Appleが2024年に3,499ドルで投入したVision Proは、わずか39万台の出荷で生産停止に追い込まれた。一方で、AR(拡張現実)グラス市場全体は正反対の軌跡を描いている。Counterpoint Researchの最新データによれば、2025年下半期のARスマートグラス出荷台数は前年同期比148%増を記録し、導波路(ウェーブガイド)型に限れば600%超の急伸を見せた。この急成長する市場に向けてAppleは2027年の参入を準備しており、次世代製品の心臓部に据えられるのはiPhoneやVision Proのチップではなく、Apple Watchで培った超省電力のS-Seriesベースチップだ。
導波路型600%超の急伸、AR眼鏡市場に起きている構造変化
2025年下半期、ARスマートグラスの世界出荷台数は前年同期比148%増を記録した。上半期の50%増から一気に加速した格好で、Counterpoint Researchは2027年までのCAGR(年平均成長率)を69%と予測する。MarketsandMarketsの推計では市場規模が2025年の9億8,000万ドルから2030年に99億8,000万ドルへ10倍超に拡大する見通しだ。
導波路型の急成長には、バードバス型との構造的な違いが関係している。従来主流だったバードバス型は、レンズに映像を投射する仕組み上サングラスのように暗いレンズが必要で、屋内外での常時装着には不向きだった。導波路型は光をガラス内部で屈折させて情報を表示するため、透明に近いレンズのまま映像を重ねられる。H1 2025の段階ではバードバス型が出荷の78%を占めていたが、下半期には導波路型のシェアが38%にまで拡大した。導波路型のASP(平均販売価格)はバードバス型を27%上回っており、市場の収益構造自体が変わり始めている。
この導波路型シェア拡大を牽引したのが、AI対応プロセッサ・カメラ・マイク・無線通信を一体化した高機能モデルだ。導波路型出荷の70%をこうしたAI搭載端末が占めるが、1年前にはこの比率がほぼゼロだった。導波路型の市場シェアは2024年下半期の13%から2025年上半期に19%、同年下半期に38%へと半年ごとに倍増しており、AR眼鏡はこの1年で「映像を映すサングラス」から「AIを搭載したウェアラブル端末」へと製品カテゴリごと姿を変えた。
Metaの700万台、Ray-Banブランドが築いた参入障壁
Ray-Ban Metaスマートグラスの2025年通年販売台数は700万台を超えた。EssilorLuxotticaのQ4決算で公表されたこの数字は、2023年末の初代発売からわずか2年で積み上げられたものだ。2025年2月の時点で初代モデルの累計販売は200万台と発表されていたため、年後半に投入された新モデルが販売を爆発的に加速させた計算になる。Counterpoint Researchによれば2025年上半期時点のスマートグラス市場シェアは73%に達し、Metaは2026年に年間1,000万台以上の生産体制を整える計画を打ち出している。
H2 2025の市場拡大をさらに押し上げたのがMeta Ray-Ban Displayの投入だ。初代Ray-Ban Metaがカメラとスピーカーのみの音声・通知型だったのに対し、新モデルはレンズに小型ディスプレイを組み込み、ナビゲーションや字幕表示といった視覚情報の提供を可能にした。Ray-Banのデザインを維持したまま機能を段階的に拡張するアプローチによって、消費者はスマートグラスを「テック製品」ではなく「アイウェアの延長」として受け入れ始めている。
Metaの優位性はRay-Banブランドとの提携に根ざしている。テック企業が単独で作るウェアラブルは「顔に装着するガジェット」になりがちだが、Ray-Banの意匠がスマートグラスを「普段使いのアクセサリー」に変えた。Sunglass Hutやデパートの眼鏡売場という既存の流通網がテックに詳しくない層へのリーチを可能にしており、後発組にとって「ブランド×流通」の壁は技術力だけでは越えにくい。
一方、中国市場では異なる勢力図が形成されている。ビデオ中心型ではRayNeo(市場シェア42%)、XREAL、VITUREが上位を占め、導波路型ではRokidがMetaと並んでシェアを伸ばす。VRヘッドセットの出荷が2025年上半期に前年同期比14%減少するなか、XR(VR・AR・MRの総称)市場の重心はヘッドセットからグラスへと確実に移っている。
39万台で止まったVision Pro、Appleが選んだ”引き算の設計”
