Anthropicの共同創業者であるJack Clark氏は2026年10月12日、AIが自ら後継モデルを開発し、その改善を繰り返す「再帰的自己改善(Recursive Self-Improvement:RSI)」が可能になる時期について、従来の2028年から2027年へ予測を前倒しした。その判断材料の一つとなったのが、AIによる研究実験の選択と結果の解釈を評価した研究「TasteVal」だ。この研究では、AIが限られた計算資源を使って効率的に実験を進める能力が急速に向上している一方、最終的に達成する性能の伸びは比較的緩やかであることが示された。実験を効率よく進める能力と、新たな技術を発明し、研究開発全体を自律的に遂行する能力は同じではない。Clark氏が予測する2027年の実現可能性を考えるには、今回確認された進歩と、依然として残る課題を区別する必要がある。
Anthropic共同創業者が再帰的自己改善の予測を1年前倒しした理由
Clark氏は2026年5月4日公開のニュースレター「Import AI 455」で、AIが人間の助けを借りずに後継モデルを開発できるほど高度になる可能性について、2028年末までに60%以上と予測していた。しかし、10月12日公開の「Import AI 476」では、完全な再帰的自己改善が可能になるのは2028年よりも2027年のほうがありそうだと見方を改めた。新たな確率は示しておらず、あくまで同氏個人の予測であり、Anthropicが製品の開発日程や技術的な達成目標を発表したわけではない。
Clark氏は5月の時点から、既存の技術を段階的に改善する工学的な進歩と、新たな方法を生み出す創造的な研究を区別していた。既存の手法を改良し続けるだけでもAIの能力は高まるが、そこに新しい発明が加われば、改善の速度はさらに上がるという考えだ。10月の予測変更では、数学分野でAIが創造性を発揮しているように見える成果に加え、研究能力を評価するベンチマーク「TasteVal」の結果を根拠として挙げている。ただし、数学分野について具体的な成果名は示していない。
TasteValを開発したのは、P-Zero ResearchのOliver Jaffe氏とDane Sherburn氏だ。2026年10月5日に公開されたプレプリント「arXiv:2610.06824v1」では、AIが研究課題に対して有望な実験を選び、その結果を解釈する能力を検証している。研究では、こうした判断力を研究者の「センス(Taste)」として捉えている。ただし、評価対象は与えられた課題について何を試すべきかを判断する能力であり、研究テーマそのものを自律的に発見する能力ではない。この違いは、実験の効率化をAI研究全体の自律化と結び付けて考えるうえで重要になる。
実験効率は3カ月で倍増、最終性能の伸びとは大きな差
TasteValでは、2023〜2026年に公開された20種類のAIモデルを、8つのAI研究課題で比較した。各モデルには次に試す実験の選択と結果の解釈を担当させ、コードの作成や実験の実行は共通のAIモデル「Opus 4.8」(推論設定high)に任せている。実験の実装を担当するAIを統一することで、実装能力ではなく、研究方針を決める側の判断力の違いを評価する設計だ。
各試行にはNVIDIA H100 GPUを1基割り当て、40 GPU時間または実時間120時間という上限を設けた。比較対象として24人の人間も参加し、各課題には少なくとも2人が取り組んでいる。人間にもAIモデルと同じ実装支援環境と計算予算が与えられ、各課題で最も成績のよかった人間の試行を比較基準とした。したがって、AIが比較されたのは24人の平均成績ではなく、課題ごとに選ばれた人間の最良成績である。
論文の第2.5節、第3.1節および表2では、研究能力の進歩を「計算効率」と「最終性能」という2つの指標で評価している。計算効率は、同じ成果に到達するまでに必要な実験の計算量を比較するもので、2025年12月以降に公開されたモデルでは約3.0カ月ごとに倍増する傾向が見られた。一方、予算を使い終えた時点での最終性能は、2023〜2026年を通じて約14.6カ月ごとに倍増する傾向で、有意な加速の転換点は確認されていない。両者は測定対象だけでなく、倍増期間を推定したモデルの公開時期も異なる。
| 指標 | 評価する内容 | Opus 5.5 maxの結果[95%信頼区間] | 推定倍増期間[95%信頼区間] |
|---|---|---|---|
| 計算倍率 | 同じスコアに到達するまでに必要な実験の計算量を、人間の専門家基準と比較 | 2.30倍[1.15〜4.37] | 2025年12月以降は3.0カ月[1.7〜5.0カ月]。それ以前は14.0カ月 |
| 性能倍率 | 素朴な基準を0、人間の専門家基準を1として正規化した最終スコアを比較 | 1.14倍[1.01〜1.31] | 2023〜2026年では14.6カ月[8.4〜29.8カ月]。有意な加速の転換点は確認されず |
計算倍率を単純化すると、人間が40 GPU時間をかけて到達するスコアにAIが20 GPU時間で到達した場合、計算倍率は2倍となる。実際の評価では、比較する双方のうち成績が低い側の最終スコアを基準に計算量を比較し、異なるモデル世代間の比較結果を連鎖させている。さらに、乱数シードと研究課題にわたる幾何平均を使用しているため、表の2.30倍という数字をGPUの演算性能や研究開発費用がそのまま2.30倍改善したという意味に解釈することはできない。
また、Opus 5.5とFable 5.1は8課題のうち1課題への取り組みを拒否しており、論文ではこれを失敗ではなく欠測として扱っている。すべてのモデルと人間の評価対象を共通の7課題にそろえて再計算すると、Opus 5.5 maxの計算倍率は2.25倍、95%信頼区間は1.16〜4.29となった。全体的な傾向は大きく変わらないものの、2.30倍という値は8課題すべてを完了した結果ではない点に注意が必要だ。
