2026年3月、中東で激化する米国・イスラエル対イランの軍事衝突が、意外な経路から半導体産業を直撃している。世界のヘリウム供給の約3分の1を担うQatarEnergyが、ラス・ラファン工業団地でのLNG生産を停止。Force Majeure(不可抗力条項)を宣言し、出荷を全面的に凍結した。ヘリウムはLNG精製の副産物として回収されるため、LNG生産が止まればヘリウムも止まる。この単純な連鎖が、世界の半導体製造ラインに深刻な影を落とし始めている。
ヘリウムという「見えないボトルネック」
半導体の製造工程において、ヘリウムは代替の効かない存在だ。ウェハーの冷却、チャンバー内の残留ガス除去、リソグラフィ工程での回路パターン転写——いずれも高純度ヘリウムなしには成立しない。ナノメートル単位の回路を刻む先端プロセスでは、99.9999%(6N)純度のヘリウムが求められる。米国半導体工業会(SIA)は2023年の段階で、ヘリウム供給が途絶した場合「世界の半導体製造産業にショックが走る」と警告していた。
その供給構造が、今まさに試されている。米国地質調査所(USGS)のデータによれば、Qatarは2025年に約6,300万立方メートルのヘリウムを生産し、世界全体の生産量約1億9,000万立方メートルの約33%を占めた。カタル以外で最大の生産者はExxon Mobilだが、その規模でカタル分を即座に補う余力はない。
市場調査会社IndexBoxのCEO、Aleksandr Romanenko氏は「供給途絶が続けば、世界のヘリウム市場は毎月約520万立方メートルの欠損を抱える計算になる」と指摘する。これは年間ベースで世界供給量の3割超に相当する規模である。
ラス・ラファン停止から9日:復旧のめどは立たず
事態の始まりは3月2日、イランの無人攻撃機がカタルのラス・ラファン工業団地を攻撃したことだった。QatarEnergyは即座にLNG全面生産停止を決定し、3月4日にはForce Majeureを宣言。CEOのSaad Sherida Al-Kaabi氏は英Financial Times紙に対し、紛争が完全に終結するまで生産を再開しない方針を明示した。仮に紛争が即日終結したとしても、「正常化には数週間から数カ月を要する」という。
ヘリウムコンサルタントのPhil Kornbluth氏(Kornbluth Helium Consulting代表)の見立てはさらに厳しい。3月4日のgasworld主催ウェビナーで同氏は、操業停止が2週間を超えた場合、産業ガス流通企業は極低温輸送機器の再配置やサプライヤー関係の再検証を余儀なくされ、カタルの生産が再開されてもヘリウム供給網の正常化には追加で最低2カ月を要するとの見解を示した。最も楽観的なシナリオでも「ヘリウム生産停止が最低2~3カ月」、供給網全体の正常復帰までは「4~6カ月」を覚悟すべきだという。
ここで見落としてはならないのが、ヘリウムの物理的特性から来る時間的制約である。ヘリウムは液化して世界中に船舶輸送されるが、輸送中にも気化(ボイルオフ)が進む。ヘリウム開発企業AvantiのCEO、Chris Bakker氏は「液化したヘリウムは約45日以内にエンドユーザーに届ける必要がある」と説明する。つまり、備蓄には本質的な限界があるのだ。
ISOコンテナという「もう一つの不足」
供給途絶はヘリウムそのものだけの問題ではない。ガス業界コンサルタントのRichard Brook氏(Garrison Ventures CEO)が指摘するのは、輸送コンテナの物流崩壊である。
世界のヘリウム供給の約3分の1はカタルからISOコンテナに充填されて各地に出荷されている。ホルムズ海峡が封鎖された現在、ラス・ラファンで生産停止前に充填済みのコンテナを域外に搬出するだけでも、陸路での代替輸送ルートを一から構築しなければならない。そしていずれ紛争が沈静化した後には、世界中に分散したコンテナをカタルに戻す逆方向の物流も組み直す必要がある。Brookはこの混乱を「想像以上に破壊的なものになる」と述べた。
ヘリウム市場にはもう一つ構造的な脆弱性がある。大半の取引は長期契約ベースで行われており、透明なスポット市場が存在しない。価格シグナルが市場に伝わるまでに時間差が生じるため、供給が逼迫しても表面上は静穏に見えるケースがある。だが今回は状況が異なる。AKAP EnergyのCEO、Anish Kapadia氏は「スポット価格で既に約50%の上昇が確認されている」と語り、「供給途絶が長引けば、過去の供給不足時につけた1,000立方フィート当たり2,000ドル超のピークを再び試す可能性がある」と警告する。IndexBoxのRomanenkoはより段階的な予測を示し、30日間の途絶で10~20%、60~90日の停止で25~50%の価格上昇を想定している。
韓国半導体産業、最も深い震源地
ヘリウム供給危機が世界的な懸念であるのは間違いないが、中でも韓国の半導体産業が受ける衝撃は際立っている。韓国国際貿易協会のデータによれば、2025年の韓国のヘリウム輸入総額は2億2,690万ドルに達し、そのうち64.7%にあたる1億4,684万ドル相当がカタルからの輸入であった。半導体製造工程に使われる高純度ヘリウムに限れば、カタル産の比率は80%近くに達するとの業界推定もある。
