1秒間に1兆回――。私たちの想像を絶する速さで信号を処理する「テラヘルツ(THz)領域」が、次世代通信「6G」や未来のコンピューティングの鍵を握ると言われている。しかし、現代の電子社会を支えるシリコントランジスタにとって、この領域は性能の限界を示す厚い壁だった。その壁を、カーボンナノチューブ(CNT)というナノ素材が打ち破った。

北京大学、湘潭大学、浙江大学の研究チームが、テラヘルツ周波数で安定して動作する、まったく新しいカーボンナノチューブベースのMOSFET(金属-酸化物-半導体電界効果トランジスタ)の開発に成功した。 このトランジスタは、最大発振周波数(fmax)において1,024GHz(1.024THz)という驚異的な性能を記録し、長らく続いたシリコンの牙城を揺るがす画期的な成果として、科学誌『Nature Electronics』にその成果が掲載された。

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なぜカーボンナノチューブなのか?シリコンが直面した「周波数の壁」

私たちのスマートフォンからデータセンターまで、あらゆる電子機器の中核には、電流のON/OFFを制御する無数の超小型スイッチ、すなわち「トランジスタ」が搭載されている。その性能、特にスイッチング速度が速ければ速いほど、より多くの情報を、より速く処理できる。この速度の指標が「動作周波数」だ。

長年にわたり、トランジスタの主役は「シリコン」だった。製造技術の進歩により、トランジスタはより小さく、より速く、より安価になり、「ムーアの法則」に従って驚異的な進化を遂げてきた。しかし、その進化にも物理的な限界が見え始めている。特に、動作周波数をギガヘルツ(GHz)からテラヘルツ(THz)へと引き上げる段階で、シリコンは深刻な課題に直面する。 具体的には、従来のシリコンベースのトランジスタは、300GHzあたりで性能が頭打ちになるとされてきた。

ここで登場するのが、炭素原子が六角形に結合し、筒状になったナノメートルサイズの素材「カーボンナノチューブ(CNT)」である。CNTは、その構造から驚くべき特性を持つ。

  • 卓越した電気伝導性: 電子や正孔(電子の抜け穴で、電流の担い手となる)が非常に動きやすい。この「キャリア移動度」がシリコンよりも格段に高く、高速動作の源泉となる。
  • 高い飽和速度: キャリアが電界によって加速された際の最高速度が速く、高周波領域での性能低下が少ない。
  • 優れた機械的強度と安定性: 非常に丈夫であり、微細な構造でも安定して動作する。

これらの特性から、CNTはシリコンの限界を超える次世代トランジスタ材料として、20年以上にわたり期待されてきた。しかし、高品質なCNTを大量に、かつ狙い通りに配置する技術的な難しさから、そのポテンシャルを最大限に引き出すことは困難とされてきた。今回の研究は、その長年の課題に対する一つの決定的な答えを示したと言えるだろう。

驚異の性能を支える「3つの技術革新」

研究チームが1THzの壁を突破できた背景には、単一の発見ではなく、材料、構造、製造プロセスの三位一体となった技術革新が存在する。

その1:完璧に整列した「高純度CNTアレイ」

トランジスタの性能は、その土台となる半導体材料の品質に大きく左右される。研究チームは、半導体としての性質を持つCNTだけを高純度に選別し、それらを基板上に髪の毛を櫛でとかすように、一方向に完璧に整列させる「配向(アライン)CNTアレイフィルム」技術を確立した。

これにより、電子や正孔が迷うことなく、最短距離をスムーズに移動できる「高速道路」がナノスケールで完成した。この高品質なCNTアレイが、後述する驚異的なキャリア移動度やオン電流の基盤となっている。

その2:性能を極限まで引き出す「Y字型ゲート」

トランジスタは、電流の通り道である「チャネル」と、その流れを制御する「ゲート」電極から構成される。高周波動作を追求する上で、このゲートの形状は極めて重要だ。ゲート長を短くすればするほど高速化できるが、一方で信号の損失につながる「寄生抵抗」や「寄生容量」といった不要な成分が増大し、性能の足を引っ張ってしまう。

このジレンマを解決するために、研究チームは従来のT字型ゲートを発展させた、独創的な「Y字型ゲート」構造を導入した。

  • 抵抗の低減: Y字型にすることでゲート電極の断面積が従来のT字型に比べて約2倍に増加。 これによりゲート自体の電気抵抗が大幅に低減され、信号の減衰を抑制する。
  • 容量の抑制: ゲートの根本(ゲートフット)の形状を緩やかにすることで、ゲートと他の電極(ソース、ドレイン)との間で発生する不要な電気的干渉(寄生容量)を効果的に抑え込む。

このY字型ゲートの導入は、トランジスタの基本性能を損なうことなく、高周波特性を極限まで引き上げるための、まさに画期的な一手だった。

その3:ナノスケールの精密な製造プロセス

優れた材料と設計図があっても、それをナノメートルの精度で形にする製造技術がなければ意味がない。研究チームは、ゲート長をわずか35ナノメートル(nm)まで微細化する製造プロセスを最適化した。 1nmは1mmの100万分の1であり、これがどれほど微細な加工であるかがうかがえる。この極限の微細化が、キャリアの移動距離を短縮し、トランジスタのスイッチング速度をテラヘルツ領域へと押し上げる原動力となった。

