テクノロジーと科学の最新の話題を毎日配信中!!

技術職大量レイオフの隠れた要因?米減税法「第174条」変更がイノベーションの足枷に

Y Kobayashi

2025年6月11日

米国のテクノロジー業界で続くレイオフの波。その背景には、高金利やAIへの急激なシフトといったマクロ経済の動向が指摘されてきた。しかし、それだけでは説明がつかない「もう一つの要因」が、業界関係者の間で深刻な問題として認識され始めている。それは、2017年の減税・雇用法(TCJA)によって変更され、2022年から施行された内国歳入法「第174条」の存在だ。かつて米国のイノベーションを強力に後押ししてきた税制優遇が、今や企業のキャッシュフローを圧迫し、技術職の雇用を脅かす「静かなる時限爆弾」と化しているのだという。 本記事では、この見過ごされがちな税制変更が、なぜ技術職のレイオフに繋がり、米国の技術覇権にまで影を落としかねないのか、そのメカニズムと影響を多角的に掘り下げる。

スポンサーリンク

「時限爆弾」だった第174条の変更とは?

問題の核心は、研究開発(R&D)費用の税務上の扱いの劇的な変化にある。

変更前(~2021年):
企業は、エンジニアの給与やソフトウェア開発費といったR&D費用を、発生したその年に全額経費として計上し、課税所得から控除することができた。 これは約70年近く続いた米国の政策であり、企業、特に手元資金の少ないスタートアップにとって、R&D投資への強力なインセンティブとして機能してきた。

変更後(2022年~):
2022年1月1日以降に開始する課税年度から、この即時控除が廃止された。 代わりに、米国内で発生したR&D費用は5年間、米国外の場合は15年間にわたって分割して償却(費用計上)することが義務付けられたのだ。

例えば、100万ドルのソフトウェア開発費を投じた場合、以前ならその年に100万ドル全額を費用として計上できた。しかし新ルールでは、初年度に計上できる費用は、期央償却(年の途中で投資が始まったとみなす会計ルール)のため、わずか10万ドル(100万ドル ÷ 5年 × 1/2)に過ぎない。 残りの90万ドルは資産として貸借対照表に計上され、翌年以降に分割して費用化されることになる。

この変更は、2017年のTCJA法案成立時に、法人税率の大幅な引き下げによる税収減を相殺するための「穴埋め」として、政治的駆け引きの中で盛り込まれた。 施行まで5年間の猶予があったため、当時は大きな問題と見なされず、いずれ議会によって修正されるだろうと楽観視されていたが、その期待は裏切られた。

キャッシュフローを直撃、中小企業を揺るがす「幻の利益」

この会計ルールの変更が、企業の財務に与える影響は甚大だ。最大の打撃は、キャッシュフローの急激な悪化である。

費用として計上できる金額が大幅に減少するため、会計上の利益(課税所得)が実態よりも大きく見えてしまう。その結果、企業はまだ手にしていない「幻の利益(Phantom Profit)」に対して、多額の法人税を支払わなければならない状況に追い込まれている。

スタートアップ創業者であるJesse Pujji氏は、この変更による衝撃を具体的な数値で示している。「売上1000万ドル、R&D費用400万ドル、純利益200万ドルの事業を考えてみよう。税率30%なら、納税額は60万ドルのはずだ。しかし第174条の変更後、課税所得は600万ドルに跳ね上がり、納税額は180万ドルになる。120万ドルも多く払うなんて、どうして可能なんだ?」

この問題は、人件費がR&D費用の大半を占めるソフトウェア業界やテクノロジー企業にとって特に深刻だ。 新ルールでは、エンジニアに支払った給与ですら、5年かけて償却しなければならない。 これは、すでに支出済みの現金と、税務上の費用計上のタイミングに大きなズレを生じさせ、運転資金を圧迫する。ある中小企業の経営者は、「現在の償却ルール下では、エンジニアの雇用や事業拡大は法外にコストがかかるため、この事業を始めることは決してなかっただろう」と証言している。

