デンマーク政府によるMicrosoft Officeの代替ソフト導入計画が頓挫したと報じられている。しかし、実際に中断されたのは政府全体の脱Microsoft計画ではなく、デジタル化省の職員38人が参加したオープンソースのオフィスソフト「Collabora」の試験運用だった。デンマークの技術メディアIngeniørenの2026年10月の報道によると、この試験は予定されていた正式な評価が行われないまま終了した。一方、政府機関向けのIT環境を管理するStatens ITでは、Microsoft製品に依存しない業務用PCを導入する別のプロジェクト「SIA Open」が進んでおり、デンマーク政府が脱Microsoftの取り組みそのものを断念したわけではない。
今回の経緯は、TechSpotが「デンマーク、Microsoft Officeの置き換えを当面断念」と報じたことで広く知られるようになった。ただし、同記事の本文で取り上げられているのも、デジタル化省内の限定的な試験である。もともと同省は2025年夏の時点で、Microsoft製品を省全体から段階的に廃止する計画はないと説明していた。実際に始まったのは、既存の案件管理システム内でOfficeの代替ソフトを使用する試験であり、2025年12月に始まったSIA Openとは目的も対象範囲も異なる。
38人が参加したCollabora試験、Wordとの互換性で相次ぐ不具合
デジタル化省は2025年6月19日、案件管理システム「F2」に組み込んだCollaboraの試験運用を開始した。F2はデンマークのソフトウェア企業cBrainが開発したシステムで、行政文書の作成や編集、案件管理などに使われている。デジタル化省の公式発表によると、試験ではF2内のMicrosoft Officeを、LibreOfficeを基盤とするCollaboraに置き換え、業務に支障なく利用できるかを検証する計画だった。参加したのは本省の職員38人で、成功すれば省内のほかの職員にも導入を広げる可能性があった。
cBrainの発表によれば、検証対象には政府の文書テンプレートとの互換性、書式の再現性、変更履歴の管理、表の編集、Microsoft Word形式との相互変換などが含まれていた。こうした機能は行政文書の作成に欠かせないものであり、単に文章を入力できるだけでは代替ソフトとして十分とはいえない。また、欧州委員会のオープンソース観測所(OSOR)によると、省は重大な問題が発生した場合、一時的にMicrosoft製品へ戻す可能性も認めていた。つまり、当初から完全移行を決めていたわけではなく、実際の業務で利用できるかを見極めるための試験だった。
ところが、試験開始直後から文書の互換性に問題が生じた。Ingeniørenが情報公開請求によって入手した内部メールをTechSpotが紹介したところによると、利用開始から1時間もたたないうちに、Wordのテンプレートに含まれる非表示のスタイルが問題になった。さらに、テンプレートが使用するGeorgiaフォントがCollabora側に用意されておらず、cBrainがフォントを追加した後も、一部の文字が意図せず太字になったり、不要な改行が挿入されたりする不具合が続いたという。財務省から送られたファイルが白紙で表示される問題や、Ctrl+Pを押すと文書ではなくウィンドウ全体が印刷される問題も報告された。
これらの不具合は、既存のMicrosoft Officeを別のソフトに置き換える際の難しさを浮き彫りにしている。デジタル化省では、Wordで作成されたテンプレートを前提に文書作成の手順が組み立てられており、書式やフォントの細かな指定も業務の一部になっていた。そのため、文書を開けるだけでは不十分で、編集や印刷、他省とのファイル交換でも従来どおりの結果が得られる必要があった。財務省の文書が正常に開けなかった事例は、互換性の問題が省内の作業だけでなく、行政機関同士の文書交換にも影響する可能性を示している。
技術的には、F2そのものがMicrosoft Officeに完全に依存した構造になっているわけではない。cBrainによると、F2は文書データと編集ツールを分離した設計を採用しており、異なる文書編集ソフトを並行して利用することも可能だ。しかし、編集ソフトを切り替えられることと、既存の文書や業務手順が問題なく動作することは別である。今回の試験では、システム側に代替ソフトを組み込むことはできても、実際の行政業務で求められる互換性の確保が難題となった。
本来、試験の結果は2025年10月に予定されていた評価ワークショップで検証されるはずだった。内部メモには、Collaboraへの全面移行から、実用化にはまだ時期尚早と判断する場合まで、4つの結論が想定されていたという。しかし、このワークショップは開催されず、参加職員は2026年に入ってもCollaboraの利用を続けた。その後、試験は中断され、現在は同省でCollaboraを使用している職員はおらず、再開の予定もないと報じられている。
