NECが2026年3月末で量子コンピューターの実機開発を中止した。日本経済新聞とダイヤモンド・オンラインが2026年9月に相次いで報じたもので、NEC自身の発表ではない。同社は1999年、基礎研究所の中村泰信らが固体素子による超伝導量子ビットの動作実証をNature誌に報告し、いま世界の主流となっている超伝導方式の出発点をつくった企業だ。その27年後の判断を、既報は投資回収の難しさと研究者の移籍で説明している。ただ、NEC自身が2022年12月に内閣府の会議へ提出した資料には、この会社がどこまで行くつもりだったかが数字で書かれており、そこに実際の到達点を重ねると、撤退の輪郭は報道の要約よりはっきりする。
報道で明らかになった3月末の中止と、NECが公にした唯一の説明
日本経済新聞は2026年9月5日、NECが量子コンピューターの実機開発を中止したと報じ、実用化に時間がかかり投資に見合う収益を得るのが難しいという判断があったとみられると伝えた。この理由づけは同紙の推定であって、NECが自ら説明したものではない。前日の9月4日にはダイヤモンド・オンラインが、3月末の撤退と、開発に携わっていた研究者が富士通へ移籍したことを独自取材として報じている。
NEC広報がダイヤモンド編集部の取材に返した回答は、撤退の是非については「コメントは差し控える」としながら、「量子コンピュータの活用について、実用化に向けた技術の見極めとともに、産業化に向けた取り組みも進めている。多様なユーザー企業とユースケース創出や実証を進めるコンソーシアムに参画し、将来の事業化領域の見極めを進めている」と続けている。撤退という言葉も、開発中止という言葉も、この回答には出てこない。現時点で確認できるNECの立場は、この回答だけである。
つまり読者が手にしているのは、日付と結論を伝える報道と、それを否定も肯定もしない企業コメントの組み合わせだ。撤退の内実を報道の外側から測るには、NEC自身が過去に公開した文書へ戻るしかない。幸い、その文書は内閣府のサイトに残っている。
1999年の世界初から27年、NECが自ら引いたロードマップとの距離

2022年12月6日、内閣府の「量子技術の実用化推進ワーキンググループ」第3回に、NECは取締役執行役員常務兼CTOだった西原基夫の名で資料を提出した。そこには量子プロセッサ開発の進み方が、基本ユニットの4量子ビットから100量子ビット、さらに1,000量子ビット超へと図示されている。同じ資料でNECは、量子アニーリングとゲート方式による課題解決モデルの提供を2030年に目指し、2040年以降に誤り耐性方式を見据えるとした。1,000量子ビット超という到達点そのものに年限は書かれていない。
この会議でNECが示した姿勢は、撤退した企業のものとは正反対だった。「現時点で量子で最も事業化に近いのがアニーリング」と位置づけ、「NECは量子本来の強みを活かす量子アニーラも主軸に開発を継続」と明記し、開発フェーズを乗り切るための投資について国の継続支援を提言している。国に支援を求める側だった会社が、その3年3か月後に実機開発をやめた。
NECの量子開発を日付の確認できる出来事だけで並べると、次のようになる。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 1999年4月 | 中村泰信らが固体素子による超伝導量子ビットの動作実証をNatureで報告(Nature 398, 786) |
| 2003年 | 2ビット論理演算ゲートの動作を実証(Nature 425, 941) |
| 2014年 | 超伝導回路でパラメトロンを実現(Nature Commun. 5, 4480) |
| 2021年11月 | NEC Vector Annealingサービスの提供を開始 |
| 2022年3月17日 | 超伝導パラメトロンを用いた4量子ビットの基本ユニットでアニーリング動作の実証を発表 |
| 2022年12月6日 | 内閣府WGで4量子ビットから100量子ビット、1,000量子ビット超へ進む構想を説明 |
| 2023年6月28日 | 産総研と開発した8量子ビット量子アニーリングマシンで東北大学との共同研究開始を発表 |
| 2025年9月9日 | 産総研、理研とともに富士通と共同でサプライチェーン技術報告書を公開 |
| 2026年3月末 | 量子コンピューターの実機開発を中止(日本経済新聞、ダイヤモンド・オンラインの報道) |
構想の起点だった4量子ビットの基本ユニットは、2022年3月に動作実証まで到達した。その先の100量子ビットに対応する実機の公表は、確認できる範囲で一度もない。公表された最後の実機は2023年6月の8量子ビット機であり、構想発表からの到達幅は4量子ビットから8量子ビットまでだった。そこから開発中止までの間隔は2年9か月である。100量子ビットは中間目標でしかなかったのに、そこへ届いた記録が残っていない。
