AllSpark Researchが、Webを何度もたどって答えを探す二つの検索エージェント「Iris-mini」と「Iris-pro」を公開した。35B級と397B級のオープンウェイト(open-weight)モデルで、研究チームはそれぞれの規模帯において4つの検索ベンチマークで最も強い総合結果を得たと報告している。だが、得点を押し上げたのは訓練済みの重みだけではない。長い探索で膨らんだ履歴を捨てるコンテキスト管理(context management)が、同じテストでモデル大型化を上回る差を生んだ。Irisが突きつけるのは、検索エージェントの成績をモデル単体の能力として読んでいいのか、という問題である。
「同クラス最強」の中身と、まだ公開されていないもの
Iris-miniはQwen3.6-35B-A3Bを基盤とし、総パラメータ数は35B、そのうち推論時に動くのは3Bである。Iris-proはQwen3.5-397B-A17Bを基盤に、総397B・稼働17Bパラメータを持つ。どちらもMixture of Experts(MoE)型で、文脈長は256Kトークンだ。重みはHugging FaceでApache 2.0ライセンスの下に配布されている。
2026年9月3日付のプレプリントが示した代表値は、長い履歴をいったん消す「全履歴破棄」を有効にした1問1回の試行結果である。Iris-miniはBrowseCompで82.2、BrowseComp-ZHで84.8、DeepSearchQAで86.9、Humanity’s Last Exam(HLE)で52.3を記録した。Iris-proは順に88.6、85.1、92.9、56.4だった。DeepSearchQAだけはF1、残る3つは正解率であり、HLEはテキスト問題2,158問に限った値である。
「最強」には範囲がある。miniは35B級でBrowseComp、BrowseComp-ZH、HLEの3指標を上回ったが、DeepSearchQAではXYZ-Aquila-miniの89.5に届かなかった。proは約400B級で3指標を上回り、BrowseComp-ZHではXYZ-Aquila-proと85.1で並ぶ。一方、論文の別枠に載る高計算量構成や非公開のフロンティアモデルまで含めれば、Irisが全指標の首位というわけではない。
公開の範囲も二つに割れる。GitHubには、エージェントの反復処理、検索とページ取得の二つの道具、履歴管理、4ベンチマーク、採点器をまとめたIris-Harnessがある。したがって、重みを動かせる計算環境があれば評価の仕組みは追試できる。しかしREADMEは、データ構築と学習パイプラインを「近日公開」としている。現時点で手元にあるのは訓練された登山者と計測コースであって、同じ登山者を育てる訓練施設の設計図まではそろっていない。
Webのリンクから、検索で近道できない問題を逆算する
Irisの学習法は、質問を集めるところから通常と逆向きに進む。まず答えにしたい対象を記したシードページを選び、そのページから外へ伸びるリンクをたどって局所的なWebグラフを作る。ページの全文をそのまま扱わず、対象と関係を抽出した実体グラフへ圧縮し、複数の関係を順にたどったときだけ答えへ着く問題を組み立てる。
それだけでは、固有名を検索窓へ貼れば終わる問題が混じる。そこで答え以外の実体名と別名を、対象を一意に指す説明へ書き換える。たとえば人物名を残す代わりに、別ページにある属性や関係からその人物を特定させる。文字列一致の近道を消し、複数ページの証拠をつなぐ行動そのものを訓練対象へ変える仕掛けだ。
生成した問題は二つの条件でふるいにかける。参照モデルが道具なしでは答えられず、実体グラフを証拠として与えれば正答できることだ。前者が難しさを担保し、後者が答えの一意性と解決可能性を確かめる。難しいだけの壊れた問題も、検索しなくても記憶で解ける問題も落ちる。
次に強い教師モデルが、推論、検索、ページ取得、観察を交互に続けるReAct形式で解答経路を作る。Irisは正答した経路を無条件には学ばない。最終答えの正しさに加え、同じ文や検索を繰り返すループ、終わらない思考、同一引数の連続呼び出し、検索の浅さを検査する。さらに各ターンを判定器がKEEPかMASKへ分け、局所的に悪いターンを学習損失から外す。MASKは1経路の最大10%で、前後の履歴からは消さない。成功例の中に混ざった悪手だけを薄くする設計である。
SFTとRLを交互に登らせ、長い探索を途中から継ぐ
教師あり微調整を一度行い、その後に強化学習を一度足して終わる構成ではない。Irisは教師あり微調整(SFT)とライブ検索上の強化学習(RL)を交互に回す。研究チームはこの手順をSFT–RLクライミング(SFT–RL climbing)と呼ぶ。RLが現在のモデルには珍しい成功経路を見つけ、SFTがその経路を次のモデルへ直接焼き付ける。
次のSFTへ戻すのは、何度試しても簡単に解ける問題ではない。RLの試行群で正解率が0を超え、なお1/2以下にとどまる問題を選ぶ。一定数以上の道具呼び出しを含む成功経路のうち、最も短いものだけを残すため、偶然の一発正解と無駄に長い探索を避けながら、モデルの現在地に合わせて難度を上げられる。固定データを何周もするより、モデル自身が辛うじて見つけた登り方を次の授業へ持ち帰る。
長い探索を使うRLには、計算機を遊ばせる別の問題がある。大半の試行が終わっても、一部の長い試行が残れば同期した学習段階全体が待たされる。Irisは残った要求を途中で止め、完了済みの接頭辞を保存し、次の段階でそこから再開する。別の重み世代で作った接頭辞と続きを接ぐため、打ち切り重要度サンプリングでずれを補正する。未完了の長い経路を丸ごと捨てず、約2倍の過剰サンプリングを余裕として計算資源を回す方法である。
