スウェーデンのリンショーピング大学の研究チームが、導電性ポリマーを用いた光学メタサーフェスの性能を従来比で最大10倍に向上させるという画期的な成果を科学誌「Nature Communications」に発表した。この技術は、オン・オフ切り替えや焦点距離の動的変更が可能な次世代の薄型光学デバイス実現への道を拓くものであり、ビデオホログラムや不可視材料といった未来技術の実現にも繋がる可能性を秘めている。
レンズの進化は止まらない:薄型化への長年の夢とメタサーフェスの夜明け
私たちが日常的に使うカメラやメガネから、宇宙望遠鏡のような最先端機器に至るまで、光を制御する「レンズ」は不可欠な存在だ。しかし、伝統的なガラスレンズは、その湾曲した形状ゆえにかさばり、小型化や軽量化には限界があった。特に、スマートフォンやウェアラブルデバイスのように、より小さく、より薄い光学系が求められる現代において、この課題はますます顕著になっている。
こうした背景のもと、次世代の光学技術として大きな期待を集めているのが「光学メタサーフェス」である。メタサーフェスとは、光の波長よりも小さなナノメートルサイズの構造体(ナノアンテナなどと呼ばれる)を、平らな基板上に周期的にびっしりと配置することで、光の振幅、位相、偏光といった性質を自在に操る人工的な薄膜デバイスのことだ。
従来の屈折レンズが、ガラスという材料自体を精密に研磨し、その曲率によって光を曲げるのに対し、メタサーフェスは、基板上に設計された無数のナノ構造の一つ一つがアンテナのように機能し、入射してきた光と複雑に相互作用することで、光の進む方向を制御する。これにより、原理的には紙のように薄いレンズや、これまで実現不可能だった特殊な光学機能を持つデバイスを作り出せると期待されている。まさに、光学分野におけるパラダイムシフトの可能性を秘めた技術と言えるだろう。
「調整できない」という壁:メタサーフェス実用化へのハードル
夢の技術とも思えるメタサーフェスだが、その実用化に向けては大きな壁が存在した。それは、一度製造してしまうと、その光学特性を後から調整することが極めて難しいという点だ。
初期のメタサーフェスの多くは、金や銀といった金属材料、あるいはシリコンや二酸化チタンといった半導体・誘電体材料で製作されてきた。これらの材料は、安定性や光学的特性には優れるものの、硬くて変化しにくいという性質も併せ持つ。そのため、製造プロセスが完了した時点でメタサーフェスの光学特性は固定されてしまい、例えばカメラのズームレンズのように焦点距離を連続的に変化させたり、特定の光学機能のオン・オフをダイナミックに切り替えたりといった「動的な制御」は困難だった。これでは、せっかくのメタサーフェスの応用範囲が著しく限定されてしまう。研究者も産業界も、この「調整不可能性」という課題の克服を長年待ち望んでいた。
この積年の課題に果敢に挑んだのが、スウェーデンが誇るリンショーピング大学のMagnus Jonsson教授が率いる研究チームである。彼らが白羽の矢を立てたのは、「導電性ポリマー」、いわゆる電気を通すプラスチックだった。ポリマーであれば、その柔軟な性質や電気化学的な応答性を利用して、メタサーフェスの光学特性を外部からの刺激によって変化させられるのではないか、と考えたのだ。
実はJonsson教授らは2019年にも、導電性ポリマーの一種であるPEDOT(ポリ(3,4-エチレンジオキシチオフェン))がメタサーフェスのナノアンテナ材料として機能し、その酸化還元状態を変化させることで光学特性をオン・オフできることを世界に先駆けて報告していた。これは画期的な一歩であり、調整可能なメタサーフェスへの期待を大きく膨らませるものだった。しかし、当時の導電性ポリマーを用いたメタサーフェスは、金などの伝統的な無機材料で作られたものに比べて、光を制御する能力、特に共振の鋭さ(Q値)といった性能面で大きく劣っていたのが実情だった。実用化には、まだ大きな壁が残されていたのだ。
ナノアンテナの「集団的共鳴」により性能10倍の壁を破る

そして今回、Jonsson教授と筆頭著者であるDongqing Lin博士らの研究チームは、この性能の壁を打ち破る大きなブレークスルーを成し遂げた。彼らは、導電性ポリマー製メタサーフェスの設計を根本から見直し、ナノアンテナの配置を精密に制御することで、その性能を従来比で最大10倍にまで引き上げることに成功したのである。
この飛躍の鍵となったのが、「集団格子共鳴 (Collective Lattice Resonance; CLR)」と呼ばれる物理現象だ。個々のナノアンテナが独立して光に応答するのではなく、周期的に配置されたナノアンテナ群が互いに強く結合し、あたかも一つの大きな共振器のように振る舞うことで、非常にシャープで強い光共鳴を引き起こす。研究チームは、ナノアンテナ間の距離や配置パターンをナノメートルオーダーで最適化することで、この集団格子共鳴を効率的に励起し、メタサーフェス全体の光制御能力を劇的に向上させた。
