現代の電子工学と物理学の教科書が、今まさに書き換えられようとしている。

2025年9月、物質・材料研究機構(NIMS)、東京大学、京都工芸繊維大学、東北大学からなる共同研究チームは、二酸化ルテニウム(RuO₂)というありふれた物質の薄膜において、従来の磁性体とは根本的に異なる「交代磁性(Altermagnetism)」と呼ばれる新しい磁気状態が発現していることを、世界で初めて決定的な形で実証した。この成果は、英科学誌『Nature Communications』に掲載された。

これまで理論上の存在、あるいは実験結果が安定しない「幻の磁性」とされてきた交代磁性が、なぜ今、確実なものとして捉えられたのか。そして、なぜこの発見が、AI時代の計算能力やメモリ技術を飛躍させる「ミッシングリンク」となり得るのだろうか。

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磁石の常識が変わる「第三の極」

我々が日常的に目にする磁石は、物理学的には「強磁性体」と呼ばれる。方位磁針が北を指すように、物体内部の電子の自転(スピン)が一方向に揃っており、外部に強い磁場を発生させる性質を持つ。これに対し、スピンが互い違いに整列し、全体として磁力を打ち消し合っているのが「反強磁性体」である。

長らく、磁性はこの二種類に大別されると考えられてきた。しかし、近年、この二項対立に収まらない第三の磁性として提唱されたのが「交代磁性(Altermagnetism)」である。

交代磁性が「いいとこ取り」である理由

交代磁性は、強磁性と反強磁性の「ハイブリッド」とも言える奇妙な性質を持つ。

  • 反強磁性のような「ステルス性」: 全体の磁化はゼロであり、外部に磁場を漏らさない。そのため、隣接する素子と干渉せず、高密度化が可能である。
  • 強磁性のような「分裂能」: 運動量空間(k空間)において、電子バンドがスピン分裂を起こしている。これにより、強磁性体のようにスピン流(磁気の流れ)を強力に取り出すことができ、電気的な読み出しが容易になる。

「外部からの干渉を受けず(堅牢性)、かつ信号は取り出しやすい(可読性)」というこの特性は、次世代のスピントロニクスデバイス、特に超高速・超高密度の不揮発性メモリ(MRAM)にとって、まさに「聖杯」とも言える理想的な性質なのである。

なぜ二酸化ルテニウムは「論争の的」だったのか

二酸化ルテニウム(RuO₂)は、古くから導電性酸化物として知られていたが、近年になり「実は交代磁性体ではないか」という理論的予測がなされ、世界中で激しい研究競争が巻き起こっていた。しかし、実験室からの報告は混乱を極めていた。ある研究では交代磁性特有の信号が見え、別の研究では見えない。

この不一致の原因は、「結晶の方位」と「ドメイン構造」にあった。

「バリアントA」と「バリアントB」の相殺問題

RuO₂の結晶構造において、交代磁性が発現するためには、結晶内の微細な構造が高い精度で整列している必要がある。しかし、通常の製法で薄膜を作製すると、結晶学的に等価だが向きが異なる2つの構造(これをバリアントAバリアントBと呼ぶ)が混在して成長してしまう。

  • バリアントA: スピン分裂を発生させる特定の向きを持つ。
  • バリアントB: バリアントAとは鏡像の関係にあり、スピン分裂の符号が逆になる、あるいは効果を相殺するような向きを持つ。

この2つのバリアントがパッチワークのように混ざり合った「マルチドメイン」状態では、互いの性質が打ち消し合い、マクロな測定では交代磁性の証拠が消えてしまうのだ。これが、RuO₂を巡る論争の「ノイズ」の正体であった。

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原子レベルの「界面エンジニアリング」

NIMSの温振超(Wen Zhenchao)主幹研究員を中心とする研究チームは、この問題を解決するために、「完全に単一のバリアント(Single Variant)」のみを持つRuO₂薄膜を作製するという極めて困難な課題に挑んだ。

サファイア基板との「原子の対話」

彼らが着目したのは、薄膜を成長させる土台となる基板と、RuO₂との界面における原子の並び方である。研究チームは、サファイア(Al₂O₃)のr面(1-102面)という特定のカット面を基板として選択した。

通常、異種の材料を重ねると、原子の間隔(格子定数)が合わずに結晶が歪んだり、乱れたりする。しかし、詳細な構造解析の結果、以下の驚くべきメカニズムが明らかになった。

  1. 酸素原子の配置制御: サファイア基板表面の酸素原子の配列と、RuO₂の特定の面(101面)の酸素原子の配列が、特定の方向でのみ「鍵と鍵穴」のようにピタリと一致する。
  2. 選択的成長: この原子レベルのマッチングにより、バリアントAの成長はエネルギー的に安定して促進されるが、バリアントBの成長は抑制される。

