日本の理化学研究所(理研)は、スーパーコンピュータ「富岳」の後継機「富岳NEXT」の開発を、富士通およびNVIDIAとの国際連携体制で始動させた。総額1,100億円を投じる本プロジェクトは、2030年頃の稼働を目指し、従来のフラッグシップスーパーコンピュータとしては初めてGPUアクセラレータを採用する。富士通が開発するArmベースの「FUJITSU-MONAKA-X」CPUとNVIDIAのGPUを組み合わせたハイブリッド・アーキテクチャにより、現行の富岳からアプリケーション性能で最大100倍、ハードウェア性能で5倍以上の向上を目指すとのことだ。ここで理研は、単なる計算速度の追求ではなく、「AI for Science」という新たなパラダイムを提唱しており、富岳NEXTは科学的発見のプロセスそのものを革新する戦略的投資と位置づけられている。

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日本のHPC戦略の転換点、富岳NEXTが示す未来

2020年に稼働開始し、2年間にわたりTOP500リストの頂点に君臨した「富岳」。その心臓部であるArmベースのA64FXプロセッサは、汎用CPUでありながら高いベクトル演算性能と広帯域メモリ(HBM2)を統合し、シミュレーションとAIの両分野で大きな成果を上げた。しかし、世界の潮流はすでにCPU単独の構成から、GPUや各種アクセラレータを組み合わせたヘテロジニアス・コンピューティングへと大きく舵を切っている。現在、富岳が7位に後退している事実が、そのトレンドを物語っている。

この文脈において、総予算1100億円を投じ、2030年頃の稼働を目指す富岳NEXTが、日本のフラッグシップシステムとして初めてNVIDIA製GPUを全面的に採用するという決定は、極めて戦略的な意味を持つ。 これは、完全な自前主義から、グローバルな技術エコシステムを最大限に活用する方向への明確なシフトを示唆しているからだ。富士通が開発する国産CPUの系譜を守りつつ、NVIDIAが持つ圧倒的なGPU性能と広範なソフトウェア資産を取り込む。このハイブリッド戦略こそが、富岳NEXTの核心である。

富岳NEXTのハイブリッド・アーキテクチャ

富岳NEXTの性能を規定するのは、富士通とNVIDIA、日米の技術が融合したハイブリッド・アーキテクチャだ。その核心は、CPU「FUJITSU-MONAKA-X」、NVIDIA製GPU、そして両者を繋ぐインターコネクト技術にある。

CPUコア: 富士通「MONAKA-X」の役割と進化

富岳NEXTのCPU部を担うのは、富士通が開発中のArmベースCPU「FUJITSU-MONAKA」を発展させた「FUJITSU-MONAKA-X」(仮称)である。 ベースとなるMONAKAは、2nmプロセス技術を採用し、エネルギー効率に優れた設計が特徴とされる。

MONAKA-Xは、これをさらにHPCおよびAIワークロードに最適化したものとなる。理研の発表によれば、その特徴は以下の点に集約される。

  • 超メニーコアアーキテクチャ: 富岳のA64FXが48コアであったのに対し、これを上回るコア数を集積し、スレッドレベルの並列性を追求する。
  • SIMD機能拡張: A64FXで採用されたSVE(Scalable Vector Extension)をさらに拡張し、単一命令で処理できるデータ量を増やすことで、ベクトル演算性能を強化する。これは、伝統的な科学技術計算の性能に直結する。
  • 行列演算エンジン(Arm SME)の内蔵: サーバ用CPUとしては世界初となるArmのScalable Matrix Extension(SME)を搭載する。 SMEは、行列演算を効率的に実行するための命令セットであり、これをCPUコアに直接統合することで、GPUにオフロードするまでもない小規模な推論処理などを極めて低レイテンシで実行可能になる。

このアーキテクチャは、CPUが単なる汎用処理のホスト役から、AIワークロードの一部を自ら効率的に実行する能力を持つ、より能動的なプロセッサへと進化していることを示している。

GPUアクセラレータ: NVIDIAのエコシステムという価値

富岳NEXTのアクセラレータ部を担うのは、NVIDIAが設計するGPU基盤だ。 採用される具体的なGPUモデルは明らかにされていないが、2030年という稼働時期を考えれば、現在のBlackwellアーキテクチャから数世代進んだ製品が想定される。

しかし、NVIDIAの価値はGPUチップの性能だけに留まらない。むしろ、その本質はCUDAプラットフォームを中核とする広範なソフトウェアスタックと開発者エコシステムにある。

  • CUDA-Xライブラリ: 量子シミュレーション(cuQuantum)、データサイエンス(RAPIDS)など、特定のドメインに最適化されたライブラリ群は、研究者がアプリケーションを迅速に開発・移植するための強力な基盤となる。
  • AIフレームワーク: 大規模言語モデル開発用の「NeMo」や、推論を高速化する「TensorRT」といったツール群は、「AI for Science」という富岳NEXTのコンセプトを実現する上で不可欠だ。

NVIDIAの参加は、ハードウェアの調達という次元を超え、世界中の開発者が数十年にわたって蓄積してきたソフトウェア資産へのアクセス権を得ることを意味する。

富岳NEXTのアーキテクチャにおける技術的な鍵の一つが、MONAKA-X CPUとNVIDIA GPUを接続する技術だ。両者は「NVLink Fusion」を用いて接続される。 これは、一般的なPCI Expressを介した接続とは一線を画す、シリコンレベルでの高帯域接続を可能にする技術である。