スタンフォード大学の研究によると、この税制変更により対象企業の実効税率は平均11.9%ポイント(62%)増加したとの試算も出ている。主要テック企業の実際の負担額は驚異的な規模に達している:

Wall Street Journalの分析では、この税制変更により約20,000人のフルタイムソフトウェアエンジニア職が失われたと推計されている。業界全体では、初年度だけで122億ドルのR&D投資削減が発生したという。

スポンサーリンク

レイオフの時系列に見る因果関係

実際、2022年から2023年にかけてのテック業界レイオフの規模と時期は、第174条発効と明確に一致している

  • 2022年: 165,269人(1,064社)がレイオフ
  • 2023年: 264,220人(1,193社)- 前年比60%増加
  • 2024年: 238,461人(1,115社)

主要企業のレイオフ実績を見ると、Meta が21,000人、Amazon が27,000人、Google が12,000人、Microsoft が10,000人以上の削減を実施した。興味深いことに、これらの企業は公式発表で税制変更については言及せず、「効率性向上」「AI投資への集中」「市場調整」といった理由を挙げている。

しかし、削減対象となった部門を分析すると、R&D、プロダクト開発、エンジニアリング職種が特に大きな影響を受けており、これらはまさに第174条の対象となる活動に従事する人材だった。

スタートアップと中小企業への致命的打撃

大企業以上に深刻な影響を受けているのがスタートアップ企業だ。 起業家の証言によると、従来90,000ドルの損失として処理できていた企業が、新制度下では100万ドルの利益として課税される事例が発生している。種まき段階のスタートアップでは予期しない15万ドルの税負担が突然発生し、資金調達が困難な状況下でキャッシュフローを圧迫している。

中小企業1,171社が連名で上院指導部に改正を求める書簡を提出するなど、業界全体での反発が強まっているとのことだ。

米国は現在、先進国で唯一のR&D費強制償却制度を採用している

スポンサーリンク

なぜ元に戻せないのか? 議会での攻防と政治的背景

米国は現在、先進国で唯一のR&D費強制償却制度を採用しているが、この問題の有害性は広く認識されており、議会では超党派で即時控除を復活させる法案(American Innovation and R&D Competitiveness Actなど)が何度も提出されている。 2024年初頭には、下院でR&D費用の即時控除を一時的に復活させる内容を含む法案が圧倒的な賛成多数で可決されたが、上院で失速した。

なぜ、これほど経済に悪影響を与えているルールを簡単に元に戻せないのか。その背景には、他の税制項目との複雑な政治的駆け引きが存在する。第174条の修正には多額の費用がかかると見積もられており、その財源をどう確保するかが大きな障壁となっているのだ。

だが、Trump新政権は2025年1月20日に遡及適用する100%R&D費控除の復活を示唆しており、業界関係者は期待を寄せているようだ。

見過ごされた税制が未来を蝕む

AIへのシフトやパンデミック後の調整といった華々しい見出しの裏で、第174条という地味な税制変更が、静かに、しかし確実に米国のテクノロジー業界の体力を奪っている。 それは単なる会計ルールの変更ではなく、イノベーションを奨励してきた米国の長年の国策からの転換を意味する。

この変更は、企業のキャッシュフローを悪化させ、技術職のレイオフを加速させる一因となっている。 さらに長期的に見れば、R&D投資を抑制し、中国などが強力な優遇策で技術開発を推進する中、米国の国際競争力を著しく損なう危険性をはらんでいる。

議会での議論は続いているが、先行きは不透明だ。 多くの企業経営者や技術者は、この「イノベーションへの課税」とも言える状況が一刻も早く是正されることを望んでいる。この見過ごされた税制問題の行方は、米国の、そして世界のテクノロジーの未来を左右する重要な試金石となるだろう。


Sources

Follow Me !

\ この記事が気に入ったら是非フォローを! /

フォローする
スポンサーリンク

「技術職大量レイオフの隠れた要因?米減税法「第174条」変更がイノベーションの足枷に」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 「米減税法改正が技術職レイオフの原因?」 - インモビ

コメントする