Quantinuumは2026年10月19日、量子コンピューター「Helios」を使った実験で、量子情報を保持する論理メモリの忠実度99.9995%を達成したと発表した。これは誤りを検査する1ラウンドあたりの論理誤り率が約100万分の5に相当するという結果で、複数の物理量子ビットによる保護を強化するほど、誤りが減少することを実機で確認した。ただし、100万回の汎用量子演算を連続して成功させたわけではなく、今回の数値は量子情報を保持するメモリの信頼性を評価したものだ。この成果が実用的な量子計算にどこまでつながるのかを判断するには、誤り率の算出方法と、演算や制御に残された技術的な課題を区別する必要がある。
99.9995%の忠実度は、29,000回の試行で観測された3件の失敗から算出
研究チームが最も大規模な論理メモリ実験に使用したのは、測定用の補助量子ビットを含む73個の物理量子ビットだ。これらを組み合わせ、量子情報を誤りから保護する1個の論理量子ビットを構成した。Heliosでは、電場によって捕捉したバリウム137のイオンを物理量子ビットとして使用している。
実験では、論理量子ビットをX、Y、Zの各測定基底に対応する正負6種類の状態に準備したうえで、誤りの兆候を検出する「シンドローム抽出」を20ラウンド繰り返し、最後に量子情報が正しく保持されているかを測定した。この一連の手順を合計29,000回実施し、主に使用した「Tesseract」と呼ばれる復号器で解析したところ、最終的な読み出しで論理的な失敗が3件確認された。復号器とは、測定によって得られた誤りの兆候を解析し、量子情報に生じた誤りを推定するための仕組みだ。
29,000回の試行でそれぞれ20ラウンドの検査を行ったため、検査ラウンドの総数は580,000となる。研究チームはさらに、初期状態の準備に伴う誤りを半ラウンド分として考慮し、「失敗数÷試行数÷20.5」という近似式から、1ラウンドあたり約5×10⁻⁶の論理誤り率を算出した。これを忠実度に換算したものが、今回発表された99.9995%という数値である。
ただし、この誤り率は統計的な推定値であり、一定の不確実性がある。 論文に示された1標準偏差相当(約68%)のWilson信頼区間は、約3×10⁻⁶から9×10⁻⁶となっている。100万ラウンドあたりの失敗数に換算すると、中心値が約5件であるのに対し、信頼区間は約3〜9件に相当する。実際に観測された失敗がわずか3件だったため、99.9995%という値を末尾の桁まで確定した精度と捉えるべきではない。Quantinuumの物理学者Adam Reed氏も公式ブログで、誤りの発生がこれほどまれになると、観測される一つひとつの失敗が極めて重要になると説明している。
研究の詳細は、QuantinuumのAli Lavasani氏、Adam P. Reed氏らによる公開原稿「Quantum error correction well below the color code threshold」にまとめられている。現時点ではプレプリントとして公開されており、掲載誌やDOIは確認されていないため、査読済み論文として発表された成果ではない。また、10月20日時点で、独立した研究グループが同じ結果を再現したとの報告も確認されていない。
量子ビットを増やすほど誤りが減少、カラー符号の効果を実証
研究チームは、誤りに対する保護の強さを表す「符号距離」が3、5、7の三角形カラー符号を使い、それぞれの誤り率を比較した。量子誤り訂正は、複数の物理量子ビットに情報を分散して符号化することで、一部の量子ビットに誤りが発生しても論理情報を維持する技術だ。しかし、誤りを検出するための操作自体にも雑音が伴うため、物理量子ビットを増やせば必ず信頼性が向上するわけではない。保護を強化する効果が、追加の操作によって生じる誤りを上回る「閾値以下」の条件を満たす必要がある。
今回の研究では、符号距離を大きくするほど論理誤り率が低下することを確認した。論文の表Iに記載された、Tesseractによる復号結果は以下の通りだ。
| 符号距離 | 1論理メモリに使用した物理量子ビット数 | 試行数 | 失敗数 | 1検査ラウンドあたりの論理誤り率 |
|---|---|---|---|---|
| 3 | 13 | 15,840 | 178 | 0.055% |
| 5 | 37 | 21,600 | 17 | 0.0038% |
| 7 | 73 | 29,000 | 3 | 0.0005% |
いずれもHelios実機で20ラウンドの誤り検査を行った結果であり、シミュレーションによる推定値ではない。距離3では6個、距離5では2個の論理メモリ実験を並列に実行し、距離7の実験と使用する物理量子ビットの総数がほぼ同じになるように調整している。表中の誤り率は前述の方法で算出した概数であり、特に距離7については、観測された失敗数が少ないことによる統計的な不確実性が残る。
論理誤り率は、距離3の0.055%から距離5では0.0038%、距離7では0.0005%まで減少した。研究チームは3つの測定結果に指数関数的な減少を表す関係式を当てはめ、符号距離を2増やすごとの誤り抑制係数を12と評価している。この係数の不確実性は上側が3、下側が2であり、隣接する測定値の比率がいずれも正確に12だったという意味ではない。重要なのは、今回検証した符号距離の範囲で、量子情報の保護を強化するほど論理誤り率が低下することを実測できた点だ。
