「AIが仕事を奪う」——そんな警句が世界を駆け巡る中、英国の雇用市場から驚くべきデータが示された。AIスキルを持つ人材への需要が爆発的に増加し、国内の技術職(テックジョブ)の求人数はパンデミック以前の水準を21%も上回る活況を呈しているのだ。これは、コンサルティング大手Accentureが発表した最新の調査報告書で明らかになったもので、“人員削減”と言う暗い話題が数多く報じられるテクノロジー業界に差し込む一筋の光明とも言える。しかし、その光は英国全土を等しく照らしているわけではない。ロンドンへの極端な一極集中という、根深い構造問題も同時に浮き彫りになっている。
AIが牽引する英国テック市場の「構造的変化」
Accentureの調査「UK Tech Talent Tracker」によれば、英国の技術職の求人総数は前年比で21%増加し、新型コロナウイルスのパンデミックが世界を覆う前の2019年の水準を上回った。この力強い回復を牽引しているのが、紛れもなく人工知能(AI)だ。
さらに注目すべきは、単なる求人数の回復に留まらない点である。英国では、サイバーセキュリティ、データ分析、ロボティクスといった先進的な技術スキルを持つと自己申告する専門家の数が、この1年で53%も増加し、約169万人に達した。これは、市場の需要に応える形で、労働者側のスキルセットが急速に進化していることを示唆している。市場が、もはやパンデミック前の姿に戻ったのではなく、AIを核とした新たな構造へと質的な変化を遂げつつあることを示しているのだ。
需要爆発「AI人材」、年間200%増の衝撃
今回の調査で最も衝撃的な数字は、AIスキルに対する需要の伸びだろう。英国の各都市におけるAI関連スキルの求人は、前年比で実に200%近く、つまり約3倍にまで急増した。これは、生成AIの急速な普及と社会実装が、企業の人材戦略を根底から変えつつある現実を雄弁に物語っている。
皮肉なことに、多くの職を奪うと懸念されてきたAI自身が、新たな雇用の巨大な受け皿となりつつある。このトレンドは、もはや一部の先進的なIT企業に限った話ではない。金融、製造、小売、医療といった、あらゆる産業がAIの導入を急ぎ、その活用を担う専門家を渇望しているのだ。
ロンドン一極集中が映す「光と影」
しかし、このAIブームの恩恵は、英国全土に均等に行き渡っているわけではない。Accentureのデータは、深刻な地域格差、いわば「AIデジタルデバイド」の存在を冷徹に描き出している。
- 求人の偏在: 英国全体の技術職求人のうち、約3分の2(65%)がロンドンに集中。AI関連スキルに絞ると、その割合は80%にまで跳ね上がる。
- 予算配分の格差: ロンドンに拠点を置く企業は、今年の技術予算の約5分の1(20%)をAIに投じる計画だ。これに対し、北東イングランド、スコットランド、ウェールズといった地域では、その比率は13%に留まる。
- スキルアップ投資の差: ジェネレーティブAIに関する従業員のスキルアップ投資を増やしたと回答した企業は、ロンドンでは58%にのぼるが、ロンドン以外の地域では40%と、大きな開きが見られる。
Accentureでテクノロジー部門を率いるEmma Kendrew氏は、この状況に警鐘を鳴らす。
「英国は世界のAIリーダーとしての地位を確立する絶好の機会を迎えており、ロンドンはその中心地です。しかし、AIの経済的ポテンシャルを最大限に活用するためには、ロンドン以外の地域も人材とインフラを巡って競争し、持続的な成長を実現する必要があります。地域間のAIスキルアップの格差は、国内のデジタルデバイドを拡大させ、長期的な競争力を損なう懸念があります」
この言葉は、AIという革命的な技術が、既存の経済格差をさらに助長しかねないという厳しい現実を突きつけている。
地方都市の奮闘と新たな技術ハブの萌芽
もちろん、ロンドン以外の地域が手をこまねいているわけではない。いくつかの都市では、AIスキルに対する需要が目覚ましい成長を見せている。グラスゴーでは150%、リバプールでは125%、リーズでは83%と、それぞれ高い伸び率を記録した。
また、新たな技術ハブの萌芽も見られる。特にマンチェスターは、量子コンピューティング(Quantum Computing)の分野で頭角を現しており、関連スキルの保有者が66%も増加しているという。これは、AIに限らず、次世代の技術を見据えた人材育成と産業集積が進んでいる証左と言えるだろう。
一方で、政府が推進する「オックスフォード=ケンブリッジ・アーク(ハイテク回廊)」構想の中核である両都市のAIスキル需要の伸びは、オックスフォードで54%、ケンブリッジで62%と、他の急成長都市に比べるとやや穏やかなペースだ。
「AIは生産性を向上させる」は本当か? PwC調査が示す現実
AIが雇用だけでなく、経済全体に与える影響はどうなのだろうか。奇しくも同週に発表された、PwC(PricewaterhouseCoopers)の調査が、興味深い示唆を与えている。
同調査によれば、ソフトウェア産業のようにAIを業務に活用しやすいセクターでは、AIの影響が少ないセクター(例:鉱業、ホスピタリティ)と比較して、生産性と賃金の伸びが顕著に高いことが判明した。特に、大規模言語モデル(LLM)が登場して以降、AI活用セクターにおける従業員一人当たりの収益成長率は劇的に加速しているという。
これは、AIが単にコストを削減するだけでなく、新たな価値を創出し、企業の収益性を高める強力なエンジンとなりうることをデータで裏付けている。ただし、PwCの調査は、AIを活用できる職種の「求人」の伸び率自体は、他の職種に比べて緩やかであるという注意点も指摘しており、単純な楽観論には釘を刺している。
AI失業論の先に見えるもの:スキルシフトと新たな機会
今回のAccentureの調査結果は、「AIが仕事を奪うか、創るか」という二元論的な議論がいかに単純であるかを浮き彫りにした。問題の本質は雇用の「消滅」ではなく、大規模な「移行(シフト)」と「再定義」にある。
DuolingoやKlarnaといった「AIファースト」を掲げた企業が、結果的に「AIは人間を完全には代替できない」として、再び人間の採用を強化する動きを見せている。一方で、GoogleやMicrosoftでは、生成される新規コードの25〜30%がAIによって書かれているという。これは、AIが人間の仕事を奪うのではなく、人間の能力を拡張する強力な「ツール」として機能し始めている現実を示している。
脅威となるのは、AIそのものではない。AIを使いこなすためのスキルへのアップデートを怠ることだ。今回の英国のデータが示すロンドンと地方の「AI格差」は、国という単位だけでなく、企業や個人という単位でも起こりうる未来を暗示している。AIを使いこなす側と、そうでない側との間には、生産性、収入、そしてキャリアの機会において、決定的な差が生まれるだろう。
AnthropicのCEOが「AIは5年でエントリーレベルのホワイトカラー職の半分を消滅させる」と警告するように、定型的・反復的なタスクは急速に自動化されていく。しかし同時に、AIを戦略的に活用し、新たなビジネスモデルを構築し、より創造的な業務に集中できる人材への需要は、今回の英国のデータが示すように、爆発的に増加していくのだ。
英国のテック市場が見せる熱狂は、AI時代における雇用の未来を映す縮図である。それは、大きな不安と、それ以上に大きな機会が共存する世界だ。この構造変化の波に乗り、自らをアップデートし続ける者だけが、その恩恵を享受できる。今、私たち一人ひとりに問われているのは、その変化のどちら側に立つ準備ができているかなのである。
Sources
- The Register: UK tech job openings climb 21% to pre-pandemic highs