テクノロジーと科学の最新の話題を毎日配信中!!

髪の毛にしか見えない脳波モニタリング装置の開発に成功

Y Kobayashi

2025年5月7日

長時間の脳波(EEG)モニタリングは、てんかんや睡眠障害、脳損傷などの診断に不可欠である。しかし、従来の電極は装着感や見た目の問題、さらには測定精度にも課題を抱えていた。この状況を一変させる可能性を秘めた革新的な技術が、米ペンシルバニア州立大学の研究チームによって発表された。まるで髪の毛のような極細の電極が、頭皮に直接貼り付くだけで、24時間以上もの間、高精度な脳波測定を可能にするというのである。この「ヘアライク電極」は、医療現場のみならず、我々の日常やウェルネス分野にも大きな変革をもたらすかもしれない。

スポンサーリンク

従来の脳波測定が抱えていたジレンマ:精度と快適性の両立という難題

脳波(EEG)は、脳内の神経細胞が発する微弱な電気活動を頭皮上から記録するものであり、てんかん、睡眠障害、脳血管障害、精神疾患、運動障害といった多岐にわたる神経学的状態の診断や治療、さらには脳科学研究において不可欠なツールである。特に、発作のモニタリングや睡眠パターンの評価など、長時間の連続的な記録が求められるケースは少なくない。

しかし、従来のEEG測定にはいくつかの大きな壁が存在した。一般的に使用されるのは、金属製のカップ型電極やAg/AgCl(銀・塩化銀)電極である。これらの電極を頭皮に安定して接触させるためには、導電性のゲルを塗布する必要があった。このゲルが、多くの問題を引き起こしていたのだ。

まず、ゲルの塗布は手間がかかり、不快感を伴う。 特に長時間のモニタリングでは、ゲルが乾燥してしまい、信号の質が低下するため、頻繁な再塗布が必要になることもあった。この再塗布は、患者にとって負担であるだけでなく、測定の中断やデータの不連続性を招く可能性も指摘されていた。さらに、ゲルによる皮膚のかぶれや刺激も無視できない問題であった。

加えて、従来の電極は硬く、動きに弱いという欠点も抱えていた。被験者が少し頭を動かすだけで電極がずれてしまい、記録データにノイズ(アーチファクト)が混入し、データの信頼性を損なうことがしばしばあったのである。電極の再装着時には、毎回同じ位置に正確に戻すことが難しく、セッション間のデータ比較が困難になるという問題も、研究者や臨床医を悩ませていた。

これらの課題は、特に日常生活での継続的なモニタリングや、身体活動を伴う研究においては深刻であり、より快適で、信頼性の高いEEG測定技術の開発が長らく待望されていた。

髪の毛のように自然にフィット:革新的「ヘアライク電極」の驚くべき構造と機能

ペンシルバニア州立大学のTao Zhou教授を中心とする研究チームが開発した「ヘアライク電極」は、まさにこれらの課題を克服するために設計された。学術誌『npj Biomedical Innovations』に掲載された論文で詳述されているこのデバイスは、その名の通り、まるで人間の髪の毛のような細さと柔軟性を兼ね備えている。

研究チームは、高度な3Dプリンティング技術(ダイレクトインクライティング:DIW)と特殊な生体適合性材料を駆使することで、この革新的な電極を実現した。デバイスは主に以下の要素で構成されている。

柔軟性と導電性を両立する「ハイドロゲル電極」

電極の中心部には、ポリ(3,4-エチレンジオキシチオフェン):ポリスチレンスルホン酸(PEDOT:PSS)と親水性ポリウレタン(PU)からなる導電性ポリマーハイドロゲルが用いられている。この材料は、高い導電性(>11 S/cm)と優れた伸縮性(約400%)を併せ持ち、脳からの微弱な電気信号を効率的に捉えつつ、頭皮の曲面にもしなやかに追従する。電極の頭皮接触部分は直径1.5mmの円形で、信号取得を最適化しつつ、侵襲性を最小限に抑えている。

頭皮に優しく、強力に接着する「バイオアドヒーシブ」

このデバイスの最大の特徴の一つが、皮膚への下準備や導電性ゲルを一切必要としない点である。研究チームは、ポリウレタン(PU)、ポリアクリル酸(PAA)、そしてNHSエステルと呼ばれる特殊な化学物質を組み合わせた、新規の3Dプリント可能なバイオアドヒーシブ(生体接着剤)を開発した。

このバイオアドヒーシブは、皮膚表面のタンパク質と強力な化学結合(共有結合)を形成することで、汗や皮脂、さらにはシャワーのような水濡れ環境下でも、デバイスを頭皮にしっかりと固定する。論文によれば、その接着力は市販のEEG用接着ペーストのほぼ2倍に達するという。それでいて、剥がす際には皮膚へのダメージがほとんどなく、残留物も残さない。

