世界最大の電気自動車(EV)バッテリーメーカーである中国のCATL(Contemporary Amperex Technology Co., Limited) が2025年5月20日、香港証券取引所に重複上場を果たし、初日の取引で株価が一時16%以上急騰するという鮮烈なデビューを飾った。今回の新規株式公開(IPO)による調達額は357億香港ドル(約6,567億円)に達し、2025年における世界最大のIPO案件となった。この成功は、米中間の貿易摩擦がくすぶり続ける中でも、グローバル投資家の中国有力メーカーに対する強い関心と、EV市場の成長への揺るぎない期待を示すものと言えるだろう。
IPO詳細:今年最大の資金調達と市場の熱狂
CATLの香港IPOは、公開価格263香港ドルに対し、初日の取引開始直後から買い注文が殺到。株価は一時296香港ドルまで上昇し、最終的には公開価格を16.4%上回る306.2香港ドルで取引を終えた。このIPOで調達した357億香港ドルは、今年に入ってから世界で実施されたIPOの中で最大規模となる。香港のFinancial SecretaryであるPaul Chan氏も祝賀セレモニーに出席し、今回のIPOが香港市場の活性化に寄与するとの期待を表明している。
Bernsteinのシニアリサーチアナリスト、Neil Beveridge氏はCNBCの取材に対し、「香港H株が中国本土A株の価格を上回って取引されている事実は、特にグローバル投資家からのこの企業に対する需要がいかに並外れているかを示している」と指摘する。実際、CATLの香港IPOには、世界15の国と地域から政府系ファンド、事業会社、長期投資機関、保険会社、マルチ戦略ファンドなど、多様な投資家が参加したと報じられており、CATLの長期的な価値とゼロカーボン技術が拓く市場の将来性への高い評価がうかがえる。
CATLとは何者か?EVバッテリー市場の巨人
CATLは、いったいどのような企業なのだろうか。2011年に物理学の博士号を持つRobin Zeng(曽毓羣)氏によって福建省寧徳市で設立された同社は、今や世界のEVバッテリー市場で圧倒的な存在感を放つ。
圧倒的な市場シェアと主要顧客
SNE ResearchやAssociated Press (AP) の報道によると、CATLは2024年時点で世界のEVバッテリー市場において約38%から40%という驚異的なシェアを握っており、文字通り「3台に1台のEVにCATL製バッテリーが搭載されている」計算になる。その顧客リストには、Tesla、Volkswagen、BMW、Mercedes-Benz、Ford、トヨタ自動車、ホンダといった世界の名だたる自動車メーカーが名を連ねる。特にTeslaは最大の顧客の一つとされている。
技術革新への飽くなき挑戦:次世代バッテリー開発
CATLの強みは、単なる生産規模だけではない。同社は研究開発にも巨額の資金を投じており、過去10年間で700億人民元(約1兆3,900億円)以上を投資し、全世界で申請中・取得済みの特許は43,000件を超えるという。近年注目されているのは、コバルトなどの高価なレアメタルを使用しないLFP (lithium iron phosphate) バッテリー技術だ。LFPバッテリーは、従来のNMC (nickel manganese cobalt) 系バッテリーに比べてコストが安く、熱安定性が高いという利点があり、EVの低価格化と安全性向上に貢献すると期待されている。
さらにCATLは、充電時間の短縮や航続距離の伸長といったEVユーザーの根源的な課題解決に向け、次世代バッテリーの開発にも余念がない。2025年4月には、わずか5分間の充電で320マイル(約515km)の走行が可能になるという最新バッテリー技術を発表。ライバルであるBYDも同様の急速充電技術を発表しており、バッテリー技術を巡る競争は熾烈を極めている。CATLのCTO、Gao Huan氏は「我々は再びパフォーマンスの限界を押し広げている。CATL ShenxingスーパーチャージングバッテリーをEVの標準にすることが我々の目標だ」と語っている。
香港上場の戦略的意義:欧州市場制覇への布石
では、なぜCATLはこのタイミングで香港に上場し、巨額の資金を調達したのだろうか。その背景には、同社の明確なグローバル戦略、特に欧州市場への強いコミットメントがある。
ハンガリー新工場への巨額投資
CATLは、今回のIPOで調達した資金の90%を、ハンガリーに建設中の新工場の設備投資に充当する計画を明らかにしている。このハンガリー工場は、BMW、Mercedes-Benz、Stellantis、Volkswagenといった欧州の主要自動車メーカーへのバッテリー供給拠点となる予定だ。BernsteinのBeveridge氏は、「欧州はCATLにとって非常に重要な市場だ。中国での成長は既に高い普及率のため今後数年で鈍化するだろうが、欧州のEV普及率はまだ20~25%程度であり、成長の余地が大きい」と分析する。欧州での現地生産体制を確立することで、輸送コストの削減、関税リスクの回避、そして欧州顧客のニーズへの迅速な対応が可能になる。
「ゼロカーボン経済」への野心的なビジョン
