IBMと米ラトガース大学などの研究チームが、最大100量子ビットを使い、測定とリセットを繰り返すことで、量子カオスが支配的な状態から制御可能な状態へと移る相転移を観測した。Bibek Pokharel氏、Haining Pan氏らによる論文は、2026年10月9日に査読付き学術誌『Nature Physics』に掲載された。二量子ビット操作と測定・リセットをそれぞれ約5,000回組み合わせた今回の成果は、計算の途中で量子系に介入する技術が、100量子ビット規模でも物理現象の検証に利用できることを示している。ただし、すべての量子ビットを既知の状態へ戻す制御と、未知の量子情報を守る量子誤り訂正では、達成すべき目標が異なる。

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約5,000回という数字は処理速度ではなく、回路内の操作回数

実験に使用したのは、156個の物理量子ビットを搭載したIBMのHeron r2プロセッサー「ibm_fez」だ。研究チームは、その中から直線状につながる最大100個の量子ビットを選んで実験を行った。つまり、100量子ビットという数字は実験に使用した量子ビットの数であり、新たに100量子ビットのチップを開発したわけではない。

実験では、隣接する量子ビット間で情報を混ぜ合わせる操作と、量子ビットを測定して「0」の状態へ戻す操作を、一定の確率に従って選択する回路を使用した。

ここで行う測定は、回路の実行を終えて最終結果を読み取るためのものではない。ほかの量子ビットで処理が続いている間に、一部の量子ビットを測定し、その結果に応じて次の操作を行う。研究チームが検証したのは、こうした途中段階での測定と制御を、大量の量子操作と並行して実行できるかという点だ。

公開されたプレプリントの付録IIによると、100量子ビットを使用し、制御操作を選択する確率を0.5付近に設定した回路には、約5,000回の二量子ビット操作と、約5,000回の測定に基づく条件付きリセットが含まれる。相転移が起こる臨界点付近では、100量子ビットの回路で実行する二量子ビット操作と測定・リセットの合計が約1万回に達する。

操作 100量子ビット回路での概数 操作の内容
二量子ビット操作 約5,000回 量子ビット間で情報を混ぜ合わせる操作
測定・リセット 約5,000回 測定結果に応じて量子ビットを0へ戻す一連の処理
合計 約1万回 上記2種類の操作の合計

この合計は、プレプリントの付録IIに記載された同じ条件での操作回数を足したものだ。測定とリセットは一組の処理として数えている。

単一量子ビットゲートなどを含むすべての命令を数えたものではなく、1秒当たりの演算回数を示す数字でもない。また、論理量子ビットに対する誤り訂正を5,000回成功させたという意味でもない。

回路の途中で測定を行い、その結果に応じて処理を切り替えるには、量子ゲートを順番に実行するだけの回路よりも高度な装置制御が求められる。

測定対象以外の量子ビットの状態を維持しながら、測定結果を読み取り、それに応じた操作を実行しなければならないからだ。ラトガース大学の発表でも、IBMのMaika Takita氏は、プロセッサーのほかの部分が動作を続ける中で測定を繰り返すことの難しさを強調している。

50%を境に、量子カオスと制御の優劣が逆転する

量子ビット間で情報を混ぜ合わせる操作は、回路内に量子カオスを生み出す。ここでいうカオスは、装置の故障や偶発的な計算ミスではない。量子情報が複雑に広がっていく現象を指しており、今回の実験では意図的に作り出している。

研究チームが調べたのは、こうして広がる量子情報を、測定と制御によってどこまで秩序ある状態に戻せるかという問題だ。

制御操作では、対象の量子ビットを測定し、結果が「1」だった場合に状態を反転させて「0」へ戻す。この操作を十分な頻度で行えば、量子系全体をすべて0の状態へ近づけられる。

一方、隣接する量子ビット間で情報を混ぜ合わせる操作が優勢になると、系はその単純な状態から離れていく。

この2種類の操作のどちらを選ぶかを決めるのが、制御操作の確率「p」だ。

今回の回路には、p=0.5が境目になる理由を理解するための仕組みがある。情報を混ぜ合わせる操作を行うと、次に操作する位置が一つ前へ進み、リセットを行うと一つ後ろへ戻る。

操作する位置はランダムに移動するが、pが0.5なら前進と後退の確率が等しくなり、どちらにも偏らなくなる。この均衡点が、カオス的な振る舞いが残る状態と、制御によって秩序が生まれる状態を分ける。

つまり、50%という数字は今回のモデルで制御操作を選ぶ確率を表している。量子誤り訂正の成功率や、許容できるエラー率を示すものではない。

この仕組みの背景にあるのが、古典的なカオスを表す単純な数学モデル「ベルヌーイ写像」だ。

0以上1未満の数を2倍し、その整数部分を取り除く操作を繰り返すと、初期値のわずかな違いが次第に大きくなる。そこに、数を半分にして0へ近づける制御操作を組み合わせ、両者を競合させる。

研究チームは、この仕組みを量子系に拡張し、量子ビットの回路として実装した。

相転移の有無を調べるためには、量子ビットが0と1のどちらに偏っているかを表す平均磁化などの指標を使用した。

量子ビット数を10個から100個まで変え、系の大きさによる違いを考慮してデータを整理すると、理論が予測する共通の曲線に近づくことが確認された。

単に測定結果が急激に変化したというだけでなく、量子ビット数を変えても理論に沿った振る舞いが現れるかを確かめた点が、物理実験として重要だ。

なお、pが0.5付近で起こる制御による相転移と、量子もつれの広がり方が変わる「測定誘起相転移」は別の現象だ。

公開プレプリントの理論・数値計算による相図では、測定誘起相転移はpが約0.3の位置に現れる。その段階では、量子もつれの性質が変化しても、カオス的な振る舞いは残っている。