特に重要なのは、3.0カ月という倍増期間が、公開時期の異なるAIモデルを比較して推定されたことだ。1つのAIモデルが稼働しながら自分自身を改良し、3カ月後に実験効率を2倍にしたわけではない。観測されたのは、異なる世代のモデルを比較したとき、同じ研究成果に到達するまでの計算効率が急速に改善しているという傾向である。その進歩を、そのまま再帰的自己改善の実証とみなすことはできない。
研究では、実験にかかる費用にも大きな違いが見られた。1試行当たりの平均費用はOpus 5.5が282ドル、人間が9,123ドルだった。ただし、この計算には各役割で利用したAIのAPI料金、GPU利用料として1時間当たり2.5ドル、人間の作業費用として1時間当たり119ドルが含まれている。人件費を含む特定条件での比較であり、AI研究所全体の開発費用が同じ割合で削減できることを示したものではない。
540件の研究成果から「発明」は確認されず
AIによる研究の自律化を考えるうえで、もう一つ重要なのが、新しい技術を生み出す能力だ。TasteValの著者らは18種類のモデルについて、それぞれ30件、合計540件の正式な提出結果を分析した。しかし、独自の新しい構造要素を含む「発明」に分類されたものは1件も見つからなかった。
この分類には、文献検索ツールを利用できる「Fable 5.0」を使用し、最大100ターンの処理を認めている。研究成果を「調整」「組合せ」「改変」「発明」の4種類に分類し、既存文献に見られない構造的な要素を含むものを発明と判断する方法だ。ただし、文献調査と分類の判断自体をAIが担っているため、結果はこの評価方法の範囲内で解釈する必要がある。
注目すべきは、人間の研究者による正式な提出結果についても、発明に分類されたものがなかった点だ。さらに著者らは、成績上位10%の試行で提案された約1,600件の実験について、失敗したものや却下されたものも含めて調査したが、発明に該当するものは確認できなかった。したがって、この結果はAIだけに発明能力が欠けていることを示したものではない。今回の研究課題と分類方法では、人間もAIも新しい構造要素の発明によって成果を上げたとは認定されなかったということだ。
この結果は、Clark氏が予測する再帰的自己改善を評価するうえでも重要になる。既存の技術を調整し、複数の手法を組み合わせ、改良する能力が向上すれば、それだけでも研究開発を加速できる可能性がある。しかし、そうした進歩を新しい発明が可能になった証拠として扱うことはできない。一方、今回の評価で発明が確認されなかったからといって、AIに創造性がないと一般化することも適切ではない。
TasteValの著者らが公開した研究概要では、比較対象となった人間に世界最高水準の研究者が含まれていないことも明記されている。また、研究課題はあらかじめ固定されており、実験もH100 GPUを1基使用する小規模なものに限られている。比較的短期間で結果が得られ、結果のばらつきが小さい実験環境で確認された進歩が、長期間にわたる研究や大規模なAIモデルの訓練でも同様に見られるとは限らない。さらに、学習データへの混入を防ぐために評価課題は非公開とされており、公開された論文だけでは完全な追試を行えない。これらの制約を踏まえると、TasteValの結果だけでAIが世界最高水準の研究者を超えたと判断することはできない。
AIが後継モデルを自律開発するには何が必要か
AIによる研究開発の自動化は、すでに実際の研究現場でも進みつつある。Anthropicが2026年8月時点の社内研究開発について公表した調査では、人間が大まかな指示を与えた後、AIが作業の大部分を進め、人間が監督する「AI主導」の仕事が26%に達していた。また、AIと人間が協働する段階以上の仕事は90%を超えている。一方、調査対象となった研究開発領域のいずれにおいても、完全に自律化された運用は確認されていない。
ただし、26%という数字は、研究者の人数やAIが担当した労働時間の割合ではない。調査では、重みづけした仕事を分類することでAIの関与度を評価している。また、Anthropicは自社のAIモデルを使用して評価しており、業界全体で共通する測定方法が確立されているわけでもない。それでも、人間が細かな実装まで指示する仕事と、大まかな方針だけを与えてAIに進めさせる仕事を区別した点は、研究開発のどこまでをAIに任せられるようになったのかを考えるうえで参考になる。
TasteValが示したのは、与えられた研究課題に対して次に試すべき実験を選び、その結果を解釈する能力の向上だ。こうした能力は、AIが研究開発のより多くの作業を主導するための重要な要素となる。しかし、実験の選択と解釈ができることと、研究テーマを自ら発見し、長期的な計画を立て、大規模な訓練を実行して後継モデルを完成させることの間には、依然として大きな隔たりがある。特に、研究結果の妥当性を誰が判断するのか、実験が行き詰まった際に誰が方針を変更するのかといった点では、人間の監督がどの程度必要なのかを検証しなければならない。
Clark氏が予測する2027年の再帰的自己改善が現実のものとなるかを判断するには、実験効率の向上だけでは不十分だ。AIが研究テーマを自律的に選択し、小規模な実験で得られた成果を大規模なモデル訓練でも再現できること、さらに人間の監督や介入を減らしながら、性能が改善された後継モデルを開発できることが重要になる。
今回のTasteValは、AIが研究実験を効率よく進める能力について急速な進歩を捉えた一方、新しい発明や研究開発全体の自律化まで実証したわけではない。今後は、単独の実験でどれだけ優れた成果を出せるかだけでなく、研究計画の立案から後継モデルの完成まで、AIが人間の判断をどこまで代替できるかが焦点となる。



