者、Noelia Noël博士は、この状況に強い危機感を抱いている一人だ。「過去5年間で人類が打ち上げた衛星の数は、それ以前の60年間を上回ります」と博士は語る。「これは天文学にとって本物の問題です。我々は何かをしなければなりませんでした」。彼女のこの情熱が、今回の画期的なプロジェクトの原動力となった。

夜空に“ステルス”を。究極の黒「Vantablack 310」誕生秘話

問題解決の鍵を握るのは、サリー大学からスピンオフした企業、Surrey NanoSystems社が開発した「Vantablack 310」と呼ばれる超黒色塗料だ。同社のベンタブラック(Vantablack)は、光の99.965%を吸収する性能で知られ、まるで二次元の穴のように見えることで世界を驚かせた素材である。

しかし、初期のベンタブラックは、垂直に並んだ微細なカーボンナノチューブで構成されており、非常にデリケートで扱いにくいという課題があった。手で触れるだけでその構造が壊れ、光吸収性能が失われてしまうため、衛星製造の現場で広く採用するには現実的ではなかったのだ。

そこでNoël博士とSurrey NanoSystemsが共同で開発したのが、新世代のVantablack 310だ。
「私たちは、エンジニアが自社の施設で簡単に扱えるものを必要としていました」と、同社の材料科学者Kieran Clifford氏はSpace.comに語る。

Vantablack 310は、従来のカーボンナノチューブ構造ではなく、煤(すす)に近い炭素素材「カーボンブラック」と、宇宙の過酷な環境に耐える特殊な結合剤を独自に配合して作られている。これにより、劇的な進化を遂げた。

  • 高い耐久性: 極端な温度変化や宇宙放射線に晒される軌道上で3年間に相当するシミュレーション試験を、ほとんど劣化なくクリア。競合の宇宙用塗料が完全に侵食されたのとは対照的だ。
  • 優れた施工性: 繊細なナノ構造ではないため、製造現場での取り扱いや塗布が格段に容易になった。
  • 卓越した光吸収性能: 競合塗料が約5%の光を反射するのに対し、Vantablack 310の反射率はわずか2%。可視光から近赤外線まで、幅広い波長で高い性能を発揮する。

SpaceXも過去に衛星を黒く塗装する試みを行ったが、吸収した熱で衛星がオーバーヒートするなどの問題があり、結果は芳しくなかった。しかしClifford氏は、Vantablack 310では同様の問題は起こりにくいと考えており、その効果に自信を見せる。「シミュレーションでは、我々のコーティングは衛星を肉眼で見えなくするはずです。これは明るさの等級で7等級に相当します。現在のStarlink衛星が3から5等級であることを考えれば、その差は歴然です」。

天体の明るさを示す「等級」は、数字が小さいほど明るい。肉眼で見える最も暗い星が6等星あたりであることを考えると、7等星というのは小型の望遠鏡を使わなければ見えないレベルの暗さだ。まさに、宇宙における一種の“ステルス技術”と言えるだろう。

スポンサーリンク

2026年、実証の時。靴箱サイズの衛星「Jovian 1」が担う使命

理論や地上試験でどれほど優れた結果が出ても、最終的な審判は宇宙空間で下される。その実証の舞台となるのが、2026年に打ち上げが予定されている靴箱サイズの超小型衛星「Jovian 1」だ。

このミッションは、サリー大学、ポーツマス大学、サウサンプトン大学が連携する人材育成プログラム「JUPITER (Joint Universities Programme for In-Orbit Training, Education and Research)」の一環として進められている。Jovian 1は、学生たちが中心となって開発するキューブサット(CubeSat)であり、英国の複数の大学が開発したペイロード(観測機器など)を搭載する。

実験計画はこうだ。
Jovian 1が展開する太陽光パネルの片面(裏側)にVantablack 310を塗布。衛星が地球を周回する間、地上から光学望遠鏡でその機体を継続的に観測する。衛星を回転させ、塗装面と非塗装面が観測者に向いた際の明るさの変化を精密に測定することで、Vantablack 310が宇宙空間で実際にどれだけ衛星の輝度を低減できるかを評価するのだ。

この小さな衛星が地球周回軌道から送るデータは、衛星光害という地球規模の課題に対する、最も有望な解決策の成否を占う試金石となる。

Vantablackは万能薬か?残された課題と持続可能な宇宙への道

Vantablack 310が期待通りの性能を発揮すれば、衛星光害問題にとって大きなブレークスルーとなることは間違いない。しかし、メガコンステレーションがもたらす問題は光害だけではないことを、我々は冷静に認識しておく必要がある。

とは言え、たとえ衛星が光を反射しなくなっても、衛星自身が発する電波による「電波干渉」は残る。これは電波望遠鏡による観測を深刻に妨害し、いずれ地上からの電波天文学が不可能になる「転換点」が訪れるとさえ警告されている。

さらに、増え続ける衛星は宇宙空間での衝突リスクを高め、危険なスペースデブリ(宇宙ゴミ)を増殖させる。そして、役目を終えた衛星が大気圏で燃え尽きる際に放出される金属粒子が、地球の上層大気に未知の影響を与えていることも明らかになってきた。

ベンタブラックは、これらの問題を直接解決するものではない。しかし、最も切迫した課題の一つである光害に対して、これほど具体的で実現可能性の高い解決策が提示された意義は極めて大きい。

この技術が衛星メーカーに広く採用されれば、それは技術的な勝利に留まらない。Noël博士が願うように、政策変更を促すきっかけになるかもしれない。「衛星は素晴らしい技術です。しかし、私たちは同時に、空が誰にとってもアクセス可能なものであり続けることを確実にしたいのです」と彼女は語る。

Jovian 1の打ち上げは、単なる一技術の実証実験ではない。それは、急拡大する宇宙開発と、人類が数千年にわたって見上げてきた星空との共存を模索する、重要な一歩となるだろう。この漆黒の塗料が、未来の夜空に静寂を取り戻すことを期待したい。


Sources

Follow Me !

\ この記事が気に入ったら是非フォローを! /

フォローする
スポンサーリンク

コメントする