NVIDIAは、、同社の次なる大きな賭けとしてクラウド連携型ヒューマノイドロボット開発への本格的な取り組みを鮮明に打ち出した。台湾で開催されたComputex 2025で発表されたのは、ヒューマノイドの「頭脳」と「身体能力」を飛躍的に向上させる新たな基盤モデル「Isaac GR00T N1.5」と、革新的な合成データ生成ブループリント「Isaac GR00T-Dreams」である。これらは、ロボット開発における長年の課題であった高品質な訓練データの不足を解消し、より賢く、より適応能力の高いヒューマノイドの実現を加速させる可能性を秘めている。NVIDIAはこれらのソフトウェアプラットフォームに加え、最新のBlackwellシステムを含む強力なハードウェア基盤も提供し、ロボット開発のあらゆる段階を包括的にサポートする姿勢を明確にしている。
NVIDIAが描く「物理AI」の未来とComputexでの発表
NVIDIAのCEOであるJensen Huang氏は、Computexの基調講演で「物理AIとロボティクスは次の産業革命をもたらすだろう」と力強く宣言した。NVIDIAは、AIチップ市場での圧倒的な成功を背景に、そのAI技術を実世界の物理的なインタラクションへと拡張しようとしている。その中核を担うのが、ヒューマノイドロボット開発プラットフォーム「NVIDIA Isaac」だ。
今回のComputexでは、このIsaacプラットフォームにおける重要なアップデートが複数発表された。
- Isaac GR00T N1.5: ヒューマノイドの推論とスキル習得のための、オープンで汎用的な完全カスタマイズ可能な基盤モデルの最新版。
- Isaac GR00T-Dreams: 合成された動作データを生成するためのブループリント。これにより、ロボットに新たな行動や環境適応能力を教え込むための訓練データを作成できる。
- Blackwellシステム: ヒューマノイドロボット開発を加速するための最新GPUアーキテクチャ「Blackwell」を搭載したワークステーションやサーバー。
これらの発表は、NVIDIAがヒューマノイドロボット開発のエコシステム全体を強力に推進していくという強い意志の表れと言える。
核となる進化:Isaac GR00T N1.5とデータ生成の革新「GR00T-Dreams」
今回の発表で特に注目すべきは、ヒューマノイドロボットの知能と運動能力を向上させるための基盤モデル「GR00T(Generalist Robot 00 Technology)」の進化だ。3月に発表された「GR00T N1.0」は、ロボットの推論と行動を訓練するための「Mimic」コンポーネントを特徴としていた。
そして今回、新たに「GR00T N1.5」へとアップデートされ、新コンポーネント「Dreams」が追加された。この「Dreams」こそが、ヒューマノイド開発における大きなブレークスルーとなる可能性を秘めている。
「GR00T-Dreams」とは何か?合成データ生成のブレークスルー
「GR00T-Dreams」は、物理AI開発者がロボットに新しい運動スキルを教え込み、変化する環境に適応させるために使用できる、膨大な量の合成モーションデータ(ニューラル軌道)を生成するための設計図(ブループリント)だ。
この仕組みは、まず開発者が自身のロボット用にNVIDIAの「Cosmos Predict」ワールド基盤モデル(WFM)を事後訓練(post-train)することから始まる。その後、GR00T-Dreamsは、たった1枚の画像を入力とするだけで、ロボットが新しい環境で新しいタスクを実行するビデオを生成する。驚くべきことに、この生成されたビデオから「アクショントークン」と呼ばれる、ロボットのニューラルネットワークが容易に処理できる圧縮されたデータ断片が抽出される。これらのアクショントークンが、ロボットに新しい動作を実行する方法を教える訓練データとなる。
NVIDIAのAI担当ディレクターであり著名な科学者でもあるJim Fan氏は、「GR00T Dreamsは、高度なビデオ生成モデルをヒューマノイドロボット開発に応用する方法を見つけたもの」と説明する。「これにより、原理的には無限の『夢のビデオ』を生成し、実際のロボットデータのデータセットを拡張できます。実機でのデータ収集は時間とコストがかかる物理的な制約がありますが、GR00T Dreamsによってこの制約を打ち破り、前例のない規模でデータを増やすことができるのです」と、その革新性を強調している。
