2025年、量子技術と医療インフラを支える「冷却技術」において決定的な革命が起きた。
国立研究開発法人物質・材料研究機構(NIMS)と大島商船高等専門学校の研究チームは、銅(Cu)、鉄(Fe)、アルミニウム(Al)という、地球上で最もありふれた安価な元素のみを用いて、絶対零度に近い極低温(約4ケルビン=マイナス269℃)を生成できる新しい蓄冷材料の開発に成功したのだ。
この発見の重要性は、単なる材料科学の成果に留まらない。それは、現代の先端科学が長年抱えてきた「ヘリウム供給危機」と「レアアース依存」という二重の地政学的・経済的リスクを根底から覆す可能性を秘めているからだ。なぜ、これほど身近な元素が、これまで希少な重レアアース(重希土類)にしか不可能とされてきた極低温の世界への扉を開いたのか。その鍵は、物質内部のミクロな「迷い」すなわち「スピンフラストレーション」という量子現象にあった。
危機に瀕する極低温:レアアースとヘリウムの「二重の壁」
なぜ、新しい冷却材料が必要なのか。その背景には、現代文明を支えるハイテク機器が直面している深刻な資源問題がある。

液体ヘリウムの枯渇と供給不安
MRI(磁気共鳴断層撮影装置)や量子コンピューター、リニアモーターカーなどに不可欠な超伝導技術。これを維持するためには、電気抵抗をゼロにする極低温環境が必要となる。従来、この冷却には「液体ヘリウム」が湯水のように使われてきた。
しかし、ヘリウムは天然ガスの採掘時に副産物としてわずかに得られるだけの希少資源である。近年、戦略物資としての囲い込みやガス田の閉鎖、輸送コストの高騰により、その供給は極めて不安定化している。「ヘリウムショック」と呼ばれる供給危機は、医療現場や研究機関を度々パニックに陥れてきた。
重レアアース「ホルミウム」への過度な依存
この問題を解決するため、液体ヘリウムを補給し続けることなく、電気で駆動して極低温を作り出す「Gifford-McMahon(GM)冷凍機」などの無冷媒冷凍機が普及し始めた。この冷凍機の心臓部には、熱を吸収・放出する「蓄冷材(regenerator material)」と呼ばれる球状の粒子が充填されている。
問題は、4ケルビン(4K)という極低温領域で十分な熱容量(熱を吸い取る能力)を持つ物質が、これまで重レアアースの一種である「ホルミウム(Ho)」を用いた化合物(\(HoCu_2\))に限られていたことだ。
試算によれば、現在稼働している約10万台のMRIをすべてGM冷凍機で置き換えようとすれば、約100トンのホルミウムが必要となる。しかし、ホルミウムの世界年間生産量はわずか10トン程度に過ぎない。つまり、需要が供給の10倍以上という絶望的な需給ギャップが存在しており、これが量子技術や高度医療機器の普及を阻む「見えない壁」となっていたのである。
パラダイムシフト:ありふれた元素への回帰
NIMSの寺田典樹主席研究員らのチームが提示した解決策は、極めてエレガントかつ破壊的であった。彼らが開発した新材料「CFAO(\(CuFe_{1-x}Al_xO_2\))」は、以下の元素で構成されている。
- 銅 (Copper): 電線や硬貨に使われる一般的な金属。
- 鉄 (Iron): 地殻中で最も豊富な金属の一つ。
- アルミニウム (Aluminum): 1円玉やアルミ箔の原料。
- 酸素 (Oxygen): 私たちが呼吸している気体。
これらはすべて、資源的な制約がほぼ皆無であり、安価で、環境負荷も低い。従来、「極低温で大きな磁気熱容量を得るには、巨大な磁気モーメントを持つレアアース(ホルミウムやエルビウムなど)が不可欠である」というのが物理学の常識であった。研究チームは、この常識を「スピンフラストレーション」という物理現象を巧みに操ることで覆したのである。
核心の物理学:スピンフラストレーションと「迷い」のエネルギー
なぜ、鉄のようなありふれた磁性体で、レアアース並みの冷却能力を発揮できるのか。ここでは、その物理的メカニズムを深掘りする。
1. 熱容量とエントロピーの戦い
冷凍機が温度を下げるプロセスは、熱力学的には「物質のエントロピー(乱雑さ)を操作して熱を吸い取る」行為に他ならない。極低温において物質が熱を吸い取る能力(比熱)を高めるには、その温度域で物質内部の状態(スピンの向きなど)が激しく変化する必要がある。
通常の鉄化合物などの遷移金属酸化物では、スピン(原子磁石)同士の結びつき(交換相互作用)があまりに強すぎる。そのため、室温やそれ以上の高温ですでにスピンが整列してしまい(磁気秩序の形成)、肝心の極低温領域ではスピンがガチガチに固まって動かず、熱を吸い取る能力を失ってしまう。これが、これまで鉄などが極低温蓄冷材として不適とされてきた理由である。
2. 三角格子のジレンマ
ここで研究チームが着目したのが、結晶構造が「三角格子」である物質だ。
\(CuFeO_2\)(デラフォサイト構造)において、鉄原子(\(Fe^{3+}\))は層状の三角格子を形成している。
想像してほしい。三角形の頂点に位置する3つの原子磁石(スピン)があるとする。これらが「隣とは逆向きになりたい(反強磁性相互作用)」という性質を持っている場合、どうなるか。
- Aが「上」を向く。
- 隣のBはAに反発して「下」を向く。
- では、AとBの両方に隣り合っているCは、どちらを向けばいいのか?