高分解能の走査透過型電子顕微鏡(HAADF-STEM)を用いた観察では、基板界面から膜の表面に至るまで、原子が整然と並び、混じり気のない単一バリアントの薄膜が形成されている様子が捉えられた。これは、物質科学における「勝利」の瞬間である。

見えない磁気を「光」で診る

単一バリアントの薄膜ができたとしても、それが「交代磁性」であることをどう証明するか。ここでも研究チームは、放射光施設(KEK フォトンファクトリー)を用いた高度な計測技術を駆使した。

1. X線磁気線二色性(XMLD)による決定打

通常の強磁性体を調べる際は、円偏光を用いたX線磁気円二色性(XMCD)が使われるが、全体の磁化がゼロである交代磁性体にはこの手法は通用しない。そこでチームは、直線偏光を用いたXMLDという手法を採用した。

  • 原理: 電子の軌道(電荷密度の分布)は、スピンの向きと連動してわずかに歪む(四重極モーメントを持つ)。X線の偏光方向を変えながら吸収スペクトルを測定することで、この電荷の歪み、ひいてはスピンの軸(ネールベクトル)の向きを逆算できる。
  • 結果: 測定データは、RuO₂薄膜内部でスピンが特定の軸([001]方向)に沿って整列していることを明確に示した。さらに、その信号の角度依存性は、理論計算から予測される「電荷四重極」の形成と完全に一致した。

これは、「磁化はゼロだが、内部で確かにスピンが秩序立っており、かつ時間反転対称性が破れている」という交代磁性の定義そのものを、物理的に可視化したことを意味する。

2. スピン分裂磁気抵抗効果(SSMR)の観測

さらに、この薄膜を用いてデバイスを作製し、電気抵抗の測定も行われた。二酸化ルテニウムと強磁性体(CoFeB)を積層した素子において、電流を流した際の抵抗値が、スピンの向きに応じて変化する現象(SSMR)が観測された。

これは、外部磁場がない状態でも、RuO₂内部の電子バンド構造がスピンの向きによって分裂(スピン分裂)していることの直接的な証拠である。つまり、「電気信号で読み出し可能」という交代磁性の実用上の利点が実証されたことになる。

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理論的裏付け:第一原理計算との整合

実験だけでなく、理論面からの検証も盤石である。京都工芸繊維大学の三浦良雄教授らによる第一原理計算(密度汎関数理論:DFT)は、以下の点を明らかにし、実験結果の正当性を強固にサポートした。

  1. エネルギー安定性: サファイア基板上では、観測された単一バリアント構造が、他の配置よりもエネルギー的に安定であること。
  2. 磁気異方性: RuO₂のスピンが[001]方向を向きやすいという性質(磁気異方性エネルギー)が、ルテニウム原子の特定の電子軌道の寄与によって生じていること。

実験家と理論家が連携し、原子レベルの構造からマクロな物性までを一貫して説明しきった点が、本研究の信頼性を極めて高いものにしている。

AIとメモリの革命的進化へ

今回の発見は、単なる基礎物理学の勝利にとどまらない。RuO₂という、半導体プロセスですでに馴染みのある材料で交代磁性が確認されたことは、産業界にとって計り知れないインパクトを持つ。

1. 超高密度MRAMの実現

現在のMRAM(磁気抵抗メモリ)は、強磁性体を用いているため、素子間の磁気干渉が微細化の限界を決めていた。交代磁性RuO₂を用いれば、「隣の素子に干渉しない」ため、メモリセルを極限まで近づけることが可能になる。これは、スマートフォンのストレージやデータセンターのメモリ容量を飛躍的に増大させる。

2. テラヘルツ駆動の超高速動作

交代磁性体は、強磁性体に比べてスピンのダイナミクスが極めて速く、テラヘルツ(THz)帯域での動作が期待されている。現在のCPUやメモリの動作周波数(GHz帯)を桁違いに上回る処理速度が実現できれば、AIの学習や推論にかかる時間を劇的に短縮できる可能性がある。

3. 省エネルギー化

外部磁場を必要とせず、電流のみで情報の書き込み・読み出しが可能になれば、デバイスの消費電力は大幅に低下する。

物質科学の「静かなる革命」

NIMS率いる日本の研究チームが成し遂げたのは、二酸化ルテニウムという物質の再定義であると同時に、人類が扱える「磁性」のパレットに新しい、そして極めて強力な「色」を加える作業であった。

かつて、強磁性体の発見が羅針盤を生み、大航海時代を切り拓いたように、そして反強磁性体の研究がハードディスクの高密度化(交換バイアス技術)を支えたように、「単一バリアント・交代磁性RuO₂」の確立は、AIと量子コンピューティングが融合する次なる情報革命の礎石となるだろう。

2025年、我々は磁石の新しい可能性を目撃した。そしてその技術は、そう遠くない未来、あなたのポケットの中にあるデバイスを静かに、しかし劇的に進化させることになるはずだ。


論文

参考文献