この「GR00T-Dreams」は、既存データを拡張する「Isaac GR00T-Mimic」ブループリント(OmniverseとCosmosプラットフォームを利用)を補完するもので、「GR00T-Dreams」はCosmosプラットフォームを使って完全に新しいデータを生成する点に違いがある。
GR00T N1.5がもたらす具体的な進歩と開発効率
「GR00T-Dreams」ブループリントを活用することで、NVIDIA Researchは「GR00T N1.5」の開発に必要な合成訓練データを、わずか36時間で生成したという。これは、従来の手法で人間が手作業でデータを収集した場合、約3ヶ月かかるとされる作業であり、開発効率の大幅な向上が見て取れる。
このGR00T N1.5は、前バージョンのN1と比較して、新しい環境や作業スペースの構成により良く適応し、ユーザーの指示を通じて物体を認識する能力が向上している。これにより、物体の仕分けや片付けといった、一般的なマテリアルハンドリングや製造タスクにおける成功率が大幅に改善されたとのことだ。将来的には、今年後半に登場予定の「Jetson Thor」プラットフォームへの展開も予定されている。
この合成データ生成技術の進化は、ロボット開発における「鶏が先か卵が先か」という長年の課題、すなわち「賢いロボットを作るには大量のデータが必要だが、そのデータを集めるには賢いロボットが必要」というジレンマを打ち破る鍵になりそうだ。
加速するエコシステム:Isaacプラットフォームを採用する企業たち
NVIDIAのIsaacプラットフォーム技術は、すでに多くのロボットメーカーに採用され始めている。
GR00T Nモデルの早期導入企業としては、AeiRobot、Foxlink、Lightwheel、NEURA Roboticsなどが挙げられる。
- AeiRobotは、同社のロボット「ALICE4」が自然言語の指示を理解し、産業環境で複雑なピックアンドプレース作業を実行できるようにするためにGR00T Nモデルを採用している。
- Foxlink Groupは、産業用ロボットマニピュレーターの柔軟性と効率を向上させるために活用している。
- Lightwheelは、工場でのヒューマノイドロボットの迅速な展開のために合成データを検証している。
- NEURA Roboticsは、家庭用自動化システムの開発を加速するために評価を進めている。
さらに、Agility Robotics、Boston Dynamics、Fourier、Foxconn、Galbot、Mentee Robotics、General Robotics、Skild AI、XPENG Roboticsといった名だたる企業も、NVIDIA Isaac SimやIsaac Labを用いたシミュレーションや訓練に取り組んでいる。これは、NVIDIAのプラットフォームが、業界標準としての地位を確立しつつあることを示唆していると言えるだろう。
シミュレーションと学習環境のオープン化:開発のハードルを下げるNVIDIAの戦略
高度なスキルを持つヒューマノイドロボットの開発には、膨大で多様なデータが必要であり、その収集と処理には多大なコストと時間がかかる。また、実世界でのテストはコストやリスクを伴う。このギャップを埋めるために、NVIDIAはシミュレーション技術にも注力している。
- NVIDIA Cosmos Reason: 思考連鎖(chain-of-thought)推論を用いて、物理AIモデル訓練用の正確で高品質な合成データをキュレートする新しいWFM。Hugging Faceで利用可能。
- Cosmos Predict 2: GR00T-Dreamsで使用され、高品質なワールド生成とハルシネーション(誤情報生成)の低減のためのパフォーマンス強化が施されている。近日中にHugging Faceで公開予定。
- NVIDIA Isaac GR00T-Mimic: 少数の人間のデモンストレーションから、ロボット操作用の膨大な量の合成モーショントラジェクトリを生成するブループリント。
- Open-Source Physical AI Dataset: GR00T Nモデルの開発に使用された24,000件の高品質なヒューマノイドロボットモーショントラジェクトリを含むデータセット。
