超伝導量子コンピュータのチップを顕微鏡で覗くと、ある部品が不釣り合いに広い面積を占めていることに気づく。ジョセフソン接合のアレイだ。量子ビットの一種であるフラクソニウムや、超伝導検出器に欠かせない「超インダクタンス」を実現するために、80個から数百個のジョセフソン接合を直列に並べた構造が、チップ上の貴重なスペースを消費している。
この面積問題を原理的に解決しうる素材が、2010年代半ばから注目を集めていた。セレン化ニオブ()の単原子層である。ニオブ原子の密充填層をセレン原子の単層が上下から挟んだ三原子厚の構造(厚さ約1 nm)は、同じ面積あたりに蓄えられるインダクタンス、すなわち運動インダクタンスが極めて大きい。2016年にはXiらが単原子層で「Ising超伝導」と呼ばれる特異な状態を観測し(Nature Physics, 2016)、この素材が基礎物理の面でも豊かなことを示した。
しかし、この素材には致命的な弱点があった。空気に触れた瞬間に酸化して劣化するのである。
合成した途端に壊れる素材。「事後保護」の限界
の単原子層を扱う従来の手法は、大きく二つに分かれていた。一つは機械的剥離(エクスフォリエーション)で、バルク結晶から薄いフレークを剥がし取る方法だ。得られる試料は数マイクロメートル四方程度にとどまり、均一な単層を再現性よく得ることは難しい。もう一つは化学気相成長(CVD)で基板上に合成し、合成後にグラフェンや六方晶窒化ホウ素(hBN)の保護層を被せる方法である。
後者には根本的な時間差の問題がある。は合成が完了した直後から酸化が始まる。保護層を載せるまでの数秒から数分で表面が劣化し、超伝導特性が損なわれる。研究チームのZhengは「通常、素材を合成して不活性環境から取り出した瞬間に酸化と劣化が始まり、最終的には壊れてしまう」と述べている。
この劣化は表面の汚染では済まない。X線光電子分光(XPS)による分析では、酸化後のではニオブの価数が4+から5+に変化し、セレンの信号が消失することが確認されている。生成物は五酸化二ニオブ()であり、超伝導性は完全に失われる。
隙間の中で育てるカプセル化エピタキシーの原理
MITの研究チームが考案した「カプセル化エピタキシー(encapsulation epitaxy)」は、保護の手順を成長の前ではなく成長の中に組み込む発想の転換に基づく。
手順は次の通りだ。まず、二酸化ケイ素()基板上にグラフェンの単層を予め転写する。グラフェンとの間のファンデルワールス力は弱く、両者の間には1 nm未満の微小な隙間が自然に形成される。次に、ニオブとセレンの化学前駆体をこの構造の上に供給する。前駆体はグラフェンの縁や欠陥を通じて隙間に侵入し、表面に吸着して結晶核を形成する。基板が前駆体を捕捉して結晶化を促す一方、上層のグラフェンは前駆体の面内拡散を許容し、均一な単層の形成を導く。
成長は隙間の内部でのみ進行する。グラフェンの上表面にはは生成しないことを、研究チームは低温ドライピックアップ実験で確認した。hBN保護層を剥離した後にが基板上に残り、hBN側には何も付着していなかった。
成長が完了した時点で、はすでにグラフェンに封入されている。大気中に取り出しても酸化しない。この手法で得られた薄膜は1インチ(約2.5 cm)超の連続単層であり、表面は原子レベルで平滑だ。
論文の筆頭著者であるZhengは「グラフェンの下でどのように成長が起きるのかを理解するまでに長い時間がかかった。共同研究と議論を通じて界面での成長機構を解明し、多くの問題を解決して製造工程を簡略化できた」と語っている。
回路への組み込み。エッジコンタクトと運動インダクタンスの検証
大面積の薄膜を作っただけでは、量子回路への応用にはならない。研究チームはさらに二つの工程を開発した。
第一に、酸化を起こさない転写法である。先行研究(Nature, 2025)で確立した手法を応用し、グラフェン/構造を成長基板から剥離して目的の回路基板上に移す。
第二に、電気的接続の形成だ。厚さ約1 nmの薄膜と、数百nm厚の電極を確実に接続する必要がある。研究チームは真空中で薄膜の側面(エッジ)を慎重にエッチングし、滑らかな端面を露出させたうえで超伝導電極と接触させる「エッジコンタクト」構造を採用した。