CATLの創業者であるRobin Zeng氏は上場セレモニーで、「CATLは単なるバッテリー部品メーカーではなく、システムソリューションプロバイダーであり、ゼロカーボン技術企業になることを目指している」と語った。同社は「ゼロカーボン交通」「ゼロカーボン電力」「グローバル産業の脱炭素化」という3つの柱を掲げ、壮大なビジョンを打ち出している。
- ゼロカーボン交通: EV普及はもちろんのこと、大型トラック向けの標準化されたバッテリー交換ブロックやシャシ交換ソリューションを発表。中国国内の主要物流ルートの80%をカバーするバッテリー交換ネットワークを2030年までに構築するという目標も掲げる。乗用車向けにも「Choco-Swap Alliance」を結成し、新たなバッテリー交換エコシステムの展開を目指す。
- ゼロカーボン電力: 再生可能エネルギーの導入拡大に伴う電力系統の不安定化という課題に対し、パワーエレクトロニクス、柔軟な調整システム、仮想発電所(VPP)などの技術開発に注力。V2G(Vehicle to Grid)のような、EVバッテリーを電力系統の調整力として活用する構想も視野に入れていると考えられる。
- グローバル産業の脱炭素化: 自社工場のカーボンニュートラル化に加え、鉄鋼、セメント、化学といった伝統産業の脱炭素化を支援する統合ソリューションの開発も進めている。
これらの取り組みは、CATLが単なるバッテリー供給に留まらず、エネルギー循環型社会の実現に向けたキープレイヤーになろうとしていることの表れであり、投資家に対する強力な成長ストーリーとなっている。
アナリストが見るCATLの強みと市場の期待
市場関係者やアナリストからは、CATLの将来性に対する楽観的な見方が多い。KraneSharesのChief Investment Officer、Brendan Ahern氏は、「我々はCATLの熱心な信奉者であり投資家だ。私の意見では、BYDと並んでこの分野の投資家にとって『必須の企業』だ」とCNBCに語っている。China RenaissanceのManaging Director、Andy Maynard氏も、「CATLのIPOは、米中間の貿易摩擦にもかかわらず、投資家が依然として質の高い投資先を求めて中国に目を向けていることを示している」と述べている。
立ちはだかる壁:米中対立と激化する競争
しかし、CATLの行く手は決して平坦ではない。いくつかの大きな課題も横たわっている。
米国の警戒感と地政学リスク
最大の懸念材料は、やはり米中対立の激化だ。U.S. Department of Defense (Pentagon) は今年1月、CATLを中国軍と関連のある企業リストに追加した(CATLはこれを否定)。また、米下院の中国共産党に関する特別委員会は、JPMorgan ChaseやBank of Americaに対し、今回のIPOへの関与を中止するよう求める書簡を送ったと報じられている(両行は関与を継続)。
さらに、FordがCATLの技術ライセンスを受けてミシガン州にバッテリー工場を建設する計画に対しては、一部の米議員から「中国企業が米国の税金の恩恵を受ける可能性がある」として反対の声が上がっている。Automobilityの創業者兼CEOであるBill Russo氏は、これらの動きがCATLの米国関連事業を複雑にする可能性があるとしつつも、「CATLの中核戦略は欧州や新興市場に焦点が当てられているため、より広範な多国間規制が続かない限り、世界的な野心への影響は限定的だろう」との見方を示している。
BYDなどライバルとの技術開発競争
EV市場の拡大とともに、バッテリーメーカー間の競争も激しさを増している。特に中国国内では、EV販売台数でTeslaを抜き世界一となったBYDが、自社製バッテリー「ブレードバッテリー」を武器にCATLを猛追している。BYDもまた、急速充電技術やバッテリーの安全性向上に注力しており、両社の技術開発競争は今後ますます激化することが予想される。CATLが2024年度の年次売上高で前年比9.7%の減少を記録した背景には、こうした中国国内での熾烈な競争による価格圧力があったと見られている(ただし純利益は同15%増)。
香港市場へのインパクトと今後の展望
CATLの大型IPOは、近年大型案件が減少していた香港市場にとって大きなカンフル剤となる可能性がある。Hong Kong Financial Research Institute of the Bank of Chinaのアナリスト、Li Yujia氏によると、香港でのIPOによる資金調達額は2023年に2桁減少した後、2024年には前年比89%増と回復基調にある。今回の成功が、さらなる大型IPOを呼び込む起爆剤となるか注目される。
CATLの未来は、その卓越した技術力と野心的なゼロカーボン戦略に支えられている一方で、地政学的な逆風や熾烈な市場競争という不確実性とも隣り合わせだ。同社がこれらの課題を克服し、グローバルなエネルギー変革の主導権を握り続けることができるのか。今回の香港上場は、その挑戦に向けた新たなマイルストーンとなることは間違いないだろう。
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