韓国産業通商資源部は、中東に高い依存度を持つ半導体関連素材・機器14品目の需給調査に着手した。ヘリウムに加え、もう一つの懸念材料として浮上しているのがブロム(臭素)である。ブロムは半導体のエッチング工程で使用され、高純度臭化水素(HBr)はDRAMおよびNANDフラッシュの製造に欠かせない。韓国のブロム輸入の97.5%はイスラエルからであり、紛争当事国への依存という点で二重のリスクを抱えている。
Samsung ElectronicsとSK hynixは、事態の推移を注視しながら対応を進めている。SK hynixは供給先の多角化と十分な在庫確保をすでに完了していると発表した。TSMCもラス・ラファン停止による「顕著な影響は現時点で想定していない」としつつ、状況を監視中であることを認めている。日本最大のヘリウム供給企業である岩谷産業は、米国からの調達と日米両国での備蓄により、半導体メーカーを含む顧客への安定供給を維持していると述べた。
エネルギー価格高騰が生む「第二の波」
ヘリウム供給途絶と並行して進むのが、エネルギー価格の高騰が半導体需要に与える間接的な打撃である。中東紛争の激化でブレント原油は一時100ドルを突破し、韓国市場では場中111ドルまで急騰する場面もあった。
半導体工場はクリーンルームや冷却設備を24時間稼働させるため、エネルギー価格に対して構造的に敏感である。だが、より深刻な影響経路はAIデータセンター需要の減退リスクにある。Microsoft、Amazonに代表されるハイパースケーラーが急速に建設を進めるAIデータセンターは、通常のデータセンターと比較して3~5倍のエネルギーを消費する。Morningstarのアナリスト、Jing Jie Yu氏は「エネルギーコストの上昇がハイパースケーラーの総保有コスト(TCO)を大幅に押し上げ、AI基盤投資そのものの減速につながりかねない」と分析する。
AI投資の減速は、メモリチップ需要の後退に直結する。SamsungとSK hynixはAI向けHBM(高帯域幅メモリ)の年間契約を確保済みだが、契約外の汎用DRAM市場では価格下落と需要減のリスクが高まる。Counterpoint ResearchのMS Hwangリサーチディレクターによれば、データセンターの運営費の約50%が電力コストで、そのうち約半分がメモリの駆動に充てられている。メモリ価格と電力コストが同時に上昇すれば、データセンター事業者は設備投資の抑制に動く可能性が高い。
2022年の教訓と、変わらなかった供給構造
ヘリウム供給危機は今回が初めてではない。2022年、ロシアのウクライナ侵攻を受けて半導体製造に使われるヘリウムとネオンが供給不足に陥った「ヘリウムショートエイジ4.0」は記憶に新しい。あの教訓を受けて韓国政府は供給先の多角化と国産化を推進したはずだが、3年後の今、カタールへの依存度は依然として64.7%——構造的な脆弱性はほぼ手つかずのまま残されていた。
韓国の業界関係者からは、今回の事態を契機に米国やロシアからの新規調達先を本格的に開拓し、供給安定化の転機とすべきだとの声が上がっている。ロシア産ヘリウムは量・価格の両面で競争力を有するが、ウクライナ戦争以降の制裁環境下では供給経路の確立自体が困難であるという矛盾を抱える。米国産は品質面での信頼性が確立されているものの、カタール産との価格差が障壁となる。
産業ガス大手の対応も分かれている。Air Liquideは複数大陸にまたがる調達先と欧州の貯蔵施設によるリスク分散を強調した。Air Productsは供給継続のための措置を講じていると述べたが、詳細は明らかにしていない。Linde氏はコメントを拒否した。カタール以外の生産者、Exxon Mobil、カナダのNorth American Helium、さらにHelix Exploration、Blue Star Heliumといった中小の開発企業にとっては、需要増の恩恵を受ける可能性がある。
供給の「階層化」が映し出す産業の序列
Force Majeure下でヘリウムの配分を強いられた場合、サプライヤーは用途による優先順位をつける。Kornbluthの見立てでは、医療用MRIとロケットには需要量の100%が確保される。半導体メーカーは95%程度の配分が見込まれるが、それでも5%の不足が先端プロセスの歩留まりを低下させる可能性がある。溶接、潜水機器、パーティーバルーンといった低優先度の用途は、より大幅な供給カットに直面する。
この優先順位の存在自体が、ヘリウムという資源の戦略的位置づけを如実に物語っている。世界のヘリウム消費の構造は、ハイテク産業と医療への依存度がきわめて高く、これらの分野では代替ガスが実質的に存在しない。風船用ヘリウムの不足は社会的な不便に過ぎないが、半導体製造ラインへのヘリウム供給が5%欠損すれば、数十億ドル規模のサプライチェーンが連鎖的に揺らぐ。
今回の危機が浮き彫りにしたのは、半導体産業が高度な技術的自律性を誇りながらも、その根底を支える原材料・ガスの調達においては、地政学リスクに対してきわめて脆い構造を抱え続けているという現実である。ヘリウムという地味で目立たないガスが、数兆ドル規模のチップ産業を人質に取りかねない——その構図は、サプライチェーンの多角化という課題がいかに緊急かつ困難であるかを、改めて突きつけている。
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