そこからさらに制御操作の割合を増やすと、量子もつれがほとんどない制御状態へ移る。量子もつれが減少したことと、目標とする状態へ制御できたことは、同じ意味ではない。

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ノイズによる見かけの変化ではないことを、測定結果の揺らぎから検証

平均磁化が理論の予測と一致していても、それだけで量子特有の現象を確認したとは言えない。

量子系が強いノイズの影響を受け、古典的な確率過程に近い振る舞いをするようになっても、平均値だけなら似た結果が得られる可能性があるからだ。

そこで研究チームは、平均磁化に加え、測定結果によって生じる磁化の揺らぎにも注目した。

比較に用いたのは、量子状態を計算する「行列積状態」に基づくシミュレーションと、各ゲートの実行後に量子状態の位相情報が完全に失われると仮定した古典的なモデルだ。

同じ回路を繰り返し実行したときに磁化がどの程度変動するかを計算し、さらに異なる回路間で測定結果の分布を比較した。

平均値が合うかどうかだけでなく、結果のばらつき方まで再現できるかを確かめたことになる。

プレプリントの解析によると、pが0.5より小さいカオス側では、実験で得られた分布は古典的なモデルよりも量子モデルによく一致した。

これは、観測された振る舞いを、単に量子状態の位相情報がノイズによって失われた結果として説明するのは難しいことを示している。

ただし、この結論は比較対象としたモデルの範囲で得られたものだ。考えられるすべての古典的な計算手法では再現できないと証明したわけではない。

一方、制御操作の割合を増やした領域では、装置の限界も明らかになった。

理想的な計算では、磁化の揺らぎがゼロになる位置に鋭いピークが現れると予測される。しかし、実際の量子プロセッサーでは、そのようなピークは確認できなかった。

研究チームは、主な原因として装置のノイズ、特に量子ビットの読み出し誤りを挙げている。

pが0.5を超える領域ではノイズの影響が強まり、量子モデルも古典的なモデルも、実験で得られた分布を完全には再現できなかった。

また、実機で扱った量子ビット数と、古典コンピュータによるシミュレーションの規模も区別する必要がある。

プレプリントの図2では、実機実験が最大100量子ビットだったのに対し、行列積状態を使ったシミュレーションは最大40量子ビットだった。一方、一部の観測量については、統計力学モデルを使って100量子ビットまで比較している。

したがって、「100量子ビットだから古典コンピュータでは検証できない」とは言えない。

古典コンピュータでの計算がどれほど難しいかは、どの量子状態や観測結果を、どの程度の精度で再現しようとするかによって変わる。

量子誤り訂正への応用には、情報を失わずに測定する技術が必要

今回の実験で目指したのは、量子ビットを既知の「0」の状態へ戻すことだ。

これに対し、量子誤り訂正で守らなければならないのは、計算に使われている未知の量子情報である。

量子ビットを測定してすべて0へ戻せば、確かに秩序ある状態は作れる。しかし、その過程で保存すべき量子情報まで失われてしまう。

この目的の違いを理解することが、今回の成果と耐故障量子計算との関係を考えるうえで重要になる。

量子誤り訂正では、複数の物理量子ビットに情報を分散して符号化し、「論理量子ビット」を構成する。そして、保存されている量子情報を直接読み出すことなく、発生した誤りを検出するための情報を測定する。

IBMの教材でも、補助的な量子系へ誤りに関する情報を移し、その補助系を測定する方法が説明されている。

さらに、測定自体が新たな誤りを生む可能性や、量子ゲートを通じて誤りがほかの量子ビットへ広がる問題にも対処しなければならない。

今回の実験と量子誤り訂正に共通するのは、量子計算の途中で測定を行い、その結果に応じた処理を繰り返すという技術的な要素だ。

今回の研究は、論理量子ビットを保護してエラー率を引き下げたことを示すものではない。

それでも、大量の測定とフィードバックを実際の量子プロセッサー上で連携させ、物理現象の検証に使える統計データを得られたことには意味がある。量子誤り訂正にも必要となる、測定と制御を繰り返す動作を、大規模な回路で実行できたからだ。

なお、プレプリントの図2に示された結果は、測定後にノイズの影響を補正する「誤り緩和」を使わずに得られている。ただし、これは個々の量子ゲートや測定がすべて誤りなく実行されたという意味ではない。

今回の研究は、2025年9月22日にプレプリントとして公開され、2026年3月の米国物理学会(APS)での発表も掲載されていた。今回の『Nature Physics』への掲載は、これらの研究成果が査読付き学術誌で正式に公表されたことを意味する。

『Nature Physics』の公開ページからは図に使用された数値データにアクセスできる一方、実験や数値計算のデータ全体とコードについては、著者への依頼に応じて提供するとされている。

今後、このような反復的な制御技術を実用的な量子誤り訂正へ発展させるには、符号化した量子情報を維持しながら測定を続け、測定や制御そのものが生む誤りも含めて、論理エラー率を抑えられることを実証しなければならない。

約1万回という操作回数の多さを、量子情報を守りながら長時間の計算を正しく続けられる能力へとつなげられるか。そこが、今回の研究の次に問われる課題となる。