Apple Vision Proの失速は急だった。2024年の出荷台数は約39万台にとどまり、製造を担うLuxshareは2025年初頭に生産を停止した。IDC(International Data Corporation)の推定ではQ4 2025の出荷が約4万5,000台にまで落ち込み、Appleはデジタル広告費も95%以上削減している。3,499ドルの価格と約600gの重量が消費者を遠ざけた結果だ。
企業向けの医療現場やパイロット訓練ではニッチな需要が続くものの、Appleが次に開発するARグラスの設計思想はVision Proから大きく舵を切っている。アナリストMing-Chi Kuoや複数のメディアによれば、新製品にはiPhone向けのA-SeriesやVision Pro向けのM-Seriesではなく、Apple Watch向けのS-Seriesをベースにしたカスタムチップが搭載される。消費電力と発熱を大幅に抑えることで冷却機構を省き、通常の眼鏡に近い重量を実現する狙いだ。プロトタイプの重量は50g以下とも報じられているが、独立した確認は取れていない。

Vision Proの設計がM-Seriesの高性能チップに大型ディスプレイとセンサー群を盛り込む「足し算」だったのに対し、新しいARグラスは処理能力を最小限に絞り、重い計算はiPhoneに任せる「引き算」だ。カメラ制御やセンサーデータの初期処理はグラス側のS-Seriesチップが担い、AI推論や画像認識はBluetooth接続されたiPhoneにオフロードする構成が想定される。Apple Watchが心拍センサーのデータをWatch本体で処理しつつ詳細な健康分析はiPhoneに委ねるのと同じ分業モデルであり、Vision Proが外付けバッテリーでも約2時間しか持たなかったバッテリー問題を根本から解消し得る設計だ。
Metaの牙城に対してAppleに残された勝ち筋
Appleは2026年のWWDCまたは9月のiPhoneイベントでARグラスのプレビューを行い、2027年前半に発売すると複数のメディアが報じている。Ming-Chi Kuoの予測では初年度出荷台数は300〜500万台で、Metaの2025年実績(700万台超)の半分にも満たない。価格帯は499〜1,000ドルと予測されているが、公式な発表はまだない。
10億台を超えるiPhoneのユーザーベースが、Appleにとって最大の切り札になる。ARグラスがiPhoneの周辺機器として設計された場合、Siri、Apple Maps、通知、メッセージとの連携はセットアップなしに機能する。MetaがAndroid・iOS双方に対応するためのソフトウェア開発に費やしている労力を、Appleは自社エコシステムの閉鎖性で丸ごと省略できる。Apple Watchが初期のAndroid Wear端末を退けた過程でもこのエコシステム優位は作用しており、ARグラスで同じパターンが再現される可能性はある。ただし、Apple Watchが受け入れられたのは「腕時計」という元から日常的に身につけるアイテムだったからでもあり、「眼鏡」をそこまで自然に装着してもらえるかは製品のデザインと重量次第だ。
IDCは2026年のXRデバイス出荷が前年比33.5%成長すると予測しており、Apple参入前にMetaが市場基盤をさらに固める時間は十分ある。Metaは2026年中に年間1,000万台の量産体制を確立する見込みで、RayNeoやRokidといった中国勢も導波路技術で着実に先行している。後発のAppleに残された差別化の軸は、技術スペックの競争ではなく「一日中かけていても忘れる軽さ」と「iPhoneとの途切れない連携」の2点に絞られる。S-Seriesチップの採用はこの2条件を同時に満たすための工学的な判断であり、3,499ドルのVision Proが残した教訓から導かれた設計上の回答だ。
Sources
- Counterpoint Research: Global VR Headset Shipments Fall 14% YoY in H1 2025; AR Smart Glasses Poised for Strong Growth
- Road to VR: Meta Sold Over 7 Million Smart Glasses Last Year
- WCCFTech: Apple’s AR Glasses Launch Happening At Right Time, Category To Witness Major Global Growth
- Virtual Reality News: Apple Vision Pro Sales Plunge 95% as Production Halts
- The Shortcut: Apple smart glasses could launch in 2027 with new chips