現在の研究・教育・デジタル化省の広報担当者もIngeniørenに対し、予定されていた評価が実施されなかったことを認めている。ただし、公開された報道からは、試験を正式に終了した日付や、誰が中止を決定したのかまでは確認できない。したがって、今回の結果を「Collaboraは行政業務に利用できないと正式に判断された」と解釈するのは適切ではない。確認できるのは、複数の互換性問題が報告され、計画されていた評価を経ないまま試験が終了したという事実である。
「省全体でMicrosoftを廃止」という報道はなぜ広まったのか
今回の中断を理解するには、2025年6月に広まった当初の報道と、実際に開始された試験を区別する必要がある。デンマーク紙Politikenは同年6月9日、当時のCaroline Stageデジタル化相が省内のMicrosoft製品を段階的に廃止する方針だと報じた。この報道を受けて国内外のメディアや企業から問い合わせが相次ぎ、省の職員は夏の間、Microsoftを省全体から段階的に廃止する計画はないと説明していたという。
当初の報道では、2025年6〜8月に職員の半数がMicrosoft製品から移行し、残りの職員も9〜11月に移行すると伝えられていた。XenoSpectrumも2025年6月28日の記事で、この計画を紹介している。しかし、同月19日に始まった実際の取り組みは、38人の職員がF2内でCollaboraを試す限定的なものだった。Stage大臣も当時、これを政府のデジタル主権を強化するための「最初の一歩」と位置づけており、直ちにMicrosoft製品を全面的に排除するものではないと説明していた。
試験開始から中断が明らかになるまでの経緯を整理すると、次のようになる。
| 日付 | 出来事 |
|---|---|
| 2025年6月9日 | Politikenがデジタル化省のMicrosoft製品廃止計画を報道。翌日から問い合わせが相次ぐ |
| 2025年6月19日 | デジタル化省がF2内でCollaboraの試験を開始。対象は職員38人 |
| 2025年夏 | デジタル化省が、Microsoft製品を省全体から段階的に廃止する計画はないと説明 |
| 2025年10月 | Collabora試験の評価ワークショップを予定するも、実施されず |
| 2025年12月1日 | Ingeniørenが、Stage大臣は試験の継続を判断したと報道 |
| 2025年12月15日 | 道路交通庁長官がSIA Openの業務用PCを使用開始 |
| 2026年2月26日 | デンマークで総選挙の実施が発表される |
| 2026年3月24日 | デンマーク総選挙が実施される |
| 2026年6月3日 | Frederiksen第3次内閣が発足し、デジタル行政の所管が研究・教育分野と統合される |
| 2026年10月19〜20日 | Version2とIngeniørenが、Collabora試験の中断と評価の未実施を報道 |
この時系列で重要なのは、評価ワークショップが予定されていた2025年10月と、総選挙が実施された2026年3月の間に約5カ月の隔たりがあることだ。TechSpotは総選挙に伴う新政権の発足と試験の終了を結びつけて説明しているが、試験は選挙前から予定どおりの評価を受けないまま継続していた。両者の間に因果関係があったかどうかは、公開情報だけでは判断できない。
また、2026年6月3日に発足した新内閣でも、首相は引き続きMette Frederiksenが務めている。デンマーク首相府の発表によると、連立政権の構成は変わり、デジタル行政はChristina Egelundが率いる研究・教育・デジタル化省の所管となった。Egelundは、それ以前にもStage大臣の育児休業中にデジタル化相の職務を代行していた人物である。こうした事情を踏まえても、政権の再編がCollabora試験の中断を直接引き起こしたと断定することはできない。
WordもOutlookもない業務用PC「SIA Open」、2027年2月には166機関が導入可能に
デジタル化省のCollabora試験とは別に、デンマーク政府ではMicrosoft製品に依存しない業務環境の構築が進められている。その中心となるのが、政府機関向けのITサービスを提供するStatens ITの「SIA Open」だ。2025年12月15日、道路交通庁のStefan Jøker Søsted長官が、Microsoft WordやOutlookなどを搭載しない業務用PCへ切り替え、同プロジェクトの最初の利用者となった。道路交通庁の公式発表によると、政府機関がStatens ITのオープンソースPCを採用する初の事例となる。
