物理学者たちが長年解明できなかった「不思議な金属」(ストレンジメタル:Strange Metals)と呼ばれる特殊な物質の謎に、ライス大学の研究チームが量子情報科学のツールを活用して新たな光を当てた。『Nature Communications』に掲載された研究では、電子の「量子もつれ」が量子臨界点でピークに達することが示され、高温超伝導体の開発や効率的なエネルギー伝送への道を開く可能性が示唆された。
不思議な金属とは?解き明かされなかった謎
私たちの身の回りにある銅や金といった通常の金属は、電気をよく通し、その振る舞いは物理学の法則でよく説明されている。例えば、温度が下がれば電気抵抗も下がるという明確な関係がある。これは電子が原子の間を移動する際に、低温では原子の熱振動が減少するため、電子の散乱が少なくなることに起因する。しかし、物質の中には「不思議な金属」(ストレンジメタル:Strange Metals)と呼ばれる、この常識が通用しない一群が存在する。
ストレンジメタルは、特に極低温下で従来の理論では説明できない電気抵抗の変化パターンを示す。例えば、温度に比例して直線的に電気抵抗が変化する「線形抵抗」と呼ばれる現象が、通常の金属理論では説明できない温度範囲まで観測される。
「通常の金属では、電子は準粒子として振る舞い、その動きはランダウのフェルミ液体理論で説明できます。しかしストレンジメタルでは、この理論が当てはまらず、電子が従来の描像とは根本的に異なる方法で相互作用していることを示唆しています」とライス大学のQimiao Si教授は説明する。
物理学者たちは長年、この奇妙さの根源を探求してきた。ストレンジメタルの理解は、基礎科学上の挑戦であるだけでなく、エネルギー損失ゼロで送電できる可能性を秘めた高温超伝導体の謎を解く鍵とも考えられており、その重要性は極めて高いものだ。
量子情報科学からの新アプローチ:「量子フィッシャー情報(QFI)」
Si教授率いる研究チームはこの難問に挑んだ。彼らは、物性物理学の従来の手法とは異なる、量子情報科学の領域から「量子フィッシャー情報(Quantum Fisher Information, QFI)」というツールを導入した。
QFIは元来、量子系の状態変化に対する感度を測る量子計測学の指標であるが、近年、量子もつれ、特に多数の粒子が複雑に関係しあう「多体量子もつれ」の存在を判定する強力な「証人」として注目されている。量子もつれとは、複数の粒子がどれだけ離れていても互いに深く結びつき、一方の状態が他方の状態に瞬時に影響を与える量子力学特有の現象である。
Si教授は、「我々の発見は、ストレンジメタルがユニークな量子もつれのパターンを示すことを明らかにし、そのエキゾチックな振る舞いを理解するための新しいレンズを提供するものです。量子情報理論を活用することで、これまでアクセスできなかった深い量子的相関を明らかにしています」と語る。この画期的なアプローチは、量子情報科学と凝縮系物理学という、従来は別々に発展してきた分野を統合した新たな研究方向を示している。
量子臨界点で最大化する「量子もつれ」
研究チームは、「近藤格子模型」と呼ばれる、物質中の局在した磁気モーメント(電子スピン)と伝導電子との相互作用を記述する理論モデルに注目した。このモデルはストレンジメタルの振る舞いをよく再現すると考えられている。
近藤効果とは、金属中の磁性不純物と伝導電子の間に生じる量子力学的な相互作用で、低温では不純物の磁性が「スクリーニング」(遮蔽)されて見かけ上消失する現象である。このモデルでは、磁気モーメント(電子のスピンによって生じる微小な磁石のような性質)がどのように周囲の電子と相互作用するかを記述する。
通常、これらの相互作用は物質内で規則的に行われるが、特定の「量子臨界点」と呼ばれる転移点では、相互作用が非常に強くなる。この点では、物質の性質が劇的に変化し、通常の物理法則では説明できない現象が現れる。
