デザインソフトウェアの人気企業Figmaが、新規株式公開(IPO)に向け、米証券取引委員会(SEC)に秘密裏に書類を提出したことが明らかになった。これは、2023年末に規制当局の反対で頓挫したAdobeによる200億ドルの買収計画から1年余り後の動きである。市場の先行き不透明感が高まる中での決断は、同社の次なる成長戦略として注目される。
IPO申請の事実とAdobe買収失敗の経緯
Figmaは米国時間火曜日、IPOの選択肢を得るため、SECにForm S-1(上場申請書類)の草案を提出したと公式に発表した。これは正式な上場プロセスに向けた第一歩であるが、具体的な公開株数や価格帯はまだ決定されておらず、SECの審査完了後に明らかになる見込みである。現在、FigmaはSECの規則に基づく「沈黙期間」に入っており、IPO計画に関する追加情報は公開できない状況にある。
この動きは、デザイン業界の巨人AdobeによるFigma買収が破談となった16ヶ月後のことだ。2022年9月に発表された200億ドル(現金および株式)での買収計画は、デザインツール市場における競争を阻害する懸念があるとして、米国、英国、そして欧州連合(EU)の規制当局から厳しい視線を向けられた。特にEUは、合併後の企業が市場競争を著しく減少させるとの結論に至っていた。
最終的にAdobeは2023年12月、規制当局の承認を得られない可能性が高いと判断し、買収計画を断念。「AdobeとFigmaは最近の規制当局の判断に強く反対するが、独立して前進することが双方の最善の利益になると信じている」とAdobeのCEO、Shantanu Narayen氏は述べている。この撤退により、AdobeはFigmaに対し10億ドルの契約解除料を支払うこととなった。
皮肉なことに、AdobeはFigmaと競合すると見られていた自社ツール「Adobe XD」の開発を事実上停止しており、現在はメンテナンスモードにある。買収失敗後もXDを復活させる計画はないと報じられている。
なぜ今IPOなのか?動機と戦略
Adobeによる買収という道が閉ざされたFigmaにとって、IPOは次なる飛躍のためには当然踏むべきステップと言える。Figmaの共同創業者兼CEOであるDylan Field氏は、買収失敗後の2024年2月のインタビューで「ベンチャー資金を得たスタートアップが進む道は二つある。買収されるか、株式公開するかだ。我々は買収ルートを徹底的に探求した」と語っており、IPOが視野にあることを示唆していた。
IPOは、Sequoia Capital, Index Ventures, Greylock, Kleiner Perkins, Andreessen Horowitz, IVPといった初期からの投資家や、ストックオプションを持つ従業員に対して、保有株を現金化する機会(流動性)を提供するための重要な手段となる。
Figmaは2024年5月に行われたテンダーオファー(既存株主が一部株式を売却できる取引)を通じて、企業評価額を125億ドルとされている。これはAdobeが提示した200億ドルには及ばないものの、IPOにおける評価額の目安となる可能性がある。また、同社の事業は順調に成長していると見られ、2023年初頭時点での年間収益は約6億ドルに達していたと報じられている。
Figmaは単なるデザインツールに留まらず、近年、製品開発プロセス全体をカバーするようサービス群を拡充している。主力製品である「Figma Design」は、UI/UXデザインのためのプラットフォームであり、レスポンシブデザインを容易にする「Auto Layout」やAIを活用したモックアップ生成支援などの機能を備える。これに加えて、オンラインホワイトボード「FigJam」によるブレインストーミング、開発者との連携を円滑にする「Dev Mode」、プレゼンテーション作成ツール「Figma Slides」などを提供し、デザインから開発までのワークフロー全体を支援する体制を整えている。このクラウドベースでのリアルタイム共同編集機能が、多くの企業デザイナーに支持される理由となっている。
市場の逆風とIPOのタイミング
FigmaがIPO申請に踏み切ったタイミングは、市場環境が決して良好とは言えない時期である。特に、Trump政権が打ち出す予測不能な関税政策は市場の不確実性を高めており、一部のアナリストは米国経済が景気後退に陥る可能性も指摘している。
実際、テクノロジー企業のIPO市場は2021年後半から停滞気味であり、最近も市場の変動を受けてIPO計画を延期・撤回する企業が相次いでいる。フィンテック企業のKlarnaやオンラインチケット販売のStubHubは、関税政策発表後の市場混乱を受け、4月初旬にIPO計画を一時停止した。デジタル銀行のChimeも計画を延期し、カーシェアリングサービスのTuroは最初の申請から3年後の今年2月にIPO計画を撤回している。
このような状況下でのFigmaの申請は、一見すると驚きかもしれない。しかし、秘密裏の申請という形式は、すぐに株式公開を実行する義務を伴うものではない。Figmaは市場の状況を慎重に見極め、最適なタイミングで公開プロセスを進める選択肢を確保したと考えるのが自然だろう。通常のIPOプロセスが申請受理後4~6週間で進むことが多いが、Figmaがこのタイムラインに従うとは限らない。市場が落ち着くのを数ヶ月待つ可能性も指摘されている。
Figmaの強みと今後の展望
市場環境は厳しいものの、Figmaには確かな強みがある。前述の通り、同社はデザインから開発までのコラボレーションを促進する強力な製品群を持ち、多くの企業で導入が進んでいる。その革新性は評価されており、2024年にはCNBCの「Disruptor 50」(市場を破壊する可能性のある企業50社)リストで26位にランクインした。
長年にわたりFigmaを支援してきた有力ベンチャーキャピタル(前述のSequoia, Index, Greylockなど)の存在も、IPO実現に向けた追い風となるだろう。これらのVCは取締役会にも名を連ねており、経営への関与も深い。
今後の注目点としては、まずSECによる審査プロセスが挙げられる。審査が完了すれば、より詳細な財務状況や事業計画が公開されることになる。そして、市場の動向を見極めながら、最終的な上場時期や公開価格が決定される。
また、かつての買収提案者であるAdobeとの今後の関係性も興味深い。IPO後のAdobeによるFigma株購入や協業の可能性について問い合わせがあったが、現時点でAdobeからの回答は得られていないと報じられている。Adobe XDが事実上開発停止状態にあることを考えると、何らかの形でFigmaとの連携を模索する可能性もゼロではないかもしれないが、現時点では憶測の域を出ない。
FigmaのIPO申請は、同社にとって大きな節目であると同時に、現在の不安定な市場環境におけるテック企業のIPO動向を占う試金石ともなりそうだ。Adobeとの買収劇を経て、独立独歩の道を選んだFigmaが、パブリックカンパニーとしてどのような成長曲線を描くのか、業界の注目が集まる。
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