Søsted長官は、この取り組みについて、Microsoftとの関係を完全に断つことが目的ではなく、代替となる業務環境について知見を得るための試験だと説明している。そのため、現時点ではMicrosoftのライセンスも解約していない。狙いは、将来的に価格や利用条件が受け入れがたい水準に達した場合でも、特定のベンダーに依存せず、別の選択肢へ移行できるようにすることだ。Ingeniørenも2025年9月、Statens ITがMicrosoft製品に依存しない業務用PCを数千人規模へ広げる計画を進めていると報じていた。
このSIA Openは、省内の文書編集ソフトだけを置き換えるCollabora試験とは異なり、業務用PCの環境そのものをオープンソースソフトウェアで構成する取り組みである。2026年10月15日に公開された欧州委員会のOSORによる報告によると、道路交通庁での利用者はまだ10人未満だが、試験に対する初期の評価は比較的良好だという。また、ほかの政府機関からも参加希望が寄せられており、Statens ITは運用の安定性を確認するため、当面は参加機関を限定している。
今後の重要な節目は2027年2月だ。Statens ITの最高技術責任者(CTO)であるPeder Wieseによると、同月に予定されるSIA Openの第3版公開後は、同組織がサービスを提供する166の政府機関がSIA Openを発注できるようになる見込みだ。これが実現すれば、特定の機関だけで利用する試験環境から、政府機関が共通のIT基盤を通じて選択できるサービスへと発展する。ただし、166機関が実際に導入することまで決まっているわけではない。
日本にも、政府機関の業務環境を共通基盤で提供する仕組みがある。デジタル庁の「ガバメントソリューションサービス(GSS)」は、府省庁の職員が共通で利用する業務用PCやネットワーク、セキュリティ環境を提供するサービスだ。デジタル庁の発表によると、2026年2月時点で18機関、約5万3,000人が利用しており、将来的には約28万人規模への拡大が見込まれている。GSSとSIA Openは導入目的やソフトウェア構成こそ異なるものの、各省庁が個別に整備してきた業務環境を、政府共通のIT基盤として提供する点では共通している。
両プロジェクトの違いを整理すると、次のようになる。
| 項目 | デジタル化省のCollabora試験 | Statens ITのSIA Open |
|---|---|---|
| 実施主体 | デジタル化省、cBrain | Statens IT、道路交通庁 |
| 置き換えの対象 | F2内のMicrosoft Office | WordやOutlookなどを含む業務用PCのソフトウェア環境 |
| 試験規模 | 本省職員38人 | 道路交通庁の10人未満 |
| 開始時期 | 2025年6月19日 | 2025年12月15日 |
| 導入拡大の対象 | デジタル化省内 | Statens ITが支援する166機関 |
| Microsoftライセンス | 省全体の契約解約は対象外 | 現時点では解約しない |
| 2026年10月時点の状況 | 正式な評価を経ずに終了 | 試験を継続中 |
| 次の節目 | 評価結果の公表や試験再開の有無 | 2027年2月の第3版公開と発注受付 |
両者は、実施主体だけでなく、技術的な対象範囲や導入拡大の仕組みも異なる。Collabora試験は既存の業務システム内で文書編集ソフトを置き換える試みだったのに対し、SIA Openは政府機関向けのPC環境そのものに代替手段を設けるものだ。ただし、SIA Openも依然として小規模な試験段階にあり、現時点でどちらの方式が優れているかを判断することはできない。
年間118億円を超えるMicrosoftライセンス支出が背景に
デンマーク政府がMicrosoft製品の代替手段を模索する背景には、ライセンス費用の増加がある。デンマーク財務省が議会に提出した資料によると、国の共通調達契約に基づくMicrosoft関連のソフトウェア、クラウド、サーバー・インフラへの支出は、2023年の4億3,990万クローネから2024年には5億2,730万クローネへ増加した。増加率は約20%で、2024年の支出は日本円で約124億円に相当する。こうした支出増には、ライセンス数の増加や購入する製品の変更、単価の上昇など、複数の要因が考えられる。