2025年5月21日に『Nature Communications』誌にオンライン掲載された論文「Switchable narrow nonlocal conducting polymer plasmonics」によれば、この新技術により、光学共鳴の鋭さを示す重要な指標であるQ値(Quality factor)は最大で12に達したという。これは、従来の導電性ポリマーメタサーフェスのQ値が一般的に1~2程度であったことを考えると驚異的な向上であり、文字通り性能が10倍に跳ね上がったことを意味する。Q値が高いほど、より少ないエネルギー損失で、より精密な光の波長選択や制御が可能になるため、これは実用上非常に重要な進歩だ。
さらに特筆すべきは、この高性能なメタサーフェスが、導電性ポリマーならではの「調整可能性」を維持している点である。研究チームは、PEDOTポリマーの電気化学的な酸化還元反応を利用することで、メタサーフェスが集団格子共鳴を引き起こして光を強く制御する「オン状態」と、共鳴が抑制されて光の制御が弱まる「オフ状態」とを、可逆的に切り替えることにも成功している。論文では、このオン・オフスイッチングにおいて、光の透過率(または反射率)が7%から最大で45%も変化するという大きな変調深度が実証されており、「調整可能な」メタサーフェスとしての実用性が格段に高まったと言えるだろう。
このスイッチングのメカニズムも興味深い。導電性ポリマーであるPEDOTは、酸化状態では金属のように自由電子が豊富に存在し、光(特に赤外光)と強く相互作用してプラズモン共鳴と呼ばれる現象を引き起こす。一方、還元されると自由電子が減少し、半導体的な性質へと変化するため、光との相互作用が弱まる。研究チームは、この性質を利用し、化学的な処理によってPEDOTの酸化状態と還元状態を精密に制御することで、メタサーフェスが集団格子共鳴を引き起こすための「マッチング条件」を満たすか否かをコントロールし、結果として光学特性のオン・オフを実現した。
SFが現実に?ホログラムからステルス技術まで、広がる可能性
今回のリンショーピング大学による画期的な成果は、これまでSFの世界の産物と考えられてきたような、数々の未来技術への扉を開く可能性を秘めている。
例えば、空中に立体映像を滑らかに映し出す「ビデオホログラム」。現在のホログラフィック技術はまだ限定的だが、薄くて軽量、かつ動的に光学特性を調整できるメタレンズは、その表示品質や装置の小型化に大きく貢献すると期待される。
また、特定の波長の光を完全に吸収したり、逆に任意の方向に反射させたりすることで、物体を周囲の環境から「見えなくする」ことを目指す不可視材料(インビジビリティクロークやステルス技術)への応用も、長らく研究者の夢であった。今回の調整可能なメタサーフェスは、光の進路をかつてないほど自在に操る可能性を示しており、この夢の実現に向けた重要な一歩となるかもしれない。
もちろん、これらの技術が明日にでも私たちの日常生活に登場するわけではない。特に、人間を完全に透明にするような魔法のマントは、まだ乗り越えるべき多くの物理的・技術的課題が山積している。しかし、リンショーピング大学の基礎研究における今回の大きな進展は、その実現可能性を少しずつ手繰り寄せるものと言えるだろう。
より現実的で、私たちの生活に近い応用分野も数多く考えられる。例えば、スマートフォンのカメラやAR/VRゴーグルに搭載される、極めて薄型・軽量な高性能レンズ。あるいは、特定の化学物質や生体分子だけをピンポイントで検出できる超高感度センサー。さらには、体内の微細な病変をより鮮明に、そして低侵襲で観察できる新しい医療イメージング装置など、その応用範囲は枚挙にいとまがない。
Lin博士は、「導電性ポリマーで作られたメタサーフェスが、実用的な応用に十分な高性能を提供できることを示せたと考えています」と、その成果に自信を見せる。
可視光への挑戦と、実用化へのロードマップ
今回の研究で実証された導電性ポリマーメタサーフェスの優れた性能は、主に赤外光の領域におけるものだ。私たちの目に見える可視光の領域で同様の高性能な制御を実現するためには、さらなる材料開発やナノ構造設計の最適化が必要となる。これが、研究チームが次に見据える大きな目標の一つだ。
Jonson教授はメタサーフェスの仕組みについて、「ナノ構造を平らな面にパターン状に配置し、光の受信機とするものです。個々の受信機、つまりアンテナが特定の方法で光を捉え、これらのナノ構造が一体となって、望み通りに光を制御することを可能にするのです」と説明する。この基本原理を可視光へと展開していく挑戦が続く。
このブレークスルーは、単に光学デバイスの性能が向上したというだけでなく、材料科学、ナノテクノロジー、そしてフォトニクスという異なる分野の知見が融合することで、いかに大きな革新が生まれ得るかを力強く示した事例と言える。調整可能なメタサーフェスは、まさにこれからの光科学技術を牽引するキーテクノロジーの一つとなるに違いない。
論文
- Nature Communications: Switchable narrow nonlocal conducting polymer plasmonics
参考文献
- Linkoping University: Major step for flat and adjustable optics