物質の性質は、温度や圧力、磁場などの外部条件によって劇的に変化することがある。特に絶対零度において、異なる二つの状態(例えば磁気秩序相と非磁性相)の間で相転移が起こる点を「量子臨界点(Quantum Critical Point, QCP)」と呼ぶ。この量子臨界点近傍では、物質は極めて不安定で奇妙な振る舞いを示すことが知られている。ストレンジメタルの多くは、この量子臨界点の近くで出現すると考えられている。研究チームは、この量子臨界点において、電気的振る舞いの基本的な構成要素である「準粒子」が消滅することに着目した。
研究チームがQFIを用いて近藤格子模型を詳細に分析した結果、驚くべき事実が明らかになった。系の状態を量子臨界点に近づけていくと、電子間のQFIが急激に増大し、まさに量子臨界点においてピークに達することを発見したのである。これは、量子臨界点で量子もつれが最大化することを示唆している。
量子もつれ:不思議な金属の特性を解き明かす鍵
研究の核心は、量子もつれという量子力学の根本的な概念にある。量子もつれとは、二つまたはそれ以上の粒子が量子力学的に連結され、一方の状態を測定すると瞬時に他方の状態が決まる現象である。アインシュタインはかつてこれを「不気味な遠隔作用」と呼び懐疑的だったが、現在では量子力学の中心的な特徴として認識されている。
研究チームはQFIを用いて、ストレンジメタルにおける量子もつれの度合いを測定した。特に、電子スピンの間の多体量子もつれ(multipartite entanglement)に着目した。通常、量子もつれは2つの粒子間で考えられることが多いが、多体量子もつれはより多くの粒子が複雑に絡み合った状態を指す。
「我々の研究は、ストレンジメタルにおける電子の相互作用が、単純な2体間のもつれではなく、より複雑な多体のもつれによって特徴づけられることを示しています」と研究の共著者であるYuan Fang氏は説明する。
研究チームは、規格化されたQFI密度が量子臨界点でシャープなピークを示し、その値が約2.2に達することを発見した。この値は理論的な閾値である2を超えており、システム内に少なくとも3体のもつれが存在することを意味する。これは量子系の非常に強い相関を示す証拠である。
さらに興味深いことに、研究チームは「2タングル」(two-tangle)と呼ばれる別の量子もつれの測定も行った。2タングルはスピンペア間のもつれを測定するものだが、量子臨界点ではこの値がすべてのスピンペアについてゼロになることが分かった。これは「量子モノガミー」と呼ばれる原理と関連しており、もつれが特定のペア間に集中するのではなく、多くのスピン間で分散していることを示唆している。
この多体量子もつれの増幅こそが、ストレンジメタルにおいて電子が個別の粒子(準粒子)として振る舞えなくなるという、従来の理論では説明困難だった現象の根源であると研究チームは結論付けている。
理論と実験の一致、そして未来への展望
この理論的な発見は、現実の物質における実験データによっても裏付けられている。研究チームは、重い電子系化合物CeCu5.9Au0.1(セリウム・銅・金合金)における非弾性中性子散乱実験(物質内部の磁気的性質を探る手法)の公開データを解析し、QFIを抽出した。その結果、理論計算で予測されたQFIの振る舞い(特に温度依存性)と実験データが非常によく一致することを確認した。
この理論と実験の一致は、量子もつれ、特に多体量子もつれがストレンジメタルの不可解な性質を理解する上で本質的な役割を果たしていることを強く示唆するものである。
ストレンジメタルの理解は、高温超伝導体の開発に繋がる可能性がある。もし電気抵抗ゼロの送電が実現すれば、現在の送電ロス(数パーセントに達する)を無くし、エネルギー効率を劇的に改善できる。今回の研究成果は、その実現に向けた重要な一歩となるかもしれない。
さらに、QFIを用いたアプローチは、ストレンジメタルだけでなく、他の様々なエキゾチックな量子物質の性質解明にも応用できる可能性がある。増幅された量子もつれは、将来の量子コンピュータなど、量子技術における貴重なリソースともなり得る。この研究は、物質科学と量子情報科学の融合が、未知の物性現象を解き明かし、未来の技術革新をもたらす可能性を示している。
論文
- Nature Communications: Amplified multipartite entanglement witnessed in a quantum critical metal
参考文献