まるで本物の髪の毛のような「目立たないデザイン」

電極から伸びるインターコネクト部分は幅わずか300µm(0.3mm)と極めて細く、まさに髪の毛そのものである。さらに、3Dプリント時に生体適合性の染料を混ぜることで、着用者の髪の色に合わせてデバイスの色を調整することも可能だ。これにより、装着していることがほとんど気づかれず、社会的なスティグマや心理的な抵抗感を大幅に軽減できると期待される。日常生活の中で、他人の目を気にすることなく脳波モニタリングを行えるようになるのである。

デバイスの構造は、中心の導電性ハイドロゲル電極層を、2層のPDMS(ポリジメチルシロキサン)封止層で挟み込み、その周囲にバイオアドヒーシブ層を配置するというものである。この積層構造により、耐久性と柔軟性、そして確実な信号伝達を実現している。

スポンサーリンク

24時間以上の安定性と高精度を実証:従来型電極を凌駕する可能性

研究チームは、この「ヘアライク電極」の性能を検証するために、様々な実験を行った。その結果は驚くべきものであった。

まず、24時間以上の連続装着においても、電極は頭皮にしっかりと固定され続け、電極と皮膚の間のインピーダンス(電気抵抗)は安定していた。これは、長時間のモニタリングにおいても、信号の質が劣化しにくいことを意味する。実際に、装着から12時間後、24時間後に行った脳波測定でも、初期の測定と遜色のないクリアな信号が得られたと報告されている。

さらに、被験者が帽子をかぶったり脱いだり、手で髪をとかしたりといった日常生活の動作を行っても、電極は剥がれたりずれたりすることなく、安定した接着を維持した。100回に及ぶ伸縮サイクル試験後でも、電気的性能は安定していたという。

研究チームは、このヘアライク電極と、従来の金電極(EEGゲル使用)とで、安静閉眼時のアルファ波(リラックス状態で現れる特徴的な脳波)の記録比較も行った。その結果、ヘアライク電極は、従来の金電極と同等、あるいは一部のケースではそれを上回る質の高い脳波信号を捉えることができたと報告されている。これは、ゲルを使用しないドライ電極でありながら、ウェット電極に匹敵する、あるいはそれ以上の性能を持つ可能性を示唆するものである。

Tao Zhou教授は、「この電極は、より一貫性があり信頼性の高いEEG信号のモニタリングを可能にし、目立たずに装着できるため、機能性と患者の快適性の両方を向上させる」と述べている。

開発チームと未来への展望:ワイヤレス化、そしてBCIへの応用という射程

研究チームは、この技術のさらなる発展に意欲を見せている。現在のところ、このデバイスは有線で記録装置に接続する必要があるが、将来的にはワイヤレス化を目指しており、そうなれば被験者は記録中もより自由に動き回れるようになるだろう。

また、この技術の応用範囲は、臨床診断にとどまらない。研究者たちは、以下のような可能性を指摘している。

  • 消費者向けヘルス・ウェルネス製品: 日常生活における精神的健康状態、ストレスレベル、認知機能などを目立たずにモニタリングするウェアラブルデバイスへの応用。
  • ブレイン・コンピュータ・インターフェース(BCI)システム: 思考によって機械を操作するBCI技術の使いやすさと快適性を向上させ、障害を持つ人々のための支援技術や、仮想現実(VR)体験、さらには日常的なヒューマン・コンピュータ・インタラクションの向上にも貢献する可能性がある。

社会へのインパクトと期待:医療から日常まで、脳科学の新たな扉

この「ヘアライク電極」の登場は、脳波測定のあり方を根本から変える可能性を秘めている。医療現場では、より快適で正確な長時間モニタリングが可能になることで、てんかん発作の早期発見や、睡眠障害の詳細な分析、脳損傷からの回復過程の精密な追跡などが期待できるだろう。患者のQOL(生活の質)向上にも大きく貢献するはずである。

さらに、研究分野においては、日常生活における自然な状態での脳活動を、これまで以上に容易かつ詳細に捉えることができるようになる。これにより、認知科学や心理学、社会神経科学といった分野で新たな発見がもたらされるかもしれない。

そして、最も大きなインパクトが期待されるのが、一般消費者向けの市場である。これまで大掛かりで専門的な機器が必要だった脳波測定が、まるで髪の毛を一本増やすかのような手軽さで日常に取り入れられるようになれば、メンタルヘルスケアや集中力向上トレーニング、あるいは個人のパフォーマンス最適化など、全く新しいサービスや製品が生まれる可能性があろう。

もちろん、実用化に向けては、さらなる耐久性の検証や、大量生産技術の確立、そして規制当局の承認など、いくつかのハードルが存在する。しかし、この「髪の毛一本」から始まるイノベーションが、我々の脳を理解し、その可能性を最大限に引き出すための新たな扉を開くことは間違いない。ペンシルバニア州立大学の研究チームが示したこの一歩は、まさに未来の脳科学とウェアラブル技術の融合を予感させる、大きな一歩と言えるのではないだろうか。


論文

参考文献

Follow Me !

\ この記事が気に入ったら是非フォローを! /

フォローする
スポンサーリンク

コメントする