- NVIDIA Isaac Sim™ 5.0: シミュレーションと合成データ生成フレームワーク。GitHubでオープンソースとして公開予定。
- NVIDIA Isaac Lab 2.2: オープンソースのロボット学習フレームワーク。開発者がGR00T Nモデルをテストするための新しい評価環境をサポート予定。
FoxconnやFoxlinkは、GR00T-Mimicブループリントをロボット訓練パイプラインの加速に活用している。このように、シミュレーション環境やデータセットをオープン化していく戦略は、より多くの開発者がヒューマノイドロボット開発に参入するハードルを下げ、イノベーションを加速させる。
すべてを支える強力なコンピューティング基盤
これらの高度なAIモデルの開発と実行には、膨大な計算能力が不可欠だ。NVIDIAは、この点もカバーする。
グローバルシステムメーカー各社は、訓練、合成データ生成、ロボット学習、シミュレーションといったあらゆるロボット開発ワークロードを単一アーキテクチャで容易に実行できる「NVIDIA RTX PRO™ 6000」搭載のワークステーションやサーバーを構築している。Cisco、Dell Technologies、Hewlett Packard Enterprise、Lenovo、SupermicroなどがRTX PRO搭載サーバーを、Dell Technologies、HPI、LenovoがRTX PRO 6000 Blackwell搭載ワークステーションを発表した。
さらに大規模な計算処理が必要な場合は、GB200 NVL72のようなNVIDIA Blackwellシステム(NVIDIA DGX™ CloudやNVIDIA Cloud Partners経由で利用可能)を活用することで、データ処理性能を最大18倍向上させることができる。そして、開発されたロボット基盤モデルは、近日登場予定の「NVIDIA Jetson Thor」プラットフォームにデプロイされ、ロボット上での高速な推論とランタイムパフォーマンスを実現する。
Jim Fan氏が指摘するように、NVIDIAのロボティクス戦略は「3つのコンピュータ問題」を中心に展開されている。シミュレーションとデータ生成を行う「OVXコンピュータ」、基盤モデルを訓練する「DGXコンピュータ」、そしてヒューマノイドロボットのようなエッジデバイスで実行する「HXコンピュータ(Jetsonなど)」だ。GR00Tは、この3つのコンピュータが連携する物理AIワークフローの具現化と言える。
NVIDIAの戦略が意味するもの
NVIDIAが今回発表した一連の技術は、ヒューマノイドロボット開発のゲームチェンジャーとなる可能性を秘めている。特に、GR00T-Dreamsによる高品質な合成データ生成は、これまで開発の大きなボトルネックとなっていたデータ収集の問題を劇的に改善する可能性がある。これにより、より多様な状況に対応できる、より汎用的な能力を持ったヒューマノイドロボットの登場が早まることが期待される。
もちろん、実世界の複雑さや予測不可能性を完全にシミュレーションで再現することは困難であり、合成データだけに頼ることの限界も指摘されるであろう。しかし、NVIDIAが示すように、実データと合成データを組み合わせ、シミュレーションと実機テストを効果的に連携させることで、開発サイクルは飛躍的に加速する。
NVIDIAの戦略は、単に個々の技術を提供するだけでなく、ハードウェア、ソフトウェア、シミュレーション環境、そして学習済みモデルまでを含む包括的なプラットフォームを構築し、ロボット開発のエコシステム全体をリードしようという野心的なものだ。これは、同社がGPU市場で築き上げた成功モデルを、物理AIという新たなフロンティアで再現しようとしているようにも見える。
我々は、まさにSFの世界で描かれてきたような、人間と共存し、人間の作業を助けるヒューマノイドロボットが現実のものとなる、その入り口に立っているのかもしれない。NVIDIAの取り組みが、その未来をどれだけ早く、そしてどのような形で実現するのか。期待とともに、その動向を注意深く見守っていく必要があるだろう。
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