その8量子ビット機自体は、当時のNECにとって前進だった。産総研と共同で開発し、東北大学との共同研究に供したこの装置は、インターネット経由で外部から使える国産の量子アニーリングマシンとしては国内初とされた。研究室の実験装置を、外部の研究者が使える計算資源として公開する段階まで進めたことになる。ただし外部利用の入口を開いた実機が、そのまま最後の実機になった。
投資回収の見込みが立たなかったと読める条件

投資回収という説明は、量子ビット数の伸び悩みと切り離すと理解しにくい。NECが2022年に「最も事業化に近い」と判断した量子アニーリングは、組合せ最適化を解く専用の方式で、汎用計算はできない。専用機である以上、収益は解ける問題の規模に強く縛られる。8量子ビットの実機で解ける最適化問題は、既存の計算機で十分に処理できる規模にとどまる。顧客に請求できる価値が生まれるのは、既存手法では現実的な時間で解けない規模に届いてからだ。
ここで効いてくるのが、NECが同時に持っていた別の選択肢である。同社は2021年11月に自社ベクトルプロセッサ上で疑似量子アニーリングを走らせるNEC Vector Annealingサービスを始め、同じ2021年中にD-WaveのLeap Quantum Cloud Serviceの提供も開始していた。最適化を解いて対価を得るという事業だけを見れば、自前の超伝導実機がなくても成立する経路がすでに2本あったことになる。実機開発は、この2本と競合する社内投資でもあった。
超伝導実機の維持費も軽くない。超伝導量子ビットは絶対零度近くまで冷やす希釈冷凍機の中でしか動かず、制御用の配線と読み出し回路は量子ビット数に応じて増える。量子ビットを100倍にする作業は、素子を100倍作れば済む話ではない。冷凍機の中に入る配線量と発熱、そして制御エレクトロニクスの規模を、同時に設計し直すことになる。
2025年9月に産総研と理研、NECが富士通と共同でまとめたサプライチェーン技術報告書は、まさにこの領域の部品や材料の見通しを扱ったものだった。裏を返せば、大規模化に必要な要素が国内でまだ整理の途中だったということでもある。
同じ資料でNECは、アニーリングプロセッサの開発は成熟しつつあり、実用化・製品化が既に進んでいるとも書いていた。技術の年限としては、2023年に量子アニーリングマシン上での長時間の量子重ね合わせ状態保持を、2030年に量子アニーリングとゲート方式による課題解決モデルの提供を、2040年以降に誤り耐性方式の実現を、それぞれ目標に掲げている。これらは技術トラックの到達年限であり、投資が黒字転換する時期を直接示したものではない。
だとすれば、2026年3月末の中止が示すのは、2022年時点でNEC自身が「実用化間近」と位置づけていた技術が、その3年3か月後には開発を止める対象になったという逆転である。冷凍機と制御系の更新に費用を投じ続ける前提が崩れれば、技術の完成度が上がっていても判断は変わる。国へ継続支援を求めた提言は、この投資を一社で背負いきれないという認識の裏返しでもあった。
日本経済新聞が伝えた「実用化に時間がかかる」という判断は、NEC自身が2022年に描いた実用化間近という見通しとの落差として読める。ただし繰り返しになるが、これはNEC自身の説明ではない。同社が語ったのは技術の見極めと産業化への取り組みという内容であり、社内でどの数字がどの時点で赤字と判定されたのかは公開されていない。
8量子ビットと256量子ビット、同じ国の超伝導開発で開いた差

NECが実機開発を止めた2026年3月末の時点で、国内で開発され外部利用に供された超伝導量子マシンとして公表されていた最大規模を並べると、差は32倍になる。
データを表で見る
| 公表された物理量子ビット数 (物理量子ビット) | |
|---|---|
| NECと産総研(量子アニーリング方式・2023年6月公表) | 8 |
| 富士通と理化学研究所(量子ゲート方式・2025年4月公表) | 256 |
256を8で割れば32になるが、この数字を能力差として読むと誤る。NECの8量子ビット機は量子アニーリング方式で、組合せ最適化という特定の問題を解く。富士通と理研の256量子ビット機は量子ゲート方式で、原理的には汎用の量子アルゴリズムを走らせる。解く問題が違う機械の量子ビット数を並べても、どちらが優れているかは決まらない。
それでも比較に意味があるのは、両者が同じ国の同じ超伝導という材料系で、同じ時期に規模を追っていたからだ。超伝導量子ビットは配線と冷却の制約を共有するため、量子ビット数は方式を問わず「その組織が大規模化のエンジニアリングをどこまで通せたか」の目安になる。NECが選んだ超伝導パラメトロン素子とParityQCアーキテクチャの組み合わせは、ノイズに強く、量子状態を保てる時間を長く取れることを狙った設計であり、量子ビット数だけでは評価しきれない。ただし2023年6月の8量子ビットから先へ進んだ公表がない以上、大規模化の工程を通しきれたという証拠もない。