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ベンチマークが示す圧倒的な優位性

今回のCNTトランジスタがどれほど優れているのか、具体的な数値で見ていこう。ここでは、トランジスタの性能を示す主要な指標を、従来の技術と比較する。

性能指標今回のCNTトランジスタ従来の高性能トランジスタ(Si, InPなど)意味
最大発振周波数 (fmax)1,024 GHz (1.024 THz)~数百 GHz実用的な回路として動作できる周波数の上限。1THz超えは画期的。
カットオフ周波数 (fT)551 GHz~数百 GHz電流を増幅できる速度の限界。こちらも非常に高いレベル。
キャリア移動度2,000 cm²/V·s 以上シリコン: ~1,400 cm²/V·s電流の担い手の動きやすさ。高速動作の基本性能が高いことを示す。
オン状態電流3.02 mA/μm(材料により様々)一度に流せる電流量。高い駆動力を意味し、回路設計上有利。
相互コンダクタンス (gm)2.17 mS/μm(材料により様々)増幅能力の高さを示す。他の先端材料に匹敵、あるいは凌駕する。

注:キャリア移動度について、一部報道では3,000 cm²/V·s以上とされているが、論文のAbstractでは2,000 cm²/V·sと記載されているため、ここではより控えめな数値を採用した。いずれにせよ、シリコンを大きく上回る値であることに変わりはない。

特筆すべきは、やはり fmaxが1THzを超えた点だ。これは、CNTトランジスタが単に速いだけでなく、テラヘルツ帯で実際に信号を増幅する「能動素子」として機能しうることを科学的に証明したことを意味する。研究チームはさらに、このトランジスタを用いて実際にミリ波帯(30GHz)の無線周波数増幅器(アンプ)を試作し、21.4デシベル(dB)という高い利得を実証した。 これは入力信号の強度を100倍以上に増幅できる性能であり、この技術が実験室レベルの基礎研究から、実用的なアプリケーションへと踏み出したことを示す力強い証拠である。

6G通信から超高速コンピューティングまで広がる応用

このテラヘルツ級CNTトランジスタが実用化されれば、私たちの社会はどのように変わるのだろうか。その影響は計り知れない。

  • 第6世代移動通信システム (6G): 5Gを遥かに超える超大容量・超低遅延・超多接続を実現する6Gでは、テラヘルツ帯の電磁波利用が不可欠とされる。今回のトランジスタは、その送受信機の心臓部となる可能性を秘めている。これにより、完全自動運転、リアルタイムの遠隔手術、サイバー空間と物理空間が融合したメタバースなどが、より現実的なものとなるだろう。
  • 高精度レーダーとセンシング: 周波数が高いほど分解能が向上するため、テラヘルツ波は高精細なレーダーやセンサーに応用できる。空港での危険物検知、非破壊での製品検査、さらには医療分野でのガン細胞の早期発見など、安全・安心な社会の実現に貢献する。
  • 次世代コンピューティング: コンピュータの処理速度は、CPU内部のトランジスタが動作するクロック周波数に依存する。シリコントランジスタの周波数向上が頭打ちになる中、CNTトランジスタはCPUのクロック周波数の限界を再び押し上げる可能性を秘めている。これにより、現在では何日もかかるような複雑な科学技術計算やAIの学習が、瞬時に完了する未来が来るかもしれない。

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残された課題と未来への展望

今回の成果は、間違いなく歴史的なブレークスルーである。しかし、この技術が私たちの手元にあるスマートフォンに搭載されるまでには、まだいくつかのハードルが存在することも指摘しておかなければならない。

最大の課題は、「量産化」「コスト」である。実験室レベルで最高性能のデバイスを作るのと、それを数億、数十億個単位で、均一な品質かつ低コストで製造することの間には、大きな隔たりがある。長年シリコン産業が築き上げてきた巨大な製造インフラと、この新しいCNTベースのプロセスをどう接続、あるいは代替していくのかは、今後の大きな挑戦となるだろう。

また、長期的な「信頼性」の確保も重要だ。ナノスケールのデバイスが、過酷な条件下で長期間にわたって安定して動作し続けることを証明する必要がある。

とはいえ、これらの課題は、かつてシリコントランジスタが歩んできた道でもある。今回の研究成果は、カーボンナノチューブという素材が持つ驚異的なポテンシャルを疑いのない形で示し、その実用化に向けた道筋を力強く照らし出した。これは、ムーアの法則の終焉が囁かれる現代において、半導体技術が新たな次元へと進化するための、極めて重要な一歩である。

北京大学の研究チームが示したのは、単一の高性能トランジスタではない。それは、シリコンが築いた盤石な大地の上に、カーボンというまったく新しい元素を基盤とした、次世代エレクトロニクスの摩天楼を築くための礎石なのだ。この礎石の上に、どのような未来が建設されるのか。私たちは今、その歴史的な瞬間に立ち会っているのかもしれない。


論文

参考文献