この工程を経て、を超伝導マイクロ波回路に統合した測定が行われた。結果、素材はクリーンルームでの加工後も超伝導性を維持し、運動インダクタンス ≈ 0.7 nH/□が測定された。チームが先に報告した別の実験(Nature Communications, 2026)では、hBNで封入した数層で最大1.2 nH/□に達しており、単層極限で最も高いシート運動インダクタンスの一つである。
既存の超インダクタンス手法との比較
単層の位置づけを、既存の超インダクタンス実現手法と比較する。
| 手法 | 素材 | シート運動インダクタンス | 面積あたりの特徴 | 大気安定性 |
|---|---|---|---|---|
| ジョセフソン接合アレイ | Al/AlO/Al接合 | 接合あたり約0.5〜1 nH | 100〜300 nHに80〜160個の接合が必要 | 安定 |
| 非晶質薄膜(TiN、NbTiN、gr-Al) | アモルファス超伝導体 | 0.1〜数 nH/□(膜厚依存) | 膜厚を薄くすると増大 | 素材により異なる |
| 単層(本研究) | 結晶性ファンデルワールス超伝導体 | 0.7〜1.2 nH/□ | 原子1層(約1 nm)で実現 | グラフェン封入により大気安定 |
ジョセフソン接合アレイは100〜300 nHの超インダクタンスを実現する標準手法として2012年にMaslukら(PRL, 2012)が実証して以来広く使われてきたが、接合数に比例して面積が増大する。単層は、この機能を原子スケールの厚さで提供するため、同じインダクタンスを遥かに小さい面積で実現できる可能性がある。
加えて、単層の自己Kerr非線形性は = −0.008〜−14.7 Hz/光子と小さく、大きな線形インダクタンスを非線形性の影響なしに使える点で、フラクソニウム量子ビットのシャントインダクタやマイクロ波光子検出器への適性が高い。
カプセル化エピタキシーの一般性。を超えて
本研究の手法はに固有のものではない。研究チームは、グラフェンやhBNを封入層として用いるこの成長戦略が、多様な単層量子素材のファミリーに拡張できることを実証した。封入層と基板の組み合わせも、グラフェン/にとどまらず、グラフェン/やhBN/など複数の系で機能する。ただし、や基板上では単層成長が確認されておらず、基板の選択には制約がある。
カプセル化エピタキシーがもたらすもう一つの利点は、成長と封入が同時に行われることによる界面の清浄さだ。従来の事後転写法では、保護層と超伝導体の間にポリマー残査や吸着分子が挟まりやすい。カプセル化エピタキシーでは界面が大気と接触することなく形成されるため、原子レベルで清浄なファンデルワールス界面が得られる。
残された問い
超伝導転移温度 ≈ 1 Kという値は、バルクの7.2 Kと比べて著しく低い。単層極限での転移温度低下はIsing超伝導の文脈では知られた現象だが、量子回路の動作温度(通常10〜20 mK)に対して十分なマージンがあるとはいえ、より高いを持つ素材系への拡張は重要な方向性である。
また、回路統合後の品質係数(Q値)やマイクロ波損失の詳細な評価は、今後の実証課題として残る。先行するIOP Scienceの報告ではを用いた超伝導マイクロ波共振器で が達成されているが、カプセル化エピタキシーで成長した単層膜での系統的な損失測定はまだ十分とは言えない。
さらに、この手法が「ウエハスケール」と呼べる量産プロセスにどこまで発展するかは未確定だ。1インチ超の連続膜は研究室レベルでは大きな前進だが、半導体産業が用いる300 mmウエハへの展開には、グラフェンの大面積転写技術や前駆体供給の均一性など、工学的な課題が積み残されている。
カプセル化エピタキシーは、空気中で扱えないという理由だけで研究が小規模フレークに限られてきた2次元超伝導体群を、回路設計のテーブルに乗せた。原子1層の素材が量子ハードウェアの設計自由度をどこまで広げるか、次の段階はデバイスレベルの検証にかかっている。