地方自治体でも同様の傾向が見られる。Altingetが自治体から収集したデータによると、Microsoftのユーザーライセンスとサーバーライセンスへの支出は、2020年の少なくとも3億8,000万クローネ(約90億円)から、2025年には少なくとも6億4,600万クローネ(約152億円)へと約70%増加した。これらの数字は支出総額であり、ライセンス単価そのものが70%上がったことを意味するわけではない。それでも、Microsoft製品への依存が行政機関の財政負担に直結していることは明らかだ。
また、デンマーク政府は2025年、Microsoft製品の継続利用を含む新たな5年間の共通調達契約を締結している。報道では約42億クローネ(約990億円)の契約とされているが、政府の調達記録を確認すると、42億5,100万クローネは調達段階の推定額であり、実際に公表された落札契約額はオプションを含めて約37億9,900万クローネ(約895億円)となっている。契約先はAtea A/Sで、対象には標準ソフトウェアのライセンス供給や、政府が保有するMicrosoft製品の保守・追加調達などが含まれる。デンマーク政府の経済管理庁も、契約が2030年3月31日まで続くことを公表している。
※日本円への換算には、欧州中央銀行(ECB)が公表した2026年10月26日の参照レート(1クローネ約23.57円)を使用した。
既存のMicrosoft製品を継続利用する長期契約がある一方で、政府はオープンソースの代替環境も開発している。この2つは必ずしも矛盾しない。現在の行政業務を維持しながら、次の契約更新や調達条件の交渉に備えて、実際に利用可能な代替手段を確保するという考え方だからだ。ただし、SIA Openの導入によってライセンス支出がどの程度削減されるかは、まだ実証されていない。ソフトウェアの移行費用、職員への研修、既存システムとの互換性確保、運用・保守に必要な費用まで含めて比較する必要がある。
デンマークの脱Microsoft政策は後退したのか
今回の動きを、デンマーク政府の脱Microsoft政策が後退した証拠と見る余地はある。デジタル化省のCollabora試験は、正式な評価を経ないまま終了し、再開の予定も示されていない。別の取り組みであるSIA Openも、2026年10月時点では10人未満の小規模な試験にとどまっており、Microsoftのライセンス契約も継続されている。さらに、政府の行政組織が再編されたことで、2025年当時の政治的な推進体制も変化している。
これらを踏まえれば、Microsoft製品からの移行が当初の期待ほど進んでいないという評価には一定の根拠がある。少なくとも、2025年6月に広まった「デジタル化省全体が年内にMicrosoftを廃止する」という計画は実現しなかった。また、SIA Openが政府機関全体へ広がるかどうかも、現段階では不透明だ。行政機関が日常業務で利用する基盤を変更する以上、単に代替ソフトが動作するだけでなく、文書の互換性やセキュリティ、運用の安定性まで確認しなければならない。
一方で、38人によるCollabora試験の終了をもって、デンマーク政府全体が脱Microsoftを断念したと結論づけることもできない。SIA Openは別の組織が管理する独立したプロジェクトであり、道路交通庁では実際にオープンソースの業務環境が使われている。Statens ITも2027年2月に向けてサービスの拡大を準備しており、既存のMicrosoft環境と並行して代替手段を整備する方針は維持されている。ただし、それが大規模な導入や費用削減につながるかどうかは、今後の実績によって評価する必要がある。
今後の判断材料となるのは、2027年2月に予定されるSIA Open第3版の公開と、その後の政府機関による発注状況だ。第3版が予定どおり公開されても、166機関から実際の発注がなければ、政府全体に利用可能な選択肢として定着したとはいえない。逆に、複数の政府機関で導入が進み、既存システムとの互換性や運用費用について具体的な成果が確認されれば、デンマークの取り組みは新たな段階に入ることになる。また、研究・教育・デジタル化省がCollabora試験の評価結果を公表したり、試験を再開したりした場合には、今回の中断に対する評価も見直す必要がある。
デンマークの事例が浮き彫りにしているのは、Microsoft製品の代替ソフトを導入することと、行政機関が特定のベンダーに依存せず業務を継続できる体制を築くことの違いだ。38人の試験では文書互換性が大きな障害となり、正式な評価にも至らなかった。一方、SIA Openは国の共通IT基盤を通じて代替環境を選べる仕組みを目指しているが、その実用性と経済的な効果はまだ十分に検証されていない。デンマークが真の意味でMicrosoftへの依存を減らせるかどうかは、今後の導入実績と運用成果によって明らかになるだろう。