報酬判定と取得ページの要約には、学習クラスター内で動くQwen3.5-397B-A17Bを使う。外部APIへの依存は避けられるが、検索モデルだけで学習が閉じるわけではない。大きな判定・要約モデル、ライブ検索、RL基盤までを一つの訓練系として運用して初めて成立する。Iris-miniの稼働3Bという数字だけから、訓練費用や再現の容易さを推し量ることはできない。
モデルより大きく動いた「履歴の捨て方」
評価時の全履歴破棄(discard-all)は、実行中の文脈が所定の閾値へ達すると、蓄積した道具の履歴を消して元の質問から探索を続ける方式である。失敗後の再試行は、調べたことと除外したことを短いメモへ圧縮し、次の探索へ渡す。どちらもモデルの重みを変えない。変わるのは、探索へ使える実質的な長さと試行回数だ。
論文の表2は、Iris内で検索・取得の道具、256Kトークンの上限、判定器、最大ターン数をそろえ、履歴管理だけを変えた値を載せている。Iris-miniのBrowseCompは管理なしで64.7、全履歴破棄で82.2となり、差は17.5ポイントである。一方、管理なしのままminiからproへ替えた差は、64.7から72.6への7.9ポイントだった。
BrowseCompでは、Iris-miniに全履歴破棄を加えた17.5ポイントの増加は、管理なしでminiからproへ大型化した7.9ポイントの差の約2.2倍だった。
約2.2倍は、17.5を7.9で割った値を小数第2位で丸めたものだ。同じBrowseComp、1問1回、同じ道具と判定手順の3セルを使っている。ただし、7.9ポイントをパラメータ数だけの因果効果とは呼べない。miniとproは規模に加えて基盤モデルも異なり、スコア差を推論費用や実務の調査品質へ換算することもできない。それでも、82.2を「35Bモデルの能力」とだけ表記するには、外側の仕組みが大きすぎることは分かる。
全履歴破棄と再試行を組み合わせれば、miniは85.9、proは90.3まで上がる。だが再試行には別の完全な検索が必要で、計算量も増える。研究チーム自身がこれを到達可能な上限を探る構成と位置づけ、代表表には再試行なしの全履歴破棄を採用した。高い数字を選べることと、比較に適した数字を選ぶことは同じではない。
四つの数字を同じ物差しだと思わない
履歴管理の効果は課題によって大きく違う。Iris-miniに全履歴破棄と再試行を加えた改善は、BrowseCompで最大21.2ポイントに達した。BrowseComp-ZH、HLE、DeepSearchQAでも改善したが、伸びはBrowseCompより小さい。得点の低い課題ほど履歴管理が効く、という単純な関係ではなく、管理なしで最も低得点だったHLEでも増加幅はBrowseCompの半分に届かなかった。
違いは各ベンチマークが何を測るかにある。BrowseCompは、間接的で相互に制約する手掛かりから長尾の対象を探し当て、短い答えを返させる。探索が長引きやすく、履歴が256Kトークンを食い尽くせば、文脈長が行動の上限になる。DeepSearchQAは必要な項目を網羅して回収する能力をF1で測り、HLEは検索だけでは代替できない専門知識と推論を強く求める。履歴を捨てて探索時間を延ばしても、知識や推論の不足までは埋まらない。
BrowseComp-ZHでは別の天井も見える。289問のうち、miniの全履歴破棄+再試行、proの全履歴破棄、proの全履歴破棄+再試行は、いずれも246問正解の85.1へ収束した。論文はモデル容量以外の制約を示す可能性を指摘し、付録で公式正解が「Lannister」、エージェントの回答が「Bolton」とされた1問を検証している。作中の2度目の結婚相手をたどると後者が根拠に合う、という主張だ。ただし示されたのは1例であり、289問全体のラベル誤り率は分からない。
評価は単一のReActエージェント、補助エージェントなし、テスト時の追加検証なし、1問1回で行われた。ベンチマーク配布ページは検索結果から除外し、ページ取得でも拒み、既知URLを直接出した場合も事後検査で止めたという。透明性は高い。とはいえ、他モデルの比較値には各チームが異なる履歴管理で報告した数字が混ざる。Iris内部の条件比較は比較しやすくても、横一列の順位表が純粋なモデル重みの競争になるわけではない。
再現できるのは「評価」、まだ再現できないのは「訓練」
第三者が今すぐ確かめられるのは、公開重みをIris-Harnessへ接続し、同じ二つの道具、履歴管理、ベンチマーク、採点器で走らせるところまでだ。それでもライブWebは動き続ける。検索インデックス、取得時点、要約器と判定器、推論予算を記録しなければ、同じ設定ファイルでも同じ証拠へ着くとは限らない。再現実験には、固定したWebスナップショットで重みとハーネスを比べる試験と、ライブWebで現実の揺れを含めて比べる試験の両方が要る。
さらに、学習結果の再現には欠けた部品が多い。訓練問題の総数、元のWebコーパス、SFTとRLの各ラウンド規模、総計算量、報酬判定器と要約器の具体的な指示、データ生成・学習コードは公表されていない。検索用の合成データと特化モデルが一般的な道具利用やオフィス作業にも良い影響を与えたという報告もあるが、プレプリントは初期観察として述べるだけで、詳細な数値を載せていない。検索が汎用的な基礎能力だという解釈は、まだ仮説である。
Irisは、検索エージェントの評価単位を重みからシステムへ広げた。次の試金石は、データ構築と学習パイプラインの公開後に、別のチームが同じ訓練手順を再現し、推論コストと引用の完全性まで含む実務的な課題で効果を確かめられるかどうかだ。その条件がそろえば、Irisが示したのは一度きりの高得点ではなく、検索能力を作り直せる工程だったと判断できる。