Aに対しては「下」を向きたいが、Bに対しては「上」を向きたい。Cは板挟み状態に陥る。これが物理学でいう「幾何学的フラストレーション(Frustration)」である。
3. 秩序の崩壊が生む「低温での巨大比熱」
このフラストレーションが存在すると、スピンたちはどの向きに落ち着けばいいのか「迷い」続けることになる。その結果、本来ならもっと高温で整列して固まるはずのスピンたちが、極低温になるまでバラバラの(無秩序な)状態を維持し続ける。
そして、絶対零度近くになってようやく何らかの秩序形成や状態変化を起こそうとする。この「遅れてやってきた変化」が、極低温領域における巨大なエントロピー変化、すなわち「巨大な比熱」を生み出すのである。
NIMSのチームは、この効果を利用することで、強い磁気相互作用を持つ鉄原子を用いながらも、その磁気秩序転移温度を人為的に極低温まで押し下げることに成功した。さらに、鉄の一部を非磁性のアルミニウムでわずか2%置換(\(x=0.02\))することで、鋭すぎる相転移のピークを適度にならし、冷凍機が作動する温度範囲全体で高い冷却能力を発揮できるように調整を行った。これが新材料「CFAO」の正体である。
実証された性能:商用スペックを凌駕する冷却能力
理論がいかに美しくとも、実用材料としての価値は実際の冷凍機での性能で決まる。研究チームは、実際にGM冷凍機を用いてCFAOの冷却試験を行った。
液体ヘリウム温度への到達
実験の結果、CFAOを充填した冷凍機は、最低到達温度3.13ケルビン(-269.87℃)を記録した。これはヘリウムの液化温度(4.2K)を余裕で下回る数値であり、液体ヘリウムを用いない「完全ドライ」な環境での超伝導磁石冷却が可能であることを実証している。
既存材料との比較
さらに重要なのは「冷却出力(Cooling Capacity)」である。
- 4.2K時点での冷却能力: CFAOは0.117Wを記録。
- 商用冷凍機の要求仕様: 一般的な小型GM冷凍機の仕様値(0.1W @ 4.2K)を上回った。
また、従来の鉛(Pb)のみを用いた蓄冷器と比較して、14K以下の温度領域で圧倒的に高い比熱性能を示した。これは、CFAOが重レアアース材料である\(HoCu_2\)と同等、あるいはそれ以上のポテンシャルを持つことを示唆している。
磁気ノイズの低減
MRIのような超精密計測機器にとって、蓄冷材自体が発する「磁気ノイズ」は厄介な問題だ。\(HoCu_2\)は強磁性的な性質を持ちやすく、磁場に反応してノイズ源となり得る。
一方、CFAOは「反強磁性体」であり、外部への磁気漏洩が極めて少ない。さらに、超伝導磁石が発する強烈な磁場中でも、その粒子が磁力で引き寄せられて冷凍機を破損させるリスクが低い。これは、MRI画像の鮮明化や装置の長寿命化に直結する隠れた、しかし極めて大きなメリットである。
持続可能な「量子」の未来へ
この発見がもたらす未来は、単なる「代替材料の発見」という枠を超えている。
サプライチェーンの「脱中国」と安定化
現在、レアアースの供給はその多くを特定の国に依存しており、地政学的リスクが高い。銅、鉄、アルミという、地球上のどこでも採掘・精錬可能な元素のみでハイテク機器の冷却が可能になれば、これらカントリーリスクを一挙に解消できる。これは日本の経済安全保障のみならず、世界の先端技術インフラの安定化に寄与する。
量子コンピューターの普及加速
量子コンピューターの量子ビットは、熱ノイズに極めて弱いため、絶対零度近くまで冷やし続ける必要がある。現在、量子コンピューターの開発競争は激化しているが、そのボトルネックの一つが「冷却システムのコストと希少資源」であった。
CFAOのような安価で量産可能な冷却材料の登場は、量子コンピューターの社会実装とスケーリング(大規模化)を加速させるエンジンの役割を果たすだろう。
SDGsと環境負荷低減
レアアースの採掘・精錬は、しばしば放射性廃棄物の発生や深刻な環境汚染を伴う。CFAOは、ありふれた元素を通常のセラミックス焼結プロセス(酸化物固相反応法)で作製できるため、環境負荷を劇的に低減できる。「グリーンな冷却技術」の確立である。
科学知が拓く「元素の再定義」
NIMSと大島商船高等専門学校の研究チームが成し遂げたのは、新しい物質の合成であると同時に、「ありふれた元素の再発見」である。
彼らは、「鉄は極低温冷却には使えない」という固定観念を、量子力学の深遠な原理である「スピンフラストレーション」を用いて打ち破った。さびた鉄くず同然の元素の組み合わせが、最も高価で希少なレアアースと同等の機能を発揮するという事実は、科学における「知識」がいかに物質の価値を変容させうるかを雄弁に物語っている。
今後、粒子の形状最適化(球状化による充填率向上)などが進めば、CFAOは世界中のMRIや極低温機器に標準搭載されることになるだろう。我々は今、レアアースとヘリウムの足枷から解き放たれ、より持続可能で、より広範な「極低温の世界」へと足を踏み入れようとしている。
論文
- Scientific Report: Innovative cryogenic cooling material using spin frustration from abundant elements
参考文献