この選択は、単なる性能向上以上の意味を持つ。NVLink Fusionによる密結合は、CPUとGPUが互いのメモリ空間に対して、より統一的かつ低レイテンシでアクセスすることを可能にする。これにより、以下のような利点が生まれる。

  • データ転送のボトルネック解消: CPUとGPU間で頻繁にデータをやり取りするような複雑なワークフローにおいて、データ転送のオーバーヘッドが劇的に削減される。
  • 新たな計算モデルの実現: 従来の「GPUに処理をオフロードする」モデルから一歩進み、CPUとGPUがより協調してタスクを分担する、真のヘテロジニアスな計算モデルの実装が容易になる。

このアーキテクチャ上の選択は、富岳NEXTが単純な演算能力だけでなく、複雑で大規模な問題を解くためのシステムの「質」を追求していることの証左である。

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ゼタスケール性能の真実:FP8と電力効率

理研は、富岳NEXTの目標性能として「FP8(スパース)で600エクサフロップス(EFLOPS)超」を掲げ、これを「世界初のゼタスケールシステム」と表現している。 この数値を正しく理解するには、注意が必要だ。

まず、「FP8」はAIの学習や推論で主に用いられる8ビットの浮動小数点数形式であり、伝統的な科学技術計算で標準とされる64ビット(FP64、倍精度)とは異なる。 演算精度を下げれば、同じハードウェアでも演算スループットは飛躍的に向上する。つまり、600 EFLOPSという数値は、AIに特化したワークロードにおける理論性能値であり、FP64性能がそのままゼタスケールに達することを示すものではない。

しかし、この目標設定自体が、富岳NEXTがAI性能を最重要指標の一つと捉えていることを明確に示している。さらに注目すべきは、この圧倒的な性能を「富岳と同程度の約40メガワット(MW)の電力枠内」で達成しようとしている点だ。 これは、エネルギー効率の大幅な向上なしには実現不可能であり、2nm世代の半導体プロセス技術、CPU/GPU両アーキテクチャの電力効率改善、そして後述するソフトウェア技術の革新が一体となって初めて達成される、極めて挑戦的な目標である。

100倍の性能向上を支えるソフトウェアとアルゴリズム

富岳NEXTは、「富岳比で最大100倍のアプリケーション性能向上」を目標に掲げている。 その内訳は、「ハードウェア性能で5倍以上」、「ソフトウェア・アルゴリズムの革新で10〜20倍」とされている。 この目標設定は、ムーアの法則の鈍化が指摘される現代において、性能向上の主戦場がシリコンからソフトウェアへと完全に移行したことを象徴している。

その革新を担う具体的な技術として、理研は以下を挙げている。

  • 混合精度演算: 計算の過程で、必要な精度に応じてFP64、FP32、FP16、FP8などを動的に使い分ける技術。全体の精度を損なうことなく、計算負荷の高い部分を低精度で高速化する。
  • Ozakiスキーム: GPUのテンソルコアのような低精度演算器を駆使して、高精度な行列演算を行う数値計算手法。低精度演算器の速度と電力効率を、高精度計算に活用する。
  • サロゲートモデル(代理モデル): 詳細なシミュレーションの結果を学習したAIモデル。一度学習すれば、本物のシミュレーションを大幅に短い時間で代替・予測できる。
  • PINN (Physics-Informed Neural Network): 物理法則をAIモデルの学習に組み込む技術。データだけに頼らず、物理的な妥当性を担保した高精度な予測を可能にする。

これらの技術は、計算の本質的な量を削減し、ハードウェアの性能を最大限に引き出すための鍵となる。

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「AI for Science」が加速する科学的発見の未来

富岳NEXTの究極的な目標は、計算速度の記録を更新することではなく、「AI for Science」、すなわち科学的発見のプロセスそのものを革新するプラットフォームを構築することにある。

例えば、地震シミュレーションでは、広範囲の地殻変動と局所的な地震動を統一的に扱う「マルチスケールシミュレータ」の開発が進められており、大規模地震後の余震発生確率などを高精度で予測することが期待される。 ものづくりの現場では、HPCによる高精度シミュレーションをAIが学習し、生成AIと連携して性能やコストなど複数の要件を満たす最適な設計を自動で探索する、といった応用が視野に入れられている。

仮説の生成、検証のためのシミュレーションコードの自動生成、そして物理実験の自動化まで。研究のサイクル全体をAIが支援し、加速させる。これこそが富岳NEXTが見据える未来像である。

技術主権と国際協調が生む新たな標準

富岳NEXTは、国産技術の継承と、グローバルな標準技術の導入という、二つの要素を巧みに組み合わせたプロジェクトだ。富士通が開発するCPU「MONAKA-X」で日本の技術力を維持・発展させつつ、NVIDIAのGPUとソフトウェアエコシステムを全面的に採用することで、世界中のアプリケーション資産を即座に活用し、国際競争力を確保する。

この現実的かつ戦略的な選択は、日本のHPCが新たな時代に入ったことを告げている。富岳NEXTが成功裏に稼働する時、それは単に日本の計算能力を向上させるだけでなく、AIとシミュレーションが真に融合した「AI-HPCプラットフォーム」の世界的な標準を打ち立てる可能性を秘めている。この挑戦が、日本の科学技術と産業競争力にどのような変革をもたらすか、期待を持って見届けたい。


Sources