富士通と理研の側は、2023年10月に64量子ビット、2025年4月に256量子ビットと規模を伸ばし、2026年度には1,000量子ビット機を富士通の量子棟(神奈川県川崎市)へ設置して公開する計画を示している。富士通は2025年8月1日に、2030年度の完成と250論理量子ビットを目標とする1万量子ビット超の超伝導量子コンピューターの研究開発開始も発表した。NECが1,000量子ビット超を構想として図に描いた時期に、隣で同じ数字を工程表に落とした組織があったことになる。
人が動いた先と、NECに残る量子の仕事
ダイヤモンド・オンラインは、開発に携わっていた研究者が富士通へ移籍したと報じている。人数は記事に書かれておらず、NECと富士通のいずれからも公式の確認は取れていない。ただ、移籍先が富士通だという点は撤退の意味を変える。超伝導量子ビットの大規模化に必要な知見は、論文よりも装置と手順に宿る。人が動けば知見も動くため、NECの27年分の蓄積のうち可搬な部分は、国内から失われるより富士通と理研の側へ集まった可能性がある。
NEC側に何が残るのかは、公開情報からは特定できない。広報は産業化に向けた取り組みを続けているとしているが、その範囲に量子アニーリングのハードウェアが含まれるのか、疑似量子アニーリングのサービスとD-Wave経由のクラウド提供に絞られるのかは、どの報道からも読み取れない。NECが公表した唯一の実機が量子アニーリングマシンだったため、「実機開発の中止」と「アニーリング事業の継続」は、そのままでは重なりを確定できない。
実機を自社で持たない企業が最適化ビジネスを続ける形は、量子業界ではすでに珍しくない。クラウド経由で他社の量子マシンを使い、自社は問題の定式化と業務適用に集中する事業モデルであり、NECが2021年から並行して用意していた2本の経路(Vector Annealingサービスと、D-Wave経由のクラウド提供)は、まさにその形をしている。NEC広報が「産業化に向けた取り組みも進めている」と述べている点を踏まえれば、撤退したのは実機であって、量子を使う仕事そのものではないと読める。ただし、その取り組みにハードウェアがどこまで含まれるかは、依然として公開情報からは特定できない。
国策の裾野に残った名前と、次に確認できる日付

実機開発を止める約6か月半前の2025年9月9日、NECは産総研と理研とともに、富士通と共同で超伝導方式の大規模量子コンピューターシステムに向けたサプライチェーン技術報告書を公開している。内閣府の戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)第3期の一環であり、日本の超伝導量子開発の裾野を誰が支えるかを整理する文書だった。自社の実機開発をやめる企業が、その半年前まで国策の枠組みに名前を連ねていた。この並びは、NECの撤退が量子技術そのものからの離脱ではなく、実機を自社で作るという役割の返上だったことを示している。
国内の超伝導実機開発から、NECという担い手が一つ減った。ただし国内の開発が富士通・理研の1系統に絞られたわけではない。理化学研究所は大阪大学と共同で、2026年3月26日に144量子ビットの新型機「叡-Ⅱ」の運用開始を発表しており、富士通・理研系とは別に理研・大阪大学系の開発も続いている。残る担い手の一つである富士通は、国外へも連携を広げている。富士通は2026年8月4日、Monash大学およびオーストラリアのCSIROと量子の研究、教育、実用化で連携すると発表した。
次に検証できる日付は2026年度中で、富士通の量子棟に1,000量子ビット機が予定どおり設置・公開されるかどうかが最初の材料になる。NECが図に描いて到達しなかった数字と同じ規模を、別の組織が実機として動かせるかが確かめられる。その先には、2030年の1万量子ビット超と250論理量子ビットという富士通の目標があり、こちらは誤り訂正を含む工程であるため、達成の可否はさらに長い時間をかけて判定される。
NEC側で確認すべき点は、量子アニーリングに関する新しい発表が今後出るかどうかに絞られる。実機を伴う発表が途絶え、疑似量子アニーリングと他社マシンの仲介に限られていくのであれば、広報が語った「産業化に向けた取り組み」の実体はソフトウェアと業務適用の側にあったことになる。逆に、産総研との共同開発の続報や新しいアニーリングマシンの公表があれば、中止の対象はゲート方式を含む別の範囲だった可能性が出てくる。どちらであるかは、NECが次に何を発表するかで判別できる。