Heliosでは、量子ビットの状態が計算に使用する二つの状態から外れてしまう「漏れ誤り」への対策も講じられた。研究チームは、光を使ってイオンを計算用の状態に戻す方法に加え、回路内でデータ用と測定用の量子ビットの役割を交換し、測定と初期化によって漏れ誤りを取り除く方法を併用している。Quantum Computing Reportの解説でも、ハードウェアと量子回路の両面から漏れ誤りに対処していることが、今回の実装上の特徴として挙げられている。
したがって、今回の誤り率の改善は、単に物理量子ビットの数を増やした結果として捉えることはできない。漏れ誤りへの対策、シンドローム抽出回路、復号器などを組み合わせた実験条件で得られた成果であり、いずれか一つの技術だけが改善をもたらしたと断定できるものではない。
論理ゲートの精度も改善、リアルタイム復号には課題
研究チームは論理メモリの保持性能だけでなく、量子演算そのものの信頼性も別の実験で評価した。2量子ビットのClifford演算を用いた試験では、1演算あたりの論理誤り率が符号距離3で0.07%、距離5で0.007%となった。距離5の推定値は7×10⁻⁵で、誤差は上下とも3×10⁻⁵と報告されている。ただし、これは量子情報を保持するメモリではなく、論理演算中に発生する誤りを測定した結果だ。そのため、メモリ実験で得られた0.0005%という誤り率を、量子演算の精度にそのまま当てはめることはできない。
論理演算の試験では、演算系列の長さを69、139、209に設定し、それぞれ2,220、1,110、666個の回路を抽出した。これらを符号化しない場合と、符号距離3および5で保護した場合について実行し、論理演算の誤り率を比較している。一方、距離7の2量子ビット論理演算については、Heliosで使用できる物理量子ビット数が不足するため、評価されていない。論理量子ビットの保護を強化するには、より多くの物理量子ビットが必要になるという制約が、ここにも表れている。
さらに研究チームは、量子ビットの測定結果から誤りを推定する古典計算の処理速度についても検証した。比較したのは、畳み込みニューラルネットワーク(CNN)と、各検査ラウンドの情報を処理するTransformer型復号器(RTT)だ。両者の学習には、ノイズの強さを4倍に設定したHeliosエミュレーターのシミュレーションデータを使用し、実機データによる評価時には追加学習を行っていない。
NVIDIA H100 80GB GPUで測定した符号距離7の平均復号時間は、1ラウンドあたりCNNが0.52ミリ秒、RTTが0.35ミリ秒だった。RTTの方が短時間で処理できたものの、今回の復号処理はすべてオフラインで実施されている。記録済みの実機データをラウンドごとに入力し、復号にかかる計算時間を測定したもので、量子装置との通信や、復号結果に基づくフィードバック制御の遅延は含まれていない。したがって、実際の量子計算を動かしながら同じ速度で誤りを訂正できることが実証されたわけではない。
また、同じ距離7の実機データを解析した結果、CNNが判定した失敗は3件だったのに対し、RTTでは5件だった。復号器を実用的な量子計算に組み込むには、処理速度だけでなく誤りの推定精度も重要になる。今後は、量子装置との通信やフィードバック制御を含むリアルタイム環境でも、今回の低い論理誤り率を維持できるかが課題となる。
3万量子ビットで100論理量子ビットを保護する試算、その前提とは
Quantinuumは今回得られた誤り抑制係数を基に、論理誤り率10⁻¹²を目標とした場合に必要な物理量子ビット数も試算している。同社によると、100個の論理量子ビットを保護するには、イオンを移動させながら量子演算を行うQCCD方式で約3万個の物理量子ビットが必要になるという。一方、比較対象とした超伝導方式のカラー符号実装では約90万個が必要と推計され、両者には約30倍の差がある。対応する符号距離は、QCCD方式が21、超伝導方式が109とされている。
ただし、この比較は、今回の実験で確認された誤り抑制の傾向が、より大きな符号距離でも維持されると仮定した外挿計算に基づく。実際に3万個の物理量子ビットを使用して100個の論理量子ビットを保護したわけではなく、超伝導量子コンピューター全般に対して30倍の効率差があることを実証したものでもない。また、必要な物理量子ビット数だけでは、演算速度や制御装置、冷却設備を含むシステム全体のコストを比較することもできない。
汎用的な誤り耐性量子計算を実現するには、今回評価されたClifford演算に加え、Tゲートなどの非Clifford演算も必要になる。そのためには、「魔法状態」と呼ばれる特殊な量子状態を準備し、演算に利用する仕組みが欠かせない。Quantinuum自身も、魔法状態の準備については、符号距離を大きくするほど誤り率が低下する閾値以下のスケーリングを、まだ実証できていないと説明している。
Quantinuumは、2029年に汎用誤り耐性量子コンピューター「Apollo」を完成させることを目標としている。今回の成果は、物理量子ビットを増やして保護を強化することで、論理量子ビットの誤り率を大幅に低減できることを実機で示した点で重要だ。一方、実用的な量子計算に向けては、多数の論理量子ビットへの拡張、魔法状態の準備、リアルタイム復号を含む制御系の統合が残されている。こうした技術を組み合わせ、長時間にわたる複雑な量子計算でも低い誤り率を維持できるかが、今後の進展